::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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“ケムリクサ”










 だいたい数年に一度ぐらいで、心の底からすばらしい作品だったと思えるアニメが出てくることがあって、『ケムリクサ』はまさしくそのように実感できるものだった。

 よかったところはふたつある。
 ひとつは、物語としてのテーマが明確であること。
 もうひとつは、謎の多い初期状態から小出しに事態や経緯が明かされ、最後に全貌が示されるという構成が巧みだったこと。


 テーマの方は全編で一貫して表現されている。過酷な環境下、互いを気にかけながら生き延びようとするなかで自分の「好きなもの」を見つけ出す、ということ。キャラクターたちそれぞれの「好きなもの」が順番に示されつつ、ひとりだけそれを持っていなかった主人公が最後に自分の「好き」を見つけ出すまでの過程。

 一方、物語展開の方も構造としてわかりやすい。「島」をひとつずつ渡っていく「旅」の形式を取りながら、さっぱりわからない状況が少しずつ明らかになっていく……という流れで進む。展開の仕方にはとても訴求力があり、見ている方としては毎回、先行きに対して考察をおこなわずにはいられなくて、断片的に明かされたものがあれば伏線を思い出して照合し、そして最後には全体がきれいに組み合わさってかたちを成すのを確認するというように、たえずわくわくし続けられた。

 これらの「謎」「設定」「状況」が、そのまま作品の雰囲気をかたちづくってもいる。
 風景は現実の世界のようなのに、キャラクターの生物学的特徴や置かれた状況はどうも異質。なぜ彼らはこのような旅をしているのか、どこか当てがあるのか、いったいどこに行き着くことになるのか……。そうした謎がずっと視聴者の関心を引きつけ続けるフックになっているんだけど、同時に、これらの全体が組み合わさって醸し出されるどうにも独特な雰囲気がある。
 たとえば、それぞれ際立つ特徴を持つ姉妹たち。出自や理由はわからないけど、はっきり分かれた能力特性・性格。それが外見やことばづかいにも反映していて、つまり設定とキャラクターデザインがかたく結びついている。また、見覚えある現実世界の風景が無人の廃墟となって広がるなかで、敵の襲来をかいくぐりながらも、生命線である水が徐々に枯渇していくという危機と絶望。そんな状況でも思いやりを持って旅する登場人物たちがなんともいとおしくて。……そうしたすべてが、いかにも「たつき作品」と言いたくなる個性・魅力につながっている。

 そしてついに失われた記憶が取り戻されると、いままで謎だった状況・設定が——完全にすべてではないとはいえ、物語を理解するには充分な程度で——判明するに至る。
 するとそこにあったのは、さらにせつない物語。
 そして、主人公たちが直面する窮地と、この事態に至るまでの過去の因縁とをともに乗り越えるものこそが、「好きを貫くこと」である、というようにテーマへ結びついて。
 ——とにかくきれいで、何の過不足も見当たらない作品。



その他の雑感

    • 全体を通して心情描写がしっかりしてると感じた。
      (Ep.5 での、引け目を感じてたのが役に立ってたことがわかってうれしくて泣き出すりつ、など)

    • 3Dアニメだからか、全体的にゲームっぽい雰囲気。「島」も、ゲーム内のステージをひとつずつクリアしていく感じがある。

    • Ep.7 で、希望が示された直後に絶望に変わるという、持ち上げて落とす展開。これがものすごく視聴者の感情を揺さぶってきて、物語効果をよく計算してつくられてる。
      ここがちょうど全体話数の半分に当たる位置で、旅の目的が「水(生存)」から「根本的解決」へ変わる契機にもなっている。つまり、消極性から積極性への転換。

    • いろいろ予想をめぐらしてたけどぜんぜん当たらなかった……。
      • 分裂は意図的な結果だったということ。
        →事故かと思ってた。というか、人格の分裂ってなかなかハード哲学な設定だと思う。
      • この世界は現実世界の滅亡後というより何らかのバーチャル世界かなと思ってたので、それは当たらずとも遠からずといったところだったけど、実際は「船のなかで3Dプリントで復元された世界」という、もっとぶっとんだ設定。
      • ノートの内容が出てから「さいしょのひと」がキーだという意識は持っていたけど、あんなせつない物語があったとは。しかもそれをたった一話で描ききるのもすごい。

    • りりの最後のことば・願いは、「好きに」生きて、というもの。(これはワカバの最後のことばでもある)
      各キャラクターはそれぞれ自分の「好き」を追求しているのに、りんだけは見つけられずにいた。でも自分のやりたいことが何かをずっと自問しつづける。
      というのはつまり、りりの願いがりんのなかで生きていて、駆動要素になっていたということなのだろう。
      結果、りんは最終話にてついに「好き」を手に入れることになる。だから、りりは救われなかったのか?と問われたとき、しかし少なくともりりの「願い」は果たされた、と言うことはできる。



 

“THE GUILTY/ギルティ”






“Den skyldige”
 Director : Gustav Möller
 Denmark, 2018


 何年か前にちょっと話題になったアメリカの出来事で、ピザの注文を装って緊急通報番号に電話してきたDV被害者にオペレーターが即妙な受け答えをして、事態に対処できた、ということがあった*1。オペレーターは最初イタズラ電話かと思ったけれど、警察に電話していることを加害者に悟られないようにしているのだと察知。ピザ注文の発話に対し「yes/no」で答えられる質問をおこなって状況を把握し、気付かれないよう警官を急行させることに成功した……という話だった。

 デンマークのこの映画 “THE GUILTY” も、ちょうどこういった「緊急オペレーターが進行中の犯罪に電話だけで対処する」という状況を描いている。
 画面に表れる舞台は警察の緊急コールセンター内だけで完結、電話の向こうの情景はまったく描出されず、ただ通話と漏れ聞こえる音だけで想像するしかない、というワンアイデア/ワンシチュエーションものの映画。


 この手の映画って演技や心理描写、展開といったものもそれなりによくできていないと、状況設定の新奇性だけで終わってしまうけど、“THE GUILTY” の場合、主人公の境遇が展開の意外性とうまく絡められていて、深みのある映画になっている。
 見る前は、「通話内容だけで状況を察知し犯人の居場所を突き止める」みたいなテクニカルなおもしろさを追求した作品かと思っていた。けれども、前述のピザの実話みたいな機転を効かせたやり取りとか「音」をヒントに場所を特定するといった技巧的側面はそれほどなくて、どちらかというと物語やキャラクターの方を掘り下げた映画だった。

 ……というかこの主人公、そもそもオペレーターとしてあるいは警察官として、決して完璧な人間ではない。
 もちろん根幹には被害者を救おうという行動原理があるし、最初の方はやってることがそれなり有効に機能してるけれど、だんだん疑問を感じるような対応も増えていき、感情的になったり、不適切な言動を取ったりするようになる。知恵を絞って問題解決していく有能な主人公タイプとは違う。
 しかし主人公のこの欠点あるいは失敗といったものは、最終的に被害者/加害者を「救う」ことにつながっている。(←ここ、展開の意外性に触れるので含みを持たせた言い方にしているが)


 この映画が主として描いているのは、さまざまな「取り返しのつかない行動」だ。
 事件対処での主人公の失敗、過去において主人公がおこなったこと、加害者の犯した罪……。
 たとえば主人公は途中で自分の過ちを認めようと考えるのだが、協力者である同僚にはもはやその変心は受け入れられない。「もうサインしてしまったんだ!」という憤り。
 改心しようとしても取り返しがつかないことがあって、しかしそれでもただしいところへ立ち戻ることはできるのか……というのは、作中でテーマの要となっている。
 そして主人公は、電話による声だけでの会話を通じ、この難題を最後の最後に越えることができる。
 終幕、主人公が電話をかけようとする相手が誰かは描写されず視聴者に委ねられているのだが、こうした流れでみるならば、相手が誰で何を言おうとしているのかは絞られると思う。




  •  限定された舞台ではあるけれど、コールセンターのふたつの部屋の使い分けが物語・心理描写にリンクしている。
     複数のオペレーターがいる部屋から、誰もいなくて静かな隣室。さらにそこをブラインドで締め切って完全に声だけしかない状況へ。
     その後そこから出てきてふたたび他のオペレーターがいる部屋へと戻ってくる……という一連の場面転換が、状況や心理、物語描写へ作用している。

  •  電話だけで成り立つ映画、というと、『オン・ザ・ハイウェイ(“Locke”)』という秀作を思い起こさせる。
     あの映画との最大の違いは、こちらの方は「割り込み通話」がないことだ。これ、実際の電話のあり方からすると若干不自然ではある。
     『オン・ザ・ハイウェイ』はひっきりなしに割り込みが入ってきて、そのせわしなさがひとつの特徴でもあったけれど、この映画は電話を取り逃したり複数同時にかかってきて対処に困る、みたいなのが起こらない。システム上、割り込みはないのだとしても、電話中に別の回線で主人公宛の電話を受け取る、みたいなのはもっとあってもおかしくないのだが、そのあたりは割り切っている。(一回だけあったかも?)

  •  主人公が電話の声と音だけで相手方の状況を想像しているのと一緒で、鑑賞者もまったく同じように電話の先の情景を想像している。



IMDb : https://www.imdb.com/title/tt6742252/

*1: 
 Woman calls police to order pepperoni pizza story has a surprising ending
 https://metro.co.uk/2014/10/24/woman-calls-police-to-order-pepperoni-pizza-story-has-a-surprising-ending-4919024/

NKISI “7 Directions” (2019)



7 Directions






 アフリカ系アーティストのコレクティヴ “NON Worldwide” の創始者のひとり NKISI の 1st フルアルバム。
 これまでの音源としては、NON のコンピレーションの他、Warp 内サブレーベル Arcola からリリースした EP “The Dark Orchestra” などがある。このアルバムは Lee Gamble の UIQ からリリース。

 トライバルでポリリズミックなんだけど、一方でエレクトロニックなシンセサウンドも溢れていて、なんとも気持ちよく新味を感じるテクノ。本人の言葉など見ると、ルーツとなるバントゥー・コンゴの神話を意識した音づくりをおこなっているとのこと。
 以前の EP “ARC14” や “KILL”、あるいは DJ KITOKO 名義での EP あたりの強いダンス・ビートと比べると、このアルバムでのミキシングのあり方は若干異なっている。ビートも含め全体的に音量を少し抑え、中景〜遠景のような配置で構成されている感じがあり、全体に夢遊的浮遊感が漂っている。

 同じ NON の Chino Amobi とはだいぶスタイルが違うけど、2017年の “Paradiso” が話題になったように、NKISI も今年注目を集めるのではないかと予感させるようなアルバム。




NKISI
Information
  Birth name  Melika Ngombe Kolongo
  Current Location   London, UK
 
Links
  SoundCloud  https://soundcloud.com/nkisi
  bandcamp  https://nkisi.bandcamp.com/
  LabelUIQ  https://u-i-q.org/releases/nkisi-7-directions

ASIN:B07MQ3BNBC


SSSS.GRIDMAN






 全体的に描写の質が高いアニメだったと思う。
 自分としては、元となっている特撮版グリッドマンのことはほとんど——というかまったく知らない状態で、ウルトラマンは知ってるけどグリッドマンなんてものがあったんだ…?という感覚だったので、アニメ化されたことへの思い入れのようなものはぜんぜんなかったのだが。でも結果的に「特撮のアニメ化」というプロジェクトとして成功したと思うし、単にそれだけじゃなく、最終回ではこの「特撮」「アニメ」という意味付けを物語構造に絡めて完成に至っていて、そこは特に銘記に値する。




 アニメと実写

f:id:LJU:20181224163400j:image:w300:right SSSS.GRIDMAN
 (C) 2018 「グリッドマン」制作委員会


 最終回のポイントは以下二点。

  1. グリッドマンが真の姿を得た描写:今までの3D-CGとしてのグリッドマンから、2D作画のグリッドマン
  2. アカネが覚醒して仮想世界から現実へ戻る:2Dアニメから実写へ

1.
 特撮のアニメ化というときに、ヒーローと怪獣を3D-CGでつくるのは手法として妥当だったと思う。着地時などの重量感、着ぐるみっぽさも再現した3D-CGは、最初から表現としてうまくいっていた。
 ところが最終回ではこれを逆転して、ヒーローの「真の姿」を2D作画で描いている。
 結局この世界が仮想世界=アニメの世界だと判明することと併せて、純-アニメ的な造形を真の姿に充てるという図式。アニメ作品としての意義が最大限主張されるところになっている。
 そして作画/動画もそれに見合った熱量高いもので。あえて2D、っていうのがすごく感じられた。

2.
 で、もうひとつの「真の姿」というのが、影の主人公たるアカネに対しても適用される。物語の意味としてはこちらの方が重要。
 終幕、仮想世界から目覚めて現実世界へ戻ると、そこは実写で描写される世界。
 ……これなー。特撮をアニメ化してるんだから最後こうなるのは予想できてもよかったんだけど、アニメ化したんだから最後まで全部アニメで描くんだろうって何の疑問もなく思ってたのがこうなって、自分としては意表突かれた感がある。でもこれで特撮版との世界の連続性も得られるし、特撮版に対して「アニメという描写」が持つ意味というのもこれで明確になる。

 最初制作側はウルトラマンの方をアニメ化したかったのを、円谷プロに断られてグリッドマンにした、という経緯があったらしく*1、なんか消極的な選択なんだな、っていうのがずっと引っかかっていたんだけど、最後の最後にこのようなかたちでアニメと特撮を橋渡ししたことで、グリッドマンを選んだことの意味が出た。グリッドマンの「電脳世界」という設定は、ウルトラマンフォロワー的な諸作品のなかにあって重要なオリジナル要素だったと思うからだ。
 この設定をアンカーとしてアニメ(仮想世界)から実写(現実世界)への移行という描写を最終回で成り立たせたのは、同じヒーロー物でもウルトラマンでは成り立たず、グリッドマンだからこそできたことだったと思う。



 六花とアカネ

f:id:LJU:20181224163357j:image:w300:right SSSS.GRIDMAN
 (C) 2018 「グリッドマン」制作委員会


 この物語は「アカネを救う」というものとして要約できるのだけど、いくつかある軸のひとつとして重要なのが、六花とアカネの関係性。
 六花とアカネには対比性がある。
  ・六花 :自然体・リアル寄り
  ・アカネ:アニメ寄り・萌え系統
 ……まあ六花も結局のところ(最後にこの世界がアニメ世界だと明かされることでわかるように)紛うことなく「アニメキャラ」であり、萌え要素を持たされてはいるんだけど、ピンク髪のアカネと比べると相対的にリアル寄りだとは言える。

 このふたりの関係って、単に六花が「つくられた偽の友人」であるというところだけにとどまるものではなさそう。
 最後に目覚めて実写となったアカネが、どちらかというとアニメ内での六花の方に容姿が近いところがある。はっきりと外観は描写されないのだけど、あきらかにアニメ内のアカネとは異なっていて、アカネと六花という重要なキャラクター対比のなかでは六花寄りであることは確かだ。実際のアカネは六花のように特徴なく凡庸な姿なのに、仮想世界ではちょっと非現実性の高い(理想化された)風貌を選んでいた、と解釈できると思う。つまり仮想世界内の六花は、現実世界のアカネの自己投影的な面がある。そう考えると六花はアカネの(無意識的な)別人格、と言ってもいいのかもしれない。
 であればこそ、設定としての友人関係から、設定を越えた友人関係への移行というのは、アカネのなかでの自己肯定が回復する過程に合致するということになる。



 割れたメガネとスマホ

 アカネがアニメ絵的・仮想世界での理想化された姿であるとして、ただ、いくつか逸脱要素もある。
 たとえばメガネが割れている・スマホのガラスが割れている、というところなど。
 アニメでスマホのガラスが割れてる表現って、めずらしいと思う。アニメでスマホって普通に登場するけれど、現実世界ではわりとよく見るこの表面ガラスが割れた状態っていうの、アニメでは見たことない気がする。「落として割れた」みたいな出来事として描写される例はありそうだけど、そうした「行為の結果」としての一時的なものではなく、割れた原因も特に説明されないまま恒久的なキャラクター描写の一環としてただずっと描かれ続ける、っていうのはなかったような。
 アニメという「きれいなもの(=現実の簡略化)に統一された世界表現」に対する、リアルな粗雑さ・異物を示す表現という感じがする。
 同様に、割れたメガネについても。割れたスマホというものは現実世界でもよくある事柄だとして、割れたメガネを使い続けるっていうのは現実世界ではさすがにあまりないことだろう。
 何でもできる神のはずなのに、なぜメガネは直さないのか? 思い通りにならない現実を表しているということ? 何にせよ、意図的にそのようなもののまま残しているように見える。メガネとスマホが割れていることは、たぶん「視野の異物」「仮想世界への違和感」あたりを表していると思うけれど、現実の割り切れなさ → 仮想世界での割れたもの、みたいな感じもある。
 メガネにしてもスマホにしても、キャラクターと分かちがたく結びついた要素だということは間違いないだろう。



 自然体描写

f:id:LJU:20181224163352j:image:w300:right SSSS.GRIDMAN
 (C) 2018 「グリッドマン」制作委員会

 日常台詞や女の子の描写(演出)が良い。六花もそうだし、クラスメイトたち(なみこ、はっす)なんかも。
 でもやはり六花。声優の演技によるところも大きいけれど、ちょっとアンニュイ気味な自然体がとても良かった。

 この自然体描写の極致みたいなのがED映像。
 ここは画面効果も良くて、キズナイーバーのEDも思わせる焦点深度の絶妙なバランスがある。
 実写写真を下絵に描いただろう作画で、いかにも「写真」的な構図。
 でも実写にアニメ絵をはめ込んだような感じはなくて、高度に融合していると思う。
 ……思えばこのED映像の時点で既に、「実写とアニメのボーダーライン」的な位置付けが表れていた。



 響裕太である理由

 グリッドマンが響裕太を選んだ理由。響裕太はなぜ特別なのか。
 ことばが伏せられているけど、それは、アカネを好きになるようにつくられているはずのキャラクターたちのなかで、アカネよりも六花を好きな存在だから。これがアカネの「設定」ミスなのか偶然のエラーなのかはわからないけど、要するに世界設定に反する存在であり、それこそは「自我」と言ってもいいのだろう。
 そして六花がアカネの自己投影的キャラであるとするなら、響裕太のイレギュラー性はさらに意味を増す。




 

Barbara Morgenstern “Unschuld und Verwüstung” (2018)



Unschuld & Verwuestung






 ドイツで活動するエレクトロニカ/エレクトロ・ポップのミュージシャン。
 ベルリンの Monika Enterprise でその創立時からアルバムをリリースし続けてきたけれど、10枚目となるこの “Unschuld und Verwüstung(無垢と荒涼)” は、同じベルリンの Staatsakt からのリリースとなった。

 トラックはピアノとサックスが主体。以前の作品にあったようなトイ・ポップ的で純真なエレクトロニック・サウンドは少なく、全体としてもっと抑制的、ヴォーカルを前に立てた穏やかな楽曲となっている。歌唱の心地良さにまず意識が向かうけど、曲そのものも細やかな配慮でつくられていて、ヴォーカルが不在となったとき、たとえば M-5 “Teil 1 Oder Teil 2” の後半やインスト曲 M-9 “Hands Dance” などで不意にその流麗が前面に浮かび上がる。

 ヴォーカルは、全編英語だった “Sweet Silence” とは異なり、前作 “Doppelstern” と同様にドイツ語で歌われている。
 本人によると、英語歌唱のメリットはより多くの人々に伝えやすくまたポップ・ミュージックの共通語彙の蓄積も使えるという点にあって、一方、ドイツ語歌唱の方は母語ならではの繊細な表現が可能、ということらしい*1
 そういう意味では、サビだけ英語であとはドイツ語という混交形態の曲(“The Operator” - The Grass Is Always Greener, “Driving Car” - BM など)は、それぞれいいとこ取りということだったのかもしれない。端的なメッセージ性の強いサビ部分は普遍性のある言語で、それ以外の言葉の組み立てや仕掛けを施す個所は母語で、という組み合わせとして。
 “Unschuld und Verwüstung” では基本的にドイツ語歌唱*2。非ドイツ語話者としては、細部のニュアンスどころか意味も掴めないけれど、その代わり何か異郷的で新鮮な響きのものとして聴くことができる。あきらかに言語であることはわかるし、何か情動を伴いながら意味のある内容が歌われてるはずだとわかっていてもやはりそれを理解することはできない……という歌詞は、「楽器的な音」と「意味ある言葉」の中間にある感じだ。ヴォーカルがとても滑らかで気持ち良いというところも相俟って、レンジの広い楽器のようでもあり秘密を纏った呪文のようでもある。
 まあこれは知らない言語だからなので、詞の意味や構造に工夫があるとすればそうした価値は逸してしまっていることにはなるけれど、わからないからこそ、意味と音韻の中間という曖昧な状態で受け取ることができるとも言える。「エキゾチック」というよりも、もっと何か「かぎりなく意味の一歩手前の状態」というような。普段聴く外国語歌詞は圧倒的に英語がほとんどなので、そのなかでたまに非英語歌詞を聴くと、こうした感覚をあらためて認識する。





Barbara Morgenstern
Information
  OriginHagen, Germany
  Current Location   Berlin, Germany
  Born1971
  Years active  1999 -
 
Links
  Officialhttp://www.barbaramorgenstern.de/press/unschuld-und-verwustung
    SoundCloud  http://soundcloud.com/barbaramorgenstern
    vimeo  http://vimeo.com/barbaramorgenstern
    Twitterhttp://twitter.com/barbmorgenstern
  LabelStaatsakt  https://staatsakt.hanseplatte.de/unschuld-und-verwuestung.html

ASIN:B07GJ6H73H


*1: 
BARBARA MORGENSTERN: “GOOSE BUMPS ARE ALWAYS GREAT”
Barbara Morgenstern: 'German lyrics are still a bit exotic'

*2: 
M-1 “Michael Stipe” ではサビが英語で歌われているのだが、これはタイトルの通り R.E.M. を歌った曲、サビも R.E.M. からの引用ということだから、特に言語の使い分けを意図したわけではないだろう。

Colin Self “Siblings” (2018)



Siblings






 ニューヨークとベルリンを拠点に活動するコンポーザー/コレオグラファーによる 2nd アルバム。
 6幕構成のオペラ “Elation” を締め括る部分としてつくられたもので、『サイボーグ・フェミニズム』の著者のひとりでもあるダナ・ハラウェイに影響されたアルバムとのこと。「血のつながらない家族」というものがここでのテーマとされている。M-9 の曲名ともなっている “Research Sister” というのがこの非血縁家族を指すことばとして提示されているものなのだが*1、アルバムタイトル “Siblings(兄弟姉妹)” もその拡張としての意味を持つのだろう。なお、ライナーノートにも書かれているように、この非血縁性には queer life の文脈がある。

 音楽としては、力強くも眩惑的なコラージュといった感じ。破砕された素材が強いビートに牽引されて断続的に編成される。過剰で絢爛なそのサウンドはOPNを思わせるところもあるが、その上に乗るファルセットのヴォーカルこそが大きな特徴。M-1 “Story” のように単独で強く印象に残るヴォイスもあれば、M-7 “Emblem” で沁み入るリリックを歌う流麗なヴォーカル・ラインもある。
 アルバムとして充分よくできている作品だと思うが、おそらくはダンスやオペラといったものを含んだ上演を意図されたものであって、そうした総合芸術形態でこそ真に完成するものなのだろう。





Colin Self
Information
  OriginOregon, US
  Current Location   New York / Berlin
  Born1987
 
Links
  Officialhttp://colin-self.com/
    vimeo  https://vimeo.com/user2378756
    Instagram  https://www.instagram.com/colinself/
    Twitterhttps://twitter.com/colinself
  LabelRVNG Intl.  https://shop.igetrvng.com/products/rvngnl42

ASIN:B07HSL8MYW


“少女☆歌劇 レヴュースタァライト”









 少し前の作品だけど、見てみたらおもしろかった。
 由緒ある演劇学校で「トップスタァ」を目指す生徒たちが、密かに謎めいた決闘を繰り広げる物語。
 雰囲気としてウテナ/イクニっぽさがある。監督の古川知宏は『輪るピングドラム』『ユリ熊嵐』にも参加していて、幾原邦彦からの影響について自分でも語っている。*1
 全12話。中盤の7話にひとつの衝撃を設けつつ、全体としては主人公ふたりを中心にきれいに物語がまとまる。


 重層性

 この作品の特徴は、重層するメタ的構造。

1. 「物語」と「物語内物語」
 作品世界での古典戯曲「スタァライト」。年に一度のその上演が生徒たちの憧れであり、作中に設定されるゴール。
 物語の展開は途中から、「転落と幽閉」というこの戯曲の展開をなぞるようになる。
 人生を模倣するものが物語なのだとして、ここには、物語を再度模倣した人生、という転置がある。
 トップスタァを夢見ることの罪、きらめきの喪失。
 結局のところそれは夢を目指すことに伴う挫折と回復の物語。作中で出てくる「再生産」っていう言葉が、そのあたりも含みながらメタ構造も示唆するキータームになっている。

2. 「視聴者」と「物語内の観客」
 謎のキャラクターであるキリンの正体が、アニメを鑑賞しその展開を欲する視聴者の象徴だったというのはなかなか良かった。こちらに問いかけられるシーン、『MOTHER2』のラストバトルぐらいの感じがあった。「演劇」「メタ」っていう全体の志向がつくづく徹底してる。

舞台とは 演じる者と観る者が揃って成り立つ
演者が立ち 観客が望むかぎり 続くのです
そう あなたが彼女たちを見守り続けてきたように


3. 重なり合う舞台演出
 地下劇場でのレビューオーディション。
 ここでの「バトルフィールド」が、誇張した舞台美術・舞台効果で彩られるのがおもしろい。書き割りが展開したり、スモークでの爆発効果が発せられたり。
 作品内舞台上での半3Dみたいな演出が、2Dアニメ作品での演出ともなっている重層性。




 その他

  • 大場ななが実はラスボスの器、っていうツイストは良かった。
    タイムリープが物語全体の骨格にあると見せて、でもそれはやはり主人公ふたりの軸を引き立てるための設定で。
    でももうだいじょうぶ わたしが全部 受け止めてあげるから!
    悲しみ、別れ、挫折
    舞台少女を苦しめるすべてのものから
    わたしの再演で 守ってあげる!
    この台詞とか、まどマギ的救済のダークサイドみたいな感じもある。
    で、この「負のタイムリープ」のようなものを打開する闖入者としてひかりが位置付けられると。
    再演を変えたのはひかりではなく華恋、ってななが言ってるけど、ロンドンでのレビューオーディションからの流れだと、軌道変更の直接的な要因はやっぱりひかりの方だと思う。
     
  • 8話はバトルもかなりすごかった。これはロンドンでの劇をなぞった内容にもなっていて、ロンドンではきらめきを失っていたひかりが、ななとのバトルでは切迫性を取り戻している。
     
  • 4話。電話で会話の断片が交互に描写されるところが演出として良かった。


 

*1: 
古川知宏(監督)×樋口達人(シリーズ構成)×中村彼方(作詞家)TVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」放送打ち上げロングインタビュー(後編)
https://akiba-souken.com/article/37334/






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell