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 クリストファー・ノーラン“インセプション”






“INCEPTION”
 Director : Christopher Nolan
 US, 2010







 これはすごかった。いろいろなところで絶賛されていたので、ぜひ見たいと思ってたんだけど、期待に違わぬおもしろさだった。
 でも…… 何を書いてもネタバレになりそうな。
 最低限言えるのは、「夢に潜る」っていう技術がある世界での物語なんだけど、夢に潜るとはどういうことかっていうのを、説得力あるビジュアルとアイデアに満ちた設定で示したエンターテイメント。
 たぶんどんな趣味趣向の人が見ても楽しめるはず。
 まだ見てない人はこれ以上は何も知らない方がいいと思う。
 さしあたり内容に触れず言えることは…… 〈アーキテクト〉のアリアドネがすごくかわいかった!
 演じてるエレン・ペイジは、一般的なハリウッド映画の女優にはいないタイプ。グラマラスではないし明白な魅力があるわけでもなく── だからこそ存在感がある。初登場時の、いかにも世の中を舐めきった大学生、っていう雰囲気が最高。でもとても賢いし、いろいろ気を配る良い女の子だったりする。





(以下はネタバレを含む雑多な感想。クリティカルなネタバレはしてないけどけっこういろいろ明かしてると思う。ただしIMDbのFAQ項目を書いたところは、かなり重要なネタバレになってしまってるはず)



 まず、夢に階層がある、っていう設定がすごくおもしろかった。
 夢の中の夢っていうアイデアは、絶対誰でも考えつくことだと思うんだけど、それをクライマックスにもってくるんじゃなく冒頭からあっさり出してしまっていて、階層構造を所与の前提として話が進んでいく。つまりこの程度のアイデアはまだ序の口、ってことだ。
 ここからさらにひとひねり加えられていて、階層ごとに時間の流れ方が異なるというのがより大きな特徴となっている。深い階層に移行するに連れて、時間の進み方が20倍になる。つまり現実時間で5分経過するとき、夢の第一階層では100分過ごすことができる。そして夢の第一階層の中で見る夢……すなわち第二階層の夢の中ではさらに20倍速くなり、現実時間換算で33時間分を過ごすことができるわけだ。
 この映画の秀逸な点は、「チーム」による共同作業という形態を取ることによって、第一階層で作業するメンバー、第二階層で作業するメンバー ……など、階層をまたいでの共同作業と階層間の時間差とが絶妙に絡み合っていることにある。
 そして、夢の中で起こる事象は、上位階層の夢で起こっていることに影響を受ける。たとえば、上位階層で水の中に突き落とされたら、下層の夢の中では洪水が襲ってきたりする、などだ。だから夢の中での「作戦」では、そのあたりの影響も考慮しながら活動しなければならない。
 このへんの設定はけっこうわかりづらくはあるんだけど、序盤で〈アーキテクト〉を仲間にするときにチュートリアルっぽく説明するシーンがあるので、そこでわりと理解できる。(込み入った世界設定をどう観客に説明するか?っていうときに、観客と同程度の知識しかない新参者への説明、というかたちは非常に有効なわけだ。)

 なんかね、この映画つくってるときに、設定に関してたぶん膨大なブレストがおこなわれたと思うんだけど、それに参加してみたかったな…って思う。他にももっといろいろおもしろそうなアイデアを加えたりできそうだし、そういう話をただ延々としてるだけでおもしろそう。
 たとえば、夢の中で何か自分の動きが異常に遅くなってうまく走れなかったりすることとかあると思うんだけど、そういう現象をうまく絡める、とか。あるいは、もっと空中を飛び回れたりしてもいいよね、とか(俺はけっこうそういう夢をよく見る。夢の中での移動手段はデフォルトで空中飛行、ぐらいの感じで)。
 まあそのへんは制作時にもスタッフ間で既に出てるアイデアなんだろうとは思うけど、そういうの話す会議って、すごくおもしろいだろうなー。



 物語内容について言えば、コブがかつておこなったインセプションというのがどういうものだったのか、というところはなかなか唸らされた。
 逃がすため/救うためにおこなったことが裏目に出てあのような結果になるわけで、たしかにそうなるよな、って感じではあるんだけど、言われるまではまったく思いもよらなかった。
 また、インセプションをおこなうにはネガティヴなメッセージを植え付けるのではなく、ポジティヴな内容のものの方がいい、というのも効いている。
 巻き込まれてしまったフィッシャーの立場からするとただ大迷惑なだけのはずなんだけど、“disappointed”の理由をああいうふうに持ってくれば、父子の和解とコブたちの目的の両方がうまく果たせて、後味が良い。

その他
・航空会社をあっさりまるごと買い取るとか、ミッション完了の暁には過去の犯罪履歴を消すってあたりに、ギブスンっぽさを感じた。
・夢の共有の技術的な仕組みがいまひとつ分かりかねた。なんか神経接合的な技術が確立されているという前提なのだろうか?
  まあよくわからないけど夢をつなぐ謎装置が現実化している世界、という程度に受け入れとくだけでいいことなのかもしれないが。
・あとはアリアドネの扱い。迷宮をつくる、という意味からすればむしろダイダロスの役割ではある。とりあえず、彼女が「脱出」にあたってのキーとなってるとは断言しづらい。
  もうちょっと決定的な活躍の仕方もあり得たような気はする。彼女のトーテムの伏線が投げっぱなしなのももったいない。


 続編を希望したくもあるけど、こういう終わり方をしている以上、少なくとも同じ登場人物を出すってわけにはいかないかもしれない。
 夢に潜るという同じ世界設定を使いつつ、人物は一新してまったく別の話を展開する、ってしないと、あのエンディングは台無しになってしまう。
 このチームメンバーはみんな魅力的で、とても名残惜しいんだけどね。






[参考]
IMDbhttp://www.imdb.com/title/tt1375666/

 しかし、この映画ほどIMDbのプロット梗概とFAQが役立ったのはないな。梗概は複雑な進行を思い出すのに役立つし、FAQには疑問点に対し可能と思われる説明がだいたい書いてある。
 みんな一生懸命いろいろ考えてるなー……。これだけ膨大な量のテクスト見ると、あんまり自分であれこれ考察する必要感じなくなる。
 プロット梗概:http://www.imdb.com/title/tt1375666/synopsis
 FAQ http://www.imdb.com/title/tt1375666/faq

おもしろかったのはこのあたりかな。
・フィッシャーが撃たれて死んだあと、チームは彼を蘇生させることができた。なぜ同じことをサイトーに対してもできなかったのか?
・結末でもしあのままコマが回り続け、コブの現実は実は夢だったということなら、映画の最初の方で彼がコマをまわしたときにはなぜ回転し続けなかったのか?
・結末は夢なのか現実なのか?
・夢の階層の順番は?
・もしコブとモルがリンボーで50年分年を取ったなら、なぜ線路のシーンでは若くなっていたのか?
・結末は現実だとして、コブとサイトーはどうやって飛行機の中の現実に戻れたのか?
・鎮静剤が切れる前にリンボーで死んだらどうなるのか?
・フィッシャーへのインセプションの計画は当初どんなものだった?
・冒頭での抜き取りミッションでは何が起こっていたのか?
・映画全体が夢であるとして、それを裏付ける根拠はあるか?
・映画内に現実部分が存在し、またエンディングでのコブが現実にいるのだとして、それを裏付ける根拠はあるか?
・あるいはその両方が同時に真であるということは可能か?


上記FAQ内容からいくつかメモ。
・オープニングでのコブは結婚指輪をしている。以降、コブが指輪をしているのは夢の中だけ。そしてエンディングでは、指輪をしていない。
・コブの夢のなかで出てくる子供たちと、エンディングでの子供たちは、着ている服が微妙に違っている。
・エンディングでの子供たちは夢のなかと同じ年齢であるように見えるという指摘がIMDbへのコメントでも多数見られるが、キャスト・クレジットをよく見ると、子供たちは二組によって演じられていてそれぞれ2歳ぐらい年が離れていることがわかる。つまり、エンディングでの子供たちは夢のなかよりも時間が経過しているということがきちんと意図されている。

……これらを見てわかるとおり、この映画は些細なディテールも含めて非常に緻密につくられている。そしてこうした諸々からの帰結として、エンディングでのコブはおそらく現実にいるのだろうという推論に導かれるわけだが── まあそれを議論することがきわめて野暮な事柄であるのは言うまでもない。
 コマが回り続け微妙にゆらめき始めたところでクレジット・ロールに移る、という描写は、現実と夢を曖昧にするためのわかりやすい演出で── 今後、映画制作の教科書で典型的な演出技法例として頻出するんじゃないかと思えるぐらいにベタな手法だ。ただし、ここで重要なのは、そうしたベタな演出が示しているものこそこの映画でもっとも言いたかったテーマであるだろうということ。だとすれば、現実と夢に区別をつける必要はない、ということこそがこの映画での枢要のメッセージのはずだ。
 50年間も夢に耽溺しきったモルを現実に戻すためにインセプションをおこなったコブ。
 現実に戻っても、そこが現実ではないと思い続けるようになってしまったモル。
 このどちらにおいても、「現実/夢」という区別のセットのうち、「現実」が優位なものとして選ばれている。
 ところが、エンディングでのコブは、回転し続けるコマの行方を確かめることをせず庭へ出てしまう。それはつまり、現実と夢のどちらであろうととにかくそのときのその幸福な状況を自分は受け入れる、という姿勢なわけだ。そして居間に残ったカメラも、コマの最終的な行方を撮らずにクレジット・ロールへ移ってしまうことで、コブのスタンスに同調している。コマこそは現実と夢を区別する唯一の手段であり、コマの放置は、その区別を放置することと同等だ。
 決して「現実」にたどりつけないというような強迫観念を持たされてしまったモルも、そのモルからの誘いに反発し続けたコブも、「現実」の優位性という呪いに苦しめられているようなものだと言える。そしてエンディングでのコブの行為は、現実/夢という区別を問うこと自体を止めることで、このオブセッションからの脱出を果たしたのだとも考えられなくもない。













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―Angela Mitchell