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 今井哲也 “ハックス!”






ハックス!(1) (アフタヌーンKC) ハックス!(2) (アフタヌーンコミックス) ハックス!(3) (アフタヌーンコミックス) ハックス!(4) (アフタヌーンコミックス)






 日常会話がリアルな漫画、って話題になってたのをちょっと前に見て興味持ったので、読んでみた。
 (→漫画「ハックス」の口語表現のリアルさについて http://togetter.com/li/821443

 全部で4巻。ほどよい長さでうまくまとまってると思う。
 高校のアニメ同好会の話。部活紹介のとき流れたアニメに主人公が衝撃を受けて、ほとんど活動休止状態の部に入ってからまわりを巻き込みながら引っ張っていって、文化祭で一本のアニメ作品を発表する……ってところまでの漫画。




1. 日常会話の表現について

 この漫画の台詞を断片的にそれだけ切り出して見てみると、たしかにすごくリアリティあるっていうのはわかる。

「いや
 どうせ自主制作っていうのは あの――
 悪い言いかたですけど
 でもね こう
 文句言う人がいたらね
 じゃあ じ 自分と
 同じ枚数作画
 してから言えって
 言ってね あの」
(『ハックス!』 4巻 p213)


 こんな感じで、通常省略されたり修整されたりしがちな言葉の途切れや吃語・倒置がそのまま表現されてたりする。(これ、もう少し突き進めれば、会話分析の転写記法にも近づいてくと思う。)
 だけど、全体の流れで読んでいくとむしろあまり意識されてこない。たぶん自然すぎて。
 『ゆゆ式』なんかもそういうところがあった。あれも会話が自然っていうかリアルで。いわゆる「役割語」とかがぜんぜんない、ってぐらいのレベルはもちろんとっくに通過してるんだけど、もっと口語的な省略の多用とか、ふつうなら編集段階で校正されてもおかしくなさそうな境地にまで行ってる。でも読んでるときはもうそういうのに意識向かないし、ふつうに頭に入ってくるだけ。

「観た?」
「…きのう…」
「レンタル屋さんー?」
「うん…」
「ケース手にとって?」
「ハイ…」
「なんで?」
「…ぼ
 冒険…
 かな?」
(『ゆゆ式』 3巻 p105)


 ただ、そんな感じのすごく突き詰めた口語表現ってのが、じゃあ作品上、あってもなくても意味ないのかっていうとそんなことはなくて。『ゆゆ式』にしても『ハックス!』にしても、これがこういうリアルな口語体で書かれてるのとそうじゃないのとじゃぜんぜん印象違ってたはず。
 特に『ハックス!』の場合、キャラクターの心情や人間関係のリアリティをさらに補強する効果として機能していると思う。



2. ストーリー・テーマについて

 全体を通したテーマとしては、熱意とか、何かを成し遂げるとか。やり続けることが重要、みたいな。
 ……っていうふうに言うとなんかありがちというかすごくふつうな感じあるけど、そういった前向き努力みたいのと周囲との関係、っていうのがこの漫画の特長。
 ひたむきな情熱っていうのがまわりにどういう影響を与えるか、あるいはまわりからどういう影響を受けるのか。良い影響を生むのもあるし、軋轢とか亀裂を生んだりっていうのもあるし。自分が与えた影響を本人が反省的に再帰させてるようなところも描かれてる。






 主人公は、熱意があって純粋・直情的。だけどまわりから見ると変わっててわりと浮いたキャラ。みたいに描かれてるんだけど、漫画としては中心的キャラだし、実際、ストーリーや状況を誘導していく役割でもあり。で、その主人公のまわりのキャラクターたちっていうのが、「きれいなキャラ」と「みにくいキャラ」って言うこともできるほどはっきり対比させて描かれてる。そしてその対比は、成功・達成・上昇っていうのと失敗・挫折・停滞っていうのの対比にもなっていて。
 この漫画、基本的には情熱とか継続っていうことの肯定・賞賛、みたいなスタンスで書かれてはいるんだけど、ただ単に「障害があっても情熱持ち続けてれば目標が達成できるよ」みたいなのじゃなくて、前進しようとしてる人たちとそうじゃない人たちとの対比・関係のなかで描いてるっていうのが。けっこう容赦ないとこもあるんだけど。でも、会話的なリアルというのとはまた違った意味でこれリアルだと思う。




 ちょっと余談気味になるけど、これ、高校生を描写対象としてるのでこういう感じになるってのもあるかもしれない。もうちょっと大人・社会人になって同じようなこと語る場合にどうなるかっていうと、たぶん SHIROBAKO の22話のような。平岡とタロー、堂本さんと新川さん、っていう並行した飲みのシーンの回が一例になると思う。あの回って SHIROBAKO 全体のなかで見てわりと特殊だし、作品主張を考える上でも重要な気がしてるので。
 SHIROBAKO というのは一応アニメ業界をそれなりにリアル路線で描いている作品ではあるけど、でもやっぱり理想化されてる面はあるし、自覚的につくられてもいる。プロデューサーが言ってるみたいに、

SHIROBAKO」は、「あるある」50%、「こんなんだったらいいな」20%、「ネーヨ!」10%、「え(゚_゚;)」10%で構成されています。あと10%は?
 堀川憲司 @horiken200
 https://twitter.com/horiken2000/status/520197993597657089


っていう。宮森なんか、自己認識はともかく作品内の行動見てるかぎり相当優秀だし、なんだかんだいっても結果としていろいろうまくいってる、だけど現実はああじゃないよねたぶん、っていうのはみんなわかって見ているはずで。かといって極端に荒唐無稽・ファンタジー、ってわけでもなく、理想と現実のほどよい比率の範囲内にある作品。
 ……なんだけど、22話での二組の会話シーンというのは、そのあたりを補完するような、少しだけ実際のアニメ業界の姿がどうなのかを垣間見せるようなものとしてつくられてる気がする。とくに平岡。宮森が『ハックス!』の主人公みよしのような「成功」「理想」を体現してるようなキャラだとして、平岡ははっきり「挫折」「現実」を表してるキャラ。2クール目での宮森/平岡という対比は、理想化されたアニメ業界と現実のアニメ業界の対比そのもの。タローというのも、“優秀な” 宮森と常に対比させられてるキャラだったわけだけど、そんなタローが平岡と飲みにいって、そこで平岡が本心を吐露、解放を得る、というのはちょっと象徴的というかなかなか胸に迫るものがある。また、堂本さんと新川さんによる会話は、主人公宮森を客観的に批評していて、これはあたかも現実のアニメ業界関係者が作品をメタレベルから評して語っているかのように聞こえたりもする。




 アニメ業界全体を見たとき、個人それぞれの成功/挫折の話以前に、業態としてそもそもかなり深刻な状況になってる、って現状がまずあって*1。そういったときに平岡、あるいは堂本さん新川さん、というキャラの方が現実には圧倒的多数のはず。それを踏まえた上で、平岡が22話でほんの少しだけ救われる、っていうのと、あとは最終話打ち上げのところで堂本さん新川さん含め大団円迎えられる、っていうのが、ある意味「希望」として示されてるところがある。(平岡は三女打ち上げを迎えずにムサニ辞める、って可能性だって充分ありえたわけだから、無事打ち上げを迎えられただけでもひとつの「成功」ではある。)
 そういったあたりが、熱意ないサイドキャラクターたちが容赦なく切り捨てられてるような『ハックス!』との違いではある。だけどそれは高校生を描く作品と大人を描く作品の違いでもあるかもしれない。現時点で突き放されてるようには見えても、そのままずっといくとはかぎらないし、高校生なのでまだ今後さまざまな機会もあるだろうから。……いや、作品内だとかなり救いようなく描かれてはいるけどね?*2―― だとしても、若いというのはそれだけでもう既に希望っていう属性が自動で備わってる状態だとは思うのだ。
 一方で SHIROBAKO の場合は、容赦なく切り捨てる、って描写はなかなかしてない。大人に対して同じような扱い方をすると…たぶんあまりに救いようない感じになってしまっていたと思う。だからこそ平岡には最終的に変化の予兆が与えられたのだし、あるいはもしかしたら12話の杉江さんなんかも、そういう「希望の回復」みたいな描写のひとつだった気もする。



 話を『ハックス!』に戻すと、この漫画には秋野ふみという、主人公の未来の姿ともいえるようなキャラクターが登場するんだけど*3、4巻末尾の「先輩」の目から主人公を見たときの台詞がまさに、大人/高校生の対比視点ともなっている。




 ここ、未来の自分からの客観的・冷静なアドバイスによって窮地を打開、みたいに取ることもできておもしろいんだけど、同時に、大人になった自分があたかも過去を思い出として振り返って見てるようでもあって。ある意味、時空を超えた対話、みたくなってる。

「え いや
 そりゃ もっと
 現場
 居たら
 いろいろありますよ?
 けど いいんですよ
 若いコは ほら
 あれくらいで
 あ 私もまだ
 若いですけど!」
(『ハックス!』 4巻 p219)


 ……だけど、やっぱりこの時間軸には除外されてしまっているものもあるように思っていて。どうしても、漫画内で残酷に敗北してしまっているサイドキャラクターたちのことも気にかかってしまう。
 若いというのは、いまだ「失意」を――そしてそこからの復活、あるいは癒やしを知らないということだとするならば。
 その意味でいうと、主人公はたしかに若いし、もしかしたら、主人公が大人になった姿でもあるところの秋野ふみですらもまだ若いのかもしれない。
 だけどそのような「若さから大人への移行」といったことはこのふたりによって描かれているのではなくて、サイドキャラクターたちにおいて、語られていない彼らの未来、潜在的な軌道修正の可能性として示されている、と考えたい。これは作品が直接明確に語っていることではないとは思うけれど、若さとか青春とかいったテーマが称揚的に描かれているとき、そこには負の面もあるかもしれず、だけど若さという概念はそうした負から恢復できる未来すらも含んでいるほど可能性に満ちているべきだ、と。……そんなことを結局のところ考えて読んだ漫画だった。




*1:cf.
 「アニメ業界はもってあと数年」と庵野監督が発言したことにMBSが更に斬り込んだ解説 http://togetter.com/li/826419
 「アニメーション制作者 実態調査報告書2015」アニメ業界の「実態」 http://bonet.info/review/9266

*2:脱落者の足跡がスタッフロールにささやかながら残される、というのは、かろうじて救済措置と言えるだろうか。

*3:なんとなく、みよしはアニメ業界には進まない、って方がすごくありそうな気が現実的にはするんだけども。






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―Angela Mitchell