“The Practical Past”
2014
Haydon White
ISBN:400061228X
- 作者: ヘイドン・ホワイト,上村忠男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2017/10/28
- メディア: 単行本
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1973年に出版されたヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』は、ダントーの『物語としての歴史』とともに「歴史の物語論」における重要著作と評される。
喩法論から歴史の詩学を展開した『メタヒストリー』は、歴史の相対主義化に与するものという批判を受け、とくにホロコーストをめぐる議論の場に立たされた。
こうした議論を経てあらためて歴史の表象可能性を考察したホワイトが2014年に著した論文集が、この『実用的な過去』である。『実用的な過去』『真実と環境』『歴史的な出来事』『コンテクスト主義と歴史的理解』『歴史的言述と文学理論』の5本に加え、後記および付録『歴史的真実、違和、不信』から成る。
「歴史の物語論」は、歴史がどのように記述されるかいう形式についての考察として重要性を持っているが、歴史修正に通じる相対主義・構築主義という批判がどうしても付いてまわり、取り扱いが難しい。日本でも『物語の哲学』の野家啓一と上村忠夫・高橋哲哉の間でそうした論争がおこなわれている。
「ホロコーストと文学」の議論以後のホワイトについては、以下の記事が参考になる。
『メタヒストリー』が現在に問いかけるもの http://dokushojin.com/article.html?i=2486
「むろん、歴史学の作法として史料の収集を無視しているわけではありません。ホワイトは、史料収集は準備作業として必須とするのですが、そのときすでに叙述の「特定様式」を選択しているとするのですね」
「ホワイト流にいえば、リアリティの作り方のひとつに過ぎない実証主義が、あたかもニュートラルなものであるかのように考えられ、全体を覆ってしまい、みながそれで納得させられてしまっているという不幸――いまだに実証主義が「決め手」と見えてしまうモメントが働いているということです。歴史修正主義という相対主義の極北への対抗は、構築論という同根の歴史学では無理であるとして、事実に基づく実証主義へとねじを巻き戻しまっています。残念なことです」
成田龍一による以上の部分にはホワイトの論考が持つ特に重要な意義が示されていると思うのだが、ここには同時にそれが実証主義と相対主義の狭間で非常に難しいバランスを取らなければならない立場であることも表れている。
ホワイトのこの書でも当然のことながら、ホロコーストが起こったことは言うまでもないとされている。しかし実際のところ今後は、「ホロコースト否定論が勝利してしまった世界」での歴史論を考察する必要性が高まっていくだろうとは思っている。
ホワイトの論考の推移
- 『メタヒストリー』(1973)
- ホロコーストと文学をめぐる議論による転機
- 「実用的な過去」
- オークショット由来の「歴史的な過去」と「実用的な過去」の区別への着目。オークショットとは逆に、「実用的な過去」の意義を強調。
- 「歴史的な過去」:専門的歴史家による科学的アプローチによる。
- 「実用的な過去」:人々が日常での実践で参照し用いることのできる歴史。モダニズム文学はこちらに結びつく。
本書の概要
- 「歴史的な過去」と「実用的な過去」
- 過去の出来事は、直接知覚したり観察することができない。歴史家たちは、過去の痕跡を研究することによって過去に接近できると考えている。しかし過去の痕跡は過去自体とはまったく別のもの。
- 19世紀以降の歴史学:客観主義的・経験主義的な科学へ変化し、歴史叙述をレトリックおよび倫理問題から切り離した。国民国家に仕え共同体のためにアイデンティティを提供するという意味での実用性、イデオロギー的中立の標榜。→「歴史的な過去」
それ以前の歴史叙述はレトリックに構造化され、広く人々にとって実利的なもので、「わたしたちは何をすべきか」という倫理問題に答えるものだった。→「実用的な過去」 - 「歴史的な過去」 (historical past)
- 専門的歴史家たちによって「本来の歴史」が何であるかが証拠に基づいて承認され、構築される。
しかし過去は、直接観察することができずわずかな証拠しか残っていないものであって、実際はさまざまな出来事や事物の総体としてある。承認された「歴史的な過去」もそこから選択されたひとつのヴァージョンにすぎない。 - 「実用的な過去」 (practical past)
- 人々が日常の実践的な問題を解決するものとして利用する過去についての観念。決まった行動のモデルや経験・慣習というかたちで常に携えている。倫理的問題に関わる。
- 歴史学が科学へ変化した同じ時期に、「歴史的な過去」とは別の歴史観念として写実主義小説において登場した。モダニズム・ポストモダニズム文学も「実用的な過去」に関わっている。(ホワイトはリオタールによる「大きな物語」の放棄という主張は受け入れない)
- また、「歴史哲学」(予言的・未来予測的で思弁的な歴史叙述)(ex. ヘーゲル、マルクス、トインビーなど)も、「歴史的な過去」というより「実用的な過去」を参照しているという点で、モダニズム・ポストモダニズム文学と共通する。
- 歴史的な出来事
- 歴史は普遍的・客観的実体ではない
- 歴史自体が支配的な集団の占有物であり、抑圧を二重のものとするためのイデオロギー的な武器である
- 「歴史」は西洋で構築されそこで意義を持つ観念。普遍的ではない。他の文化に似たものがあったとしても、究極的には異なる。
- 出来事(event)と事実(fact)の区別
- 事実は、記述(述定)された出来事である。出来事は、それが事実として立証されて初めて歴史に加わる。(出来事は起こるものであり、事実は立証されるもの)
- モダニズム文学
- 歴史叙述と文学作品の関係について
- 歴史のナラティヴは、出来事を写実的に表象したと主張するが、あまりにも滑らかに進行しすぎている。
実際の歴史は不規則に進行する。歴史は、包括的なプロット、あらかじめ定められた始まり・結末・目標・行き先といったものを持たない。 - 文学は、実在した過去のうち「歴史的な過去」が扱うことのできない側面に焦点を合わせることができる。
- モダニズム文学の特徴
- 文学≠フィクション
- ナラティヴ化はプロット化と捉えることができるので、ファクチュアルな(事実に基づいた)ナラティヴとフィクショナルな(架空の)ナラティヴという区別は重要性を持たない。
- フリートレンダー『絶滅の歳月』の精読
- フリートレンダーの記述の特徴
- 中動態(バルト/バンヴェニスト)
- フリートレンダーの語りの様式は、書くという行為そのものの内部に自らを置く「中動態」の語り方。何が語られたりしているかということと、それがどのように語られているかということを区別できないようにしている。
- 脱ナラティヴ化・脱プロット化
- フリートレンダーが言及しているのは日記の作者たちの「証言」ではなくて「声」であり、「言明」ではなく「叫び」「囁き」。
「声」を持った発話の様式で語りはするがナラティヴ化することのない歴史叙述の新しい可能性の条件をつかんだ。(脱ナラティヴ化)
著者自身が、ホロコーストの生存者でありながら、出来事の流れを脱ナラティヴ化・脱ストーリー化している。 - 全体として納得のいく道徳的・倫理的結末を迎えるようにはプロット化されていない。通常の物語論的な期待を裏切る。
フリートレンダーは、ホロコーストについての歴史を、ナラティヴ化することなく(つまり古典的なプロット構造を用いることなく)語っている。 - 「星座的布置」(ベンヤミン)
- ゆるい年代順的パターンによる「星座的布置」のテクニックを使用(概念よりも言語イメージを優先するやり方)
各章の標題が日付だけであることは、ホロコーストを脱ドラマ化する効果を生む。
主題をひと続きのシーンとしてではなく、「星座的布置関係」として提示することで、歴史をプロット化しようとする傾向に抵抗する。記述が馴致されるのを防ぐ「違和」「不信」の効果を生み出す。中心的な主題の展開を表象するようにはプロット化されていない。 - 時間によって整序されていないテキスト。書くという行為は必然的に単線的なかたちをとることになってしまうが、フリートレンダーは、時間的な「前と後」の軸から、言述の「表面と深部」の軸へ向かせるやり方を採った。
テクスト間の関係は、同等性と同一性よりも、相似性と隣接性によっている。様態的(modal)なテキスト。