2008年の “Unitxt”、2011年の “Univrs” と続いた “UNI-” シリーズの幕を引くアルバム。
このシリーズは、ビートが強いフロア向けのサウンドを追求したもの。Alva Noto / Carsten Nicolai の音源のなかではもっともアプローチしやすい。聴きやすいサウンドだけど、Alva Noto らしくやはりミニマルではある。緻密で構築的という特徴も保たれている。要素としての音それぞれの感触にも、はっきり Alva Noto の個性が表れている。
Alva Noto の楽曲で用いられているサウンドは、ノイズやグリッチ、ドローン、ベースライン、シンセ、といったようなことばで記述することができるけれど、ここではもっと簡単に、連続音と短音というふたつで考えてみたい。
シンセの主旋律やドローンが担っているのは連続音。派手ではないけれど情感を表すメロディをかたちづくる。
一方、ALva Noto のサウンドを決定的に特徴付けるのは短音の方。グリッチやビープといったような、現れるやいなや消えてしまうような瞬間的な音。これらの短音は、単体で取り出すと、機械の発するノイズのようなものにしか聞こえない。ところが同じ音が反復されてリズムのなかに配列されると、楽曲を構成する要素に姿を変える。
長さのある線と長さを持たない点という区別。
こうした二種類の区分はどのような音楽からも程度の差はあれ取り出すことはできるだろうけど、Alva Noto の場合、持続しない破砕音の多用、絶えず続いていく微少な短音の反復が非常に目立つ。
聴く者にとって、そこにはふたつの特徴がある。個々の短音が、瞬く間に過ぎ去る知覚体験であること。捉えようとしたときには消えているそれらは、ただ記憶のなかに刻まれたパターンとして残る。そしてこれらの音が残響を伴わないこと。音像内での定位によって抽象的な広がりは感じさせても、それが置かれた空間の形状を感じさせない。示されるのはただ位置そのものだけ。このこともやはり「パターン」に意識を向けさせることにつながる。仮にこの音楽を視覚化してみるなら、微粒子が秩序立ったパターンの上に散りばめられているような姿として表象されるだろうと思う。
こういった特徴は “UNI-” シリーズのみに限ったものではなく、“Trans-”シリーズなどではもっと顕著に出ている。
だが “UNI-” シリーズは、抽象的な点の連なりだけにすべてが尽くされるわけではない。鋭い短音が列する背後では、環境を構成する連続音が機能している。音響的な特質はこれら連続音によって生み出されている。また、残響を引く低音のビートも音像全体の基盤として重要な役割を果たすものだ。微粒子の抽象的パターンはそうした具体的な情景や音像の上に形成され、結果、全体の統合として楽曲ができあがっている。
短音の秩序ある配列がこうした全体のなかで持つ働きは、定規のような補助線、方眼紙のグリッドラインのようなものと見てもよいのだろうけど、自分としてはむしろ、微細な瞬間への志向、圧縮された時間の局所へ意識を向ける仕掛けだと整理したい。
“Uni Normal” のような典型的なテクノのフォーマット、“UniEdit” の分断され引き裂かれたようなビート、あるいは “Uni DNA” でのヴォイスが主導するトラック。いずれにおいても微細な音の数々が知覚を研ぎ澄ませて内部に誘い込む構造があり、そのように鋭敏に開かされた知覚で体験される解像度の高い世界がこのアルバムには広がっている。
Alva Noto
Information | |
Birth name | Carsten Nicolai |
Origin | Saxony, East Germany |
Current Location | Berlin, Germany |
Born | 1965 |
Links | |
Official | http://www.alvanoto.com/ |
https://twitter.com/alvanoto | |
Label | Noton https://noton.greedbag.com/buy/unieqav/ |