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“写真の時間” 2019.08.10. - 2019.11.04.





TOPコレクション イメージを読む 写真の時間
 The Time Of Photograpy
 東京都写真美術館




 写真芸術において「時間」というものが表現されている作品を集めた企画展。計34作家、110点。
 写真とは現実世界の情景を切り取って焼き付けたものである、というように思ってしまうのだが、そのような「静止画」で「時間」を表現することなどできるのだろうか。
 この企画展では、大きく三つの方向に分けて、「写真」と「時間表現」というテーマを示している。
 かなりキュレーションがうまくいっている展覧会だと感じた。




第1章 制作の時間
 このパートは、写真の技術・技法的側面が時間とどう関わっていたかを示している。
 特に写真が誕生した頃、露光時間の制約は写真の表現結果に影響を及ぼした。
 また現代でも、撮影の際のブレや光の軌跡といったものを表現に取り込んだ作品がいろいろある。
 こうしたものには、「一瞬」ではなく一定の長さの時間が表れていると見ることができる。

第2章 イメージの時間
 提示された作品自体、写真そのものに時間が表現されている作品。
 たとえばある個人が積み重ねてきた年月、人生といったものが表情の中に写し出されているような。
 別の言い方をすると、ここでは解釈・読み取るという行為が重要性を持っている。「瞬間」からさまざまな情報を読み取るわれわれの能力。

第3章 鑑賞の時間
 このパートもまた技法に関わる。というか、提示の仕方。
 単体の写真ではなく、複数の写真を並べて配置することで表現が成立しているような作品。



 実際、写真芸術とは必ずしも「現実をそのまま静止画として切り取ったもの」ではない。
 初期の技術的制約はともかく、現代においても、フレーミングという概念や印画過程、人間の視覚と二次元作品の違い等々を考えれば、写真とは決して人間が見ている情景を固定化したような単純なものではないとわかる。
 それでも、写真が「現実を時間的に固定化したもの」だと思われてしまっているという通念があることはたしかで、それが鑑賞にあたっての暗黙的前提として働いている面はある。逆に言うと、そういう通念があるからこそ写真芸術は成り立っている。(こういう「切り取り方」をした写真家はすごい、というような。その切り取り方に価値がある、と思われている)
 しかしここで展示されている作品は、「ではこの写真における時間はいったいどの瞬間なのか」とあらためて問い始めると、はっきりした答にたどりつかないような作品だ。特に第1章と第3章は。そういう意味で、写真の暗黙の前提・通念を揺るがせている。




出品作家
伊藤 義彦、内田 九一、川内 倫子、鬼海 弘雄、小島 康敬、佐藤 時啓、杉本 博司、田口 和奈、土田 ヒロミ、東松 照明、中平 卓馬、奈良原 一高、畠山 直哉、濱谷 浩、堀 与兵衛、緑川 洋一、森山 大道、米田 知子、ウジェーヌ・アジェ、ロバート・キャパ、ハリー・キャラハン、ウィリアム・クラインアウグスト・ザンダーシンディ・シャーマンエドワード・スタイケン、W.ユージン・スミスエドゥアール=ドニ・バルデュス、アンリ・カルティエ=ブレッソン、フェリーチェ・ベアト、 ドゥエイン・マイケルズ、シャルル・マルヴィル、ジョナス・メカスエドワード・ルシェ、NASA(計34作家)

 







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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell