“キャロル&チューズデイ”
全面的に音楽をテーマにしたアニメ。
近未来の火星を舞台にしているけれど、ほとんど現実のニューヨークのような雰囲気。
劇中曲をかなり力を入れてつくっているのが大きな特徴。
とくに主役ふたりのユニットは、通常シーンを担う声優たちとは別に、演奏・歌唱シーンでは実際にオーディションで選ばれたミュージシャンふたりが英語で歌っていたりして、本格的。
主役以外にも劇中世界のミュージシャンが多数登場し、彼らが演じるどの曲も手を抜かず、物語の展開上も説得力があるものとしてつくられている。
また、作中で演奏されるシーンの細かな描写も非常に良い。鍵盤を弾く指の動き、ギターの弦を擦る音。さらには、楽器ケースを開け閉めする効果音まで。音楽に関わる空気感というものの再現に力が注がれているのがよくわかる。
また、ダイバーシティをすごく意識している。民族的/文化的/性的/経済的/政治的etcにあえて多様な集団を登場させ、共存している様子が描かれている。このあたりが、単に都市の表面的な部分をなぞっただけではなくそこに住む人々も含めてニューヨークっぽい雰囲気につながっているところ。
そして、こうした面が最終的に、排外主義と多様性が対立する物語の大きな軸につながり、ラストへ収束していく。
このラストこそが第1話冒頭から繰り返し予告される「奇跡の7分間」に他ならないわけだけど、実際、ラストにやりたい構図が最初に決まっていて、そこから全体を逆算してつくったように見える。
「身寄りもない難民の娘」と「排外主義を掲げて選挙運動中の大統領候補の娘」によるユニットが、抑圧を増す状況下でミュージシャンを集めてプロテストソングを演奏する、というクライマックス。
けっこう最後の方が畳みかけるような展開で、若干急ぎ足なところもあったところは否めないと思うんだけど、とにかくこのラストの一曲と、抱き合うキャロル、チューズデイ、アンジェラという3人の絵、そのあとの “Will be continued... / In your mind.” というテキストが、最初に固まっていたイメージなんだろうなと思う。
「視聴者の心の中に続いていく」というつくりが、単なる物語の余韻というだけではなく、現実世界の状況を踏まえて、それに抗していくための力になるように…という願いが感じられる。
この作品、現在のアメリカ情勢と第45代大統領*1に象徴される世界的な排外主義傾向というものへの危惧を明確に出しているのだけど、いまの日本でこれを世に出したのはかなり反抗的な試みだと思う。プロテストソングというもので物語を終わらせるなんていうのは、社会運動に対する冷笑と無理解が浸透しきっているこの国におけるフィクションの時流からすると、稀少と言ってもいい。「ミュージシャンが自主的に集まって希望的な歌を演奏する」なんてものが嘲笑の対象ではなく素直に描写されているのを見ると、この時勢でよくやったな……とむしろ心配してしまうぐらい。
この作品も、デモのような「怒り」の属性の社会運動ではなく、音楽、しかも “Mother” なんて「融和的」な属性を持ったものを据えているのは、逆にデモ的な社会運動の有効性に対する否定に見えなくもない。意図はしていないだろうとしても香港の目下の状況と比較すると、どうも煮え切らないものを感じる。
ところがこの作品の真に秀逸なところは、実際あの「奇跡の7分間」のあと物語世界を変えられたのかどうかをあえて描かない、という点にある。
だいたい、ヴァレリーがあっさり転向したところで、もはやこれまでの支持者が納得するはずもないし……。けれどもその先どうなるかは描かれない。あくまでもあの7分間までで物語は終わり、その先は、ただ何もわからない未来というわけだ。
楽観的で安易なハッピーエンドが実現したのかどうかを描写せず、あの「7分間」の結果がどうなるのかは、ただ「つづく」として終わらせる。しかもその続きはむしろ視聴者の現実世界へつながるべきものなのだ、っていうのは、メッセージとしてはかなり明解。
自分としては、時下の潮流で決定的な不帰投点はとっくに5、6個過ぎてる、という認識でいるので、いかにこのラストに心を揺さぶられたといっても、だから明日から現実社会を変えるためにあらためて何かがんばろうという思いにはならない。しかしだとしても、自分がどの側に寄って立つのかを再確認するというだけで、この作品には意味がある。