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ル・グウィン “パワー”




 ル・グウィンが晩年に書いたシリーズ “西のはての年代記” の最終巻。
 魔法が登場するファンタジーだけど、“アースシー” シリーズとは大きく雰囲気が異なる。
 このシリーズにおける“魔法”は、世界全体で統一的な体系下にあるようなものではなく、地域ごとに発現様態や扱われ方が異なっている。もしかしたら共通の原理から生まれたものなのかもしれないけど、でも実態としては、各地の民族が別々に持っている異能力といった感じ。そして大多数の人々は魔法とは無縁。辺境の民が使っていたり、限定した氏族が秘かに守っているものだったり、いずれもローカルなものであって、特定の集団や文化と結びついた秘匿性・限定性がある。
 『ギフト』『ヴォイス』『パワー』という各巻は、それぞれ主人公を変えながら、こうした限定的な超常力の何かしらを絡めて物語を進めていく。


 最終巻『パワー』は文庫版で上下二巻に及ぶ。舞台がひとつの地域に留まっていた『ギフト』『ヴォイス』と違い、世界を渡り歩いていろいろな地域をめぐるという内容で、結果としてシリーズでもっとも長い作品になっている。
 その遍歴はつまるところ、逃避行。奴隷の境遇にあった主人公がさまざまな地域をめぐる果てにようやく安住の地にたどり着き自由を手に入れる、という過程だ。
 小さな都市国家が分散して地域ごとに細かく文化が異なっているというのがこの作品世界の特徴だけど、もうひとつの特徴として、何らかの奴隷制度的社会形態を持った地が多いというものがある。自由を求めて西方世界を幅広く移動する『パワー』では特にそれがよくわかる。
 この支配-隷属関係は各地で所与の社会構造としてあり、隷属側に属する者も基本的に自己の境遇を疑わず受け入れている。
 『パワー』の主人公はあるできごとをきっかけにそうした場から逃げることを決意するのだが、しかしどこへ行っても似たような支配-隷属関係に抑えられた地が続く。
 このあたりの描き方がけっこう巧妙で、主人公の視点では最初、そうした社会形態にも肯定すべき面がある、と見える。それは主として支配側にいる特定の人物の性格や態度が影響した考えなのだが、しかし主人公は毎回裏切られ、ひとたびは信頼を寄せつつも不当な事態に見舞われて結局そこから逃げ出す、ということを繰り返す。
 読者の目からすれば、支配-隷属関係があるかぎりどこも真に安住すべき場所ではないだろう、と見えるのだけど、主人公への共感視点で読むとこちらとしてもしばしば見失い、主人公同様に、今度はまともな場所なのかも……とつい思ってしまったりする。
 これを単に近代以前の未開世界、みたいな対岸のできごとのように思ってはいけない。こうした抑圧的構造が現代のこの世界では克服されているか、というとそんなことはないのだから。読者であるわれわれは作中世界の抑圧構造がはっきり見えると思っているけれど、ではわれわれが現にいま生きているこの社会はどうかと翻って見たとき、われわれも見過ごしているものがないとは言えない。たとえば、昨今のさまざまな「異議申し立て」と、それに対する反発。あからさまな奴隷形態ではないとしても、見えない支配-隷属、上下の権力関係は、現代の現実世界でもさまざまなかたちで存在する。
 われわれもまた、主人公同様に「見えていない」隷属関係に囚われているかもしれない。高みから作中世界を見て自分たちと異なる未開と思うことはできない。


 主人公は最終的に抑圧や支配から逃れた自由の地へたどり着くのだが、それが詩と学問の都市であるというのは重要な点だろう。文学と科学こそは普遍的な自由を得るための手段だという作者の思考が垣間見えるからだ。短編『マスターズ』*1のなかで、文明の退化した未来で純粋に学問を追究し異端視された科学者に向けられた視線を思い起こさせる。

 『パワー』の主人公が経る歴程は奴隷状態から自由を求める逃亡の旅だけど、少し見方を変えると、自分と思考を同じくする者を求める旅、自分にとっての帰属場所を求める旅だとも言える。
 作中では各地の社会や習俗の描写が民俗学的精緻をもって描かれていて、人間集団とその生活様態の幅広いバリエーションが感じられる。あたかも現実世界と同等の多様性を備えているように見える程に。
 ちょっと場所を変えれば価値観もまったく違う人々がいる。そのことに気付きさえすれば、可能性が開ける。ここで生きるのは辛いけれど、どこか別の場所に行けばもっと楽に生きられる場所があるかもしれない──それが『ギフト』でオレックとグライに故郷を出る決意を与えた動機であり、『パワー』でガヴィアを延々と旅に駆り立てた原動力であるのだが、彼らはそうした旅の結果、帰属場所を見つけることに成功する。
 シリーズのどの物語も、息が詰まる圧制状態が覆っているのだけど、いずれも最後には自由が得られる。それは物語としての解放感をもたらすものであり、そしてまた、現実のわれわれにとっても、世界の多様性には必ずどこかに自分が適合する個所が備わっているはずだ、という希望を与えてもくれる。



 

*1:『風の十二方位』収載






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―Angela Mitchell