- 作者:ジョセフ・K.キャンベル
- 発売日: 2019/09/27
- メディア: 単行本
もし「決定論」が真だとするならば、人間に自由意志などあるのだろうか? いや、仮に決定論が偽であり世界は非決定論的にできているのだとしても、運や偶然ですべてが進んでいくのであれば、やはりそこに自由意志の余地はない。
この問題は「自由意志のジレンマ」として、古来より哲学のテーマとなってきた。
なぜ自由意志がジレンマに陥るとまずいかというと、何よりも「道徳的責任」の危機となるから。人が自由意志を持たずすべてが既に決定されている、あるいはすべてが運任せにすぎないのであれば、人は自分の行為に道徳的責任を持つことはないのではないか。そうなると人の社会は立ちゆかなくなってしまう、と。
この本は、そのような自由意志をめぐる哲学の諸議論を整理したもの。特に、自由意志のジレンマを導くさまざまな「論証」の詳細に焦点を当てている。
あくまでも決定論/自由意志/道徳的責任の緊張関係が主題であって、ホッブス以降の両立的自由論(身体的・社会的な束縛や拘束からの自由)についてはあまり関心が向けられていない。
古典的問題設定に始まり主要な論証を経て、最終章では現在の思潮が紹介される。「自由意志」にはいろいろ困難もあるのだけど、現に人々の日常概念として、あるいは社会の運行に必要なものとして使用されているのだから、それを前提にこの概念をどう扱っていくか──というところを共通に踏まえながら現状のさまざまなスタンスにつながっていることが見て取れる。
1 自由意志
- 自由意志概念についてのふたつの代表的見解
- 古典説:〈ひとが自由意志を持つのは、他の仕方で行為することができるときに限る〉
- 源泉説:〈ひとが自由意志を持つのは、そのひとが自身の行為の源泉であるときに限る〉
- キャンベル:古典説と源泉説の両方を許容する見解。〈ひとが自由意志を持つのは、そのひとの行為がそのひと次第であるとき、かつそのときに限る〉
- 非決定論 →運の問題
2 道徳的責任
自由意志と道徳的責任の関係を考察する上で生じる自由意志の危機- 自由意志概念のトリレンマ
- [1] 自由意志は道徳的責任に必要である。
- [2] 他行為能力は自由意志に必要である。:古典説のテーゼ
- [3] 他行為能力は道徳的責任に必要ではない。:他行為可能性原理の否定(フランクファート事例によって果たされた)
- 道徳的責任に必要な条件 (不作為のケース(ある出来事を防ぐことを怠るためにその出来事が生じるケース))
- 他行為可能性原理(PAP The Principle of Alternative Possibility)
- 〈ひとが行為について道徳的責任を持つのは、他の仕方で行為することができたときに限る〉
- この原理はフランクファート事例によって反駁された。
- フランクファート事例
- ひそかに脳神経に装置が埋め込まれていて、他行為が封じられているケース。他行為可能性がないのに、でもやはり自分の意志で決断したと言える;道徳的責任がある
- 自由意志の意味について一般的な合意がないという、自由意志の危機
3 自由意志の問題
自由意志の懐疑論を導く論証- 自由意志のジレンマ
- 帰結論証 (非両立論を支持する論証)
- 自由意志についての懐疑論(「基本論証」)
- 自由意志のジレンマのなかでも最も強力で現代的な議論。自由意志について何も前提せずに決定論と道徳的責任の非両立性を直接論じる。
- 基本論証(バージョン1) … ストローソン
- ひとが自らの行為に究極的な責任を持つためには、その行為の源泉であるところのみずからのありかたについて究極的な責任を持っていなければならない。
- キャンベルの見解
- ひとの人生を永遠の過去にまで延長させれば、懐疑的結論は出てこない。
基本論証は、究極的源泉としての自由意志は不可能であることを示しているのかもしれない。だが仮にそうだとして、だれがそれを気にかけるのだろうか。たとえば、わたしたちは誤りえない知識を持たないが、そのことからは、わたしたちがいっさいの知識を持たないということは帰結しない。自由意志についても同様なのではないか。
4 道徳的責任──非両立論と懐疑論
- 3つの論証
- 直接論証 (「帰結論証の第3論証」でのN演算子の代わりに非-責任演算子を用いる)… インワーゲン, ワイダーカー
- [B]:NR(p), NR(p→q)├ NR(q)
- NR(p):〈pは真であり、かつだれもpという事実について道徳的責任を持たない〉
- 直接論証とフランクファート事例の衝突
- フランクファート事例では、自分の意志の結果で行為Aが遂行される因果連鎖と他者の介入の結果で行為Aが遂行される因果連鎖のどちらかが真となり、それ以外の可能性はありえない。
この状況はこの者にとってどうすることもできないことであり、このことに道徳的責任は持たない。
いずれにせよ行為Aをすることになるということもこの者の責任ではない。
したがって、原理[B]を認めるとNR(A)が帰結し、この者は自分の行為に道徳的責任を持たないことになる。 - だがこれは、この者は道徳的責任を持つという、フランクファート事例の結論に反してしまう。
5 自由意志の諸理論
- 自由意志の理論は大きく3つの陣営に分かれる。
- リバタリアニズムの諸理論を区別する行為論の陣営
- 行為の因果説 - 出来事因果説および行為者因果説:「原因」による説明。
- 行為の非因果説:行為の非因果的説明。理由ベースの見解。行為は信念や欲求や意図といった心理学的な項目で説明される。だが、この種の理由は行為を説明するかもしれないが、行為の原因ではない。
- 自由意志についての懐疑論
- 両立論
- 文脈主義:意味論的理論。すなわち、命題ではなく文の意味と真理についての理論。
- 能力帰属文(〈Sはaをすることができる〉という形式の文)の真理条件が、文が発話される文脈に応じて変化するという見解。
- 「知る」「できる」「自由な行為」といった、自由意志の論争に関連するさまざまな語の分析。
- その他の見解
- 改訂主義
- … ヴァルガス:自由意志概念の改訂
- 記述的説明:概念分析にかかわる。:わたしたちがどのように自由意志について考え、語っているのかを記述することにかかわる。
- 改訂的説明:規範的。わたしたちがどのように考えるべきかを教える。
- 改訂主義によれば、自由意志や道徳的責任について信じるべきことは、わたしたちが日常的に考えがちであることとは異なる。
- 自由意志概念の日常理解
- … レーラー:自由意志と決定論の問題は、実践と理論の対立
- 世界についてのわたしたちの思考は両立論者と非両立論者の双方が共有する思考を含むので、それを合意によって片づけることはできない。
- 自由意志についての懐疑論への批判
- メタ両立論
- … ストローソン:メタ哲学的な理由から、非両立論よりも両立論の方が好ましいという見解。
- 懐疑論が共有する形式的特徴:
- 構造的な類似
- 「能力がある」「できる」「知っている」といった、多義的な様相語への依存。