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ジョセフ・K.キャンベル “自由意志”




 もし「決定論」が真だとするならば、人間に自由意志などあるのだろうか? いや、仮に決定論が偽であり世界は非決定論的にできているのだとしても、運や偶然ですべてが進んでいくのであれば、やはりそこに自由意志の余地はない。
 この問題は「自由意志のジレンマ」として、古来より哲学のテーマとなってきた。
 なぜ自由意志がジレンマに陥るとまずいかというと、何よりも「道徳的責任」の危機となるから。人が自由意志を持たずすべてが既に決定されている、あるいはすべてが運任せにすぎないのであれば、人は自分の行為に道徳的責任を持つことはないのではないか。そうなると人の社会は立ちゆかなくなってしまう、と。

 この本は、そのような自由意志をめぐる哲学の諸議論を整理したもの。特に、自由意志のジレンマを導くさまざまな「論証」の詳細に焦点を当てている。
 あくまでも決定論/自由意志/道徳的責任の緊張関係が主題であって、ホッブス以降の両立的自由論(身体的・社会的な束縛や拘束からの自由)についてはあまり関心が向けられていない。

 古典的問題設定に始まり主要な論証を経て、最終章では現在の思潮が紹介される。「自由意志」にはいろいろ困難もあるのだけど、現に人々の日常概念として、あるいは社会の運行に必要なものとして使用されているのだから、それを前提にこの概念をどう扱っていくか──というところを共通に踏まえながら現状のさまざまなスタンスにつながっていることが見て取れる。



 1 自由意志

  • 自由意志概念についてのふたつの代表的見解
      • 古典説:〈ひとが自由意志を持つのは、他の仕方で行為することができるときに限る〉
      • 源泉説:〈ひとが自由意志を持つのは、そのひとが自身の行為の源泉であるときに限る〉
      • キャンベル:古典説と源泉説の両方を許容する見解。〈ひとが自由意志を持つのは、そのひとの行為がそのひと次第であるとき、かつそのときに限る〉

  • 自由意志のジレンマ
    • [1] もし決定論が真ならば、だれも自由意志を持たない。:非両立論
    • [2] もし非決定論が真ならば、だれも自由意志を持たない。
    • [3] したがって、だれも自由意志を持たない。

  • 決定論 →運の問題
    • 決定論は足しにならない。
    • 宇宙のどこかに非決定論的な粒子がただひとつだけ存在し、宇宙のそれ以外の部分は完全に厳格な決定論的法則に支配されているとする。この場合、決定論は厳密には偽だが、しかしこの場合においても自由意志は(この宇宙のほぼすべてを支配する)決定論と両立しないことになる。


 2 道徳的責任
自由意志と道徳的責任の関係を考察する上で生じる自由意志の危機

  • 自由意志概念のトリレンマ
    • [1] 自由意志は道徳的責任に必要である。
    • [2] 他行為能力は自由意志に必要である。:古典説のテーゼ
    • [3] 他行為能力は道徳的責任に必要ではない。:他行為可能性原理の否定(フランクファート事例によって果たされた)

  • 道徳的責任に必要な条件 (不作為のケース(ある出来事を防ぐことを怠るためにその出来事が生じるケース)
      • 他行為可能性原理(PAP The Principle of Alternative Possibility
        • 〈ひとが行為について道徳的責任を持つのは、他の仕方で行為することができたときに限る〉
      • この原理はフランクファート事例によって反駁された。

  • フランクファート事例
    • ひそかに脳神経に装置が埋め込まれていて、他行為が封じられているケース。他行為可能性がないのに、でもやはり自分の意志で決断したと言える;道徳的責任がある
    • 自由意志の意味について一般的な合意がないという、自由意志の危機


 3 自由意志の問題
自由意志の懐疑論を導く論証

  • 自由意志のジレンマ
    • [1] もし決定論が真ならば、だれも自由意志を持たない。:非両立論
          • 帰結論証(古典説〈ひとが自由意志を持つのは、他の仕方で行為することができるときに限る〉を前提としている)
    • [2] もし非決定論が真ならば、だれも自由意志を持たない。
          • マインド論証(運の問題)
    • [3] したがって、だれも自由意志を持たない。

  • 帰結論証 (非両立論を支持する論証)
    • 決定論が真ならば、わたしたちの行為は過去と法則の帰結である。しかし過去も法則もわたしたち次第ではない。であればこれらの帰結は、わたしたち次第ではない。
        • 法則についての強い見解:出来事が法則に合致するのは、それが法則であるがゆえであり、逆は成り立たない。
        • 法則についての弱い見解自然法則についてのヒューム主義):法則が真であるのは、生じる出来事によってである。ものごとがほんの少し異なっていれば、法則も異なっていただろう。単に何か他のことをするだけで、わたしは法則を変えることができたことになる。したがって、法則は他行為能力への制約にならない。

    • 第3論証(インワーゲンによる3つの帰結論証のうち、もっともよいバージョン)
      • N演算子
          • Np:〈pは真であり、かつだれもpの真偽について選択を持たない〉
      • 第3論証に用いられているふたつの原理
          • 基礎づけ原理
            • だれもその真偽に選択を持たないような真の命題(自然法過去についての命題)が存在することを確立する原理
          • 移行原理
            • 選択を持たないことをすべての真な命題に移行させる原理
      • キャンベルの見解
          • 帰結論証は最も有力視されている非両立論の論証であるものの、真の意味で非両立論を証明してはいない。

  • マインド論証
    • インワーゲンのマインド論証:
      • 自由意志は心身二元論を要求すると考える人がいるが、二元論は自由意志の問題には無関係だ。
        もし非決定論が真ならば、どの未来が現実となるかは偶然の問題である。

  • 自由意志についての懐疑論(「基本論証」)
        • 自由意志のジレンマのなかでも最も強力で現代的な議論。自由意志について何も前提せずに決定論と道徳的責任の非両立性を直接論じる。
    • 基本論証(バージョン1) … ストローソン
        • ひとが自らの行為に究極的な責任を持つためには、その行為の源泉であるところのみずからのありかたについて究極的な責任を持っていなければならない。
      • キャンベルの見解
          • ひとの人生を永遠の過去にまで延長させれば、懐疑的結論は出てこない。
            基本論証は、究極的源泉としての自由意志は不可能であることを示しているのかもしれない。だが仮にそうだとして、だれがそれを気にかけるのだろうか。たとえば、わたしたちは誤りえない知識を持たないが、そのことからは、わたしたちがいっさいの知識を持たないということは帰結しない。自由意志についても同様なのではないか。


 4 道徳的責任──非両立論と懐疑論

  • 3つの論証
      • 直接論証
        • 道徳的責任についての非両立論と決定論テーゼとの非両立性の確立。第3論証に類似。ただしN演算子の代わりに非-責任演算子を採用する。自由意志についての前提をいっさい用いない。
      • 操作論証
      • 究極性論証

  • 直接論証 (「帰結論証の第3論証」でのN演算子の代わりに非-責任演算子を用いる)… インワーゲン, ワイダーカー
      • [B]:NR(p), NR(p→q)├ NR(q)
      • NR(p):〈pは真であり、かつだれもpという事実について道徳的責任を持たない〉
    • 直接論証とフランクファート事例の衝突
      • フランクファート事例では、自分の意志の結果で行為Aが遂行される因果連鎖と他者の介入の結果で行為Aが遂行される因果連鎖のどちらかが真となり、それ以外の可能性はありえない。
        この状況はこの者にとってどうすることもできないことであり、このことに道徳的責任は持たない。
        いずれにせよ行為Aをすることになるということもこの者の責任ではない。
        したがって、原理[B]を認めるとNR(A)が帰結し、この者は自分の行為に道徳的責任を持たないことになる。
      • だがこれは、この者は道徳的責任を持つという、フランクファート事例の結論に反してしまう。


 5 自由意志の諸理論

  • 自由意志の理論は大きく3つの陣営に分かれる。
      • リバタリアニズム:非両立論と自由意志テーゼをともに肯定する。決定論の否定を含意。
      • 自由意志についての懐疑論:自由意志テーゼを否定する。
      • 両立論:自由意志テーゼは決定論と両立すると考える。
    • 量子力学以降、現代では、決定論を、ましてや必然主義をとる哲学者はほとんどいない。


    • リバタリアニズムの諸理論を区別する行為論の陣営
      • 行為の因果説 - 出来事因果説および行為者因果説:「原因」による説明。
      • 行為の非因果説:行為の非因果的説明。理由ベースの見解。行為は信念や欲求や意図といった心理学的な項目で説明される。だが、この種の理由は行為を説明するかもしれないが、行為の原因ではない。

    • … スミランスキー
      • ふたつのラディカルな提案を支持する点で、自由意志についての懐疑論者の大半と異なる。
        • 根源的二元論の支持:両立論と強硬な決定論の双方から、部分的な真なる洞察を組み合わせようとする見解。
        • 幻想主義:自由意志についての懐疑論を受け入れるよりも、自由意志の幻想のもとで生きるほうがよい、という提案。自由意志についての懐疑論の諸帰結(道徳的正義など持つことができない、といった帰結)はわたしたちにとってとても受け入れがたいものだからである。

  • 両立論
    • 文脈主義:意味論的理論。すなわち、命題ではなく文の意味と真理についての理論。
      • 能力帰属文(〈Sはaをすることができる〉という形式の文)の真理条件が、文が発話される文脈に応じて変化するという見解。
      • 「知る」「できる」「自由な行為」といった、自由意志の論争に関連するさまざまな語の分析

  • その他の見解
    • 改訂主義
    • … ヴァルガス:自由意志概念の改訂
          • 記述的説明:概念分析にかかわる。:わたしたちがどのように自由意志について考え、語っているのかを記述することにかかわる。
          • 改訂的説明:規範的。わたしたちがどのように考えるべきかを教える。
      • 改訂主義によれば、自由意志や道徳的責任について信じるべきことは、わたしたちが日常的に考えがちであることとは異なる。

    • 自由意志概念の日常理解
    • … レーラー:自由意志と決定論の問題は、実践理論の対立
        • 世界についてのわたしたちの思考は両立論者と非両立論者の双方が共有する思考を含むので、それを合意によって片づけることはできない。

    • 自由意志についての懐疑論への批判
    • … ストローソン:非還元的な自然主義
        • 還元的な自然主義 :自然科学で解明可能なもの以外の存在を認めない。
        • 非還元的な自然主義:日常的に心に抱くものに存立の余地を与える。懐疑論の論証は無視。
          自然的な信念に対して合理的な正当化も実践的な正当化も与えない。自然的な信念は、受け入れるべきものではなく、端的に、推論や論証に拠らずに受け入れているもの。自然的信念は、それがわたしたちの信念体系の全体にわたって果たす中心的な役割のゆえに、適切なのである。

    • メタ両立論
    • … ストローソン:メタ哲学的な理由から、非両立論よりも両立論の方が好ましいという見解。
        • 懐疑論が共有する形式的特徴:
            • 構造的な類似
            • 「能力がある」「できる」「知っている」といった、多義的な様相語への依存。








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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell