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ブラウニング “増補 普通の人びと”

“Ordinary Men: Reserve Police Battalion 101 and the Final Solution in Poland”
 1992
 Christopher Browning
 ISBN:4480099204




 ホロコーストについては、これまで日本語での基本書籍としてまず芝健介『ホロコースト』ISBN:4121019431 と石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』ISBN:406288318X で概要の知識を取得し、次に對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』ISBN:4121023498 を読んできた。これらの新書の次にようやく読了できたのが、文庫版で528ページあるこの『普通の人びと』というタイトルの本。

 ホロコーストに対する自分の最大の関心はもともと「なぜ一般的な社会を営んでいた人々がひとつの民族を絶滅せしめようという程の虐殺行為を実行するに至るのか」というところにあり、まさしくその通りの題名を持つ本書が以前から気になっていたのだが、かなり長い本であることでなかなか手を出せずにいた。このテーマはどうしても重く、それなりのページ数を持つ書籍がどれだけ心的負荷をもたらすかも不安なところだった。加害者の置かれた立場・心理的状況から研究するというスタンスで書かれた本なのでなおのこと。
 実際に読んでみたところ、意外にも早く読み終わった……と思ったらそのあとが「増補版」たる所以で、発刊後に書かれた作者の文章が残りを占めており、1998年に書かれた『あとがき』、2017年に書かれた『25年の後で』、さらに写真史料を含む『付表』と続く。
 『あとがき』と『25年の後で』は、初版によって喚起されたさまざまな議論、特にゴールドハーゲン『普通のドイツ人とホロコースト──ヒトラーの自発的死刑執行人たち』およびその著者への応答が主な内容となっている。


 ホロコーストがなぜ起こったかという問いは戦後さまざまな研究者に考察されてきたが、ヒトラーおよびナチスという原因ですべてを説明するのではなく、なぜ大多数の一般人がホロコーストに加担したのか、という視点での議論もおこなわれてきた。
 この文脈においてゴールドハーゲンとブラウニングの論争は大きな意義を持っている。というのはふたりとも同じ史料として「第101警察予備大隊証言」を分析しており、それでいながらまったく異なる結論に到達しているからである。
 ゴールドハーゲンによる答は「もともとドイツ人に反ユダヤの思想が根づいていたから」というものであり、他方、ブラウニングがこの書および追補で主張するのは、「単一的な原因ではなく複雑で多面的に説明するしかない」というものである。
 本書が『普通の人びと(原題:Ordinary Men)』となっているのは、ホロコーストを実行した人々には、生まれたときの環境ゆえに、あるいはナチスの洗脳的教育によって反ユダヤ主義者になったわけではない例が多数あることを踏まえている。年齢からしてナチス体制以前の社会で育ちナチス時代と異なる価値観を持って大人になった者が明らかに一定数おり、そのなかには下層階層出身で左派政党を支持していた者もいたはずだったからである。ではなぜそうした人々が実際にホロコーストの実行者へ転じていったのか。
 ブラウニングが調査対象として当たった「第101警察予備大隊」の事例は、アウシュビッツのような絶滅収容所でのホロコーストとは異なり銃殺による処刑である。その犠牲者数はミニマム推定で3万8千人とされている。これは第101警察予備大隊だけの犠牲者数で、ヒルバーグの推定では、ホロコースト全犠牲者の50%が絶滅収容所での死者で、警察予備大隊などによる銃殺での死者がこれに続き25%を占める。「第101警察予備大隊」が研究素材となった理由は、この大隊は戦後ドイツで連邦検察庁によるナチス犯罪の訴追対象となりその尋問調書が記録に残ったからで、加害者証言がまとまって得られる点で大きな有用性があった。ブラウニングはこの史料をもとに加害者側の内面にアプローチすることで「なぜ一般人がホロコーストを実行したか」という問いを研究した。


 銃殺処刑を担わされた警察予備大隊の隊員たちは、最初は命令に対し抵抗を示す。はっきりと拒否する者もいれば、偵察など他の任務へ逃げる者もおり、あるいはアルコール摂取によってようやく殺害指示に従った者もいた。だがそうした抵抗も、銃殺が外国人部隊により分担されるなどいくつかの経緯をたどったあげくに順応化され、結果、数万に及ぶ銃殺処刑が為されることとなる。
 ここでひとつ着目すべきこととして、「選択が与えられたかどうか」という点が挙げられる。初期においては、処刑に抵抗を示した者には「もし耐えられないならばこの任務から外れてもよい」という選択が与えられることがあった。この選択に実際に応じた者もいたし、同調圧力に屈し退避しなかった者もいた。だがその後、指揮官側からこうした選択肢は与えられなくなっていく。明らかに処刑行為を担う気力を持たない者も、免除が許されないようになる。ブラウニングによれば、選択肢とは、行為者に「自分のしたことが自分の選択によっては避けられたものかもしれない」という意識を持たせるよう作用する。選択肢があったからこそ処刑者はあとで苦悩するのであり、最初から選択肢が与えられなければ処刑者はもはや殺戮を忌避しないようになっていくのだ、と。
 ブラウニングは本書において上記部分だけですべてを説明しているのではないが、ここは著者の研究アプローチをよく表す個所だと思う。つまりこのようなちょっとしたことの積み重ね・総体の結果、「普通の人びと」がホロコーストを実行することになったわけで、そこには全体をはっきり説明し得るような単一の原因はない。
 ブラウニングはこの書で、社会心理学実験例も援用している。有名な「スタンフォード監獄実験」「ミルグラム心理実験」などである。スタンフォード監獄実験には現在疑義が提示されていることは注意すべきとして*1、「備わった性質」よりも「置かれた状況」によって人は残虐になるし非道な権威に服従し得るという実験結果はブラウニングの見解に沿っている。

 いずれにしてもブラウニングの立場は、「普通の人びと」が実行した虐殺に一般的な説明を与えることは困難だというものであり、その動機は多様で多面的、そしてそうであるがゆえに、どのような地域・時代の人々も第101警察予備大隊と同じ行為をしないとは断言できないことになる。
 だからこそ、状況的・習性的要因は文化的・イデオロギー的要因と併せて研究すべきで、二分法的な結論に飛びついてはならないのだ、というのがブラウニングの結論となる。
 しかしそれでも、ブラウニングが初刊最終章で次のような文章を記述している点は銘記しておきたい。

 とはいえ確かに、戦争という背景は、それが戦闘によって誘発された野蛮性や狂乱の原因であるというに止まらず、より一般的な観点からして重視されねばならない。戦争、すなわち「敵」と「わが国民」との間の争いは、二極化された世界を創造し、その中で、「敵」はたやすく具象化され、人間的義務を共有する世界から排除されてしまうのである。戦争は、政府が「政策的残虐行為」を採用し、それを遂行してもほとんど問題にならないような、格好の環境を提供してくれるのである。










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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell