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神林長平 “アグレッサーズ”


 雪風シリーズ第4巻。
 第3巻『アンブロークン・アロー』では、FAFとジャムとの初めての総力戦が描かれた。ジャムに成り代わり人類に宣戦布告をしたロンバート大佐による、FAFへのクーデター。「言語野を操作することで〈本当の現実〉を感じさせる」というジャムとの不可思議な戦闘がおこなわれるが、雪風はロンバート大佐の地球侵攻を阻止することに成功する。
 この第4巻『アグレッサーズ』は『アンブロークン・アロー』からそのまま連なる続編で、雪風がロンバート大佐に追撃を加え帰投するところから始まる。
 戦闘知性体群に終戦宣言をおこない去ってしまったジャムを引きずり出すことが、『アグレッサーズ』での特殊戦の目的。そのために選ばれたのが、「特殊戦は、ジャムになる」という手段。ジャムを模倣するアグレッサー部隊が編成され、地球連合軍との模擬戦が実施されることとなる。
 第4巻はあらたな登場人物・田村大尉を迎え、ジャムがふたたび見出されるまでが語られる。


 全体の構成は以下の通り。(ページ数はKindle表記)

[冒頭]
戦略家たち6ページ「ジャムは対人類戦に勝利したようだ」
哲学的な死75ページ雪風の帰投
[模擬戦開始前]
対話と思惑31ページ「わが特殊戦は、ジャムになる」
新部隊出動前夜28ページ政治方面の知識
ファイターウエポン23ページ(リン・ジャクスンの一人称記述)
カーリー・マー25ページ(田村伊歩の一人称記述)
ペンと剣24ページ雪風へのインタビュー要望
[模擬戦開始後]
アンタゴニスト31ページ雪風出動
激闘79ページ飛燕出動
九分三十七秒20ページジャムとの戦闘
戦略的な休日39ページ戦闘知性体たちの再覚醒

「戦略家たち」「哲学的な死」は前作ラストから雪風が基地へ帰投するまでの内容で、計81ページ。
「対話と思惑」からが実質的に本編で、計300ページ。さらに模擬戦開始前と模擬戦開始後とで二分できる。模擬戦開始前で131ページ、模擬戦開始後で169ページ。
 本文に明記されているように、模擬戦の開始から作戦終了まで、九分三十七秒。これに割り当てられたページが「アンタゴニスト」「激闘」「九分三十七秒」の計130ページ。作中時間に対する記述として最も密度が濃い部分となっていることがわかる。
 実際に自分としても、ページ数あたりの読みのスピードはこれらのパートで最速に達した。『哲学的な死』までは第3巻の「現実が操作された戦闘」が引きずられていて進みの鈍さがあったけれど、新部隊編成の話から牽引力が上がり、田村伊歩登場あたりから加速、模擬戦に入ってからは時間を忘れて一気に読み抜けた。

 この巻は、前巻とのつなぎ部分を除けば事実上、模擬戦という単一の戦闘が出来事の焦点となっており、模擬戦が起きるまでの話と模擬戦それ自体の話とで構成されている。
「雪風がジャムになる」というのがどういうことなのか、地球連合軍の戦闘能力とジャムのそれとの間にどれほどのギャップがあるのか。このあたりが出撃前から雪風のコムセンスジャマーによって端的に示され、田村大尉同様、読者へも戦慄を与える。あるいは、雪風が飛燕を誘い込みレイフがとどめを刺す──という飛燕の「完敗」。また、模擬戦後半で出現するジャムが例によって「重ね合わせ」でわけのわからない現実体験を強いてくるところも、雪風・飛燕・レイフの相互リンクや、微少時間下での各パイロットたちのやり取りによって、冒頭の『哲学的な死』とまったく異なる緊迫感であふれている。
 田村大尉は戦闘機パイロットの新キャラとしてシリーズ初と言っていい位置にあるが、特殊戦向きの「社会的不適合人物」でありながらも、深井大尉や桂城少尉とはだいぶ違ったタイプで、新鮮さをもたらしている。


 それにしても第2巻あたりではまもなく完結しそうだとも思っていたのだが、第4巻にきてこのシリーズはもっと長期化する気配が出てきた。ロンバート大佐も、毎回現れては逃げるレギュラー敵キャラみたいな感じになってきたし……。

 もとより『もしかしたらジャムというのは、実在していないのかもしれない』とすらブッカー少佐は言っていた。そんな相手と戦い勝利するには、これまでにない〈概念〉を生み出して対抗するしかないそれがブッカー少佐の考え方だった。その〈概念〉がどんなものになるのかは零には想像することすらできないし、少佐本人にもいまはわからないだろうが、方法論自体ははっきりしている。
 だがクーリィ准将のそれは、零にはよくわからなかった。

ようするにクーリィ准将はFAFから去ったように見える、隠れてしまったジャムを、引きずり出したいのだ。そうして概念云云ではなく物理的にジャムを叩く。

 もはや今後、ジャムにストレートな「正体」というものが与えられることにはならないだろう。ストレートな正体というのは、ジャムが何か具体的な生態や文化を持った異星の知性体であるとか、あるいは古代の異星文明が残したコンピュータプログラムであるとか、そういうレベルの正体だ。だが、そうでないとすればどのような正体があり得るというのか。
 本巻ではより高度なレベルでジャムが扱われ始めている。言ってみれば、正体がはっきりしないジャムが実際どういう存在なのかということは、こちら側で定めてしまえばいい、というような。別の言い方をすれば、田村伊歩の思索で示唆されているように、こちらの〈物語〉に相手を嵌め込んでしまえるかどうかの戦いでもある。
 結局のところ特殊戦の戦いは、敵がどのような存在であるかを定め、戦いの意味づけを定め、そうすることによって自分たちの存在を定めるという、そのような追求と言ってよい。追求は完遂する必要すらなく、追求が継続しているかぎりにおいて自分たちに存在意義があると言うこともできる。

 この追求はそのまま物語の図式でもある。正体不明の敵を最終的にどのような存在として扱うかが定まったとき、このシリーズは終わりを迎えることができるのだろう。それは自分たちがどのような「答」に納得するのか、ということでもあるのだが。

正体を摑むことは重要だ。正体を摑むというのは、われわれ人間にも納得できる形でジャムを理解する、ということだよ。


 






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―Angela Mitchell