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ニール・スティーヴンスン “七人のイヴ”



“Seveneves”
 2015
 Neal Stephenson




七人のイヴ ? (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) 七人のイヴ ? (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) 七人のイヴ III (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)





 原書は全一冊だけど、邦訳は第1部/第2部/第3部のそれぞれに分冊して全三巻での刊行。合計で1,000ページ以上に達する。
 第2部と第3部の変化は巨大。第1部と第2部の間ではそれほど変化はなく、漸進的に移り変わっていく感じ。第2部の後半から急加速的に転落していき、ひとつの極限点に達してそのまま第3部への激変につながっている。

 あらすじをひとことで言えば、人類規模でのサバイバル。
 あるとき何らかの宇宙的事象によって月が破壊されてしまうところから物語が始まる。物理計算の結果、月は衝突と細分化を繰り返し、やがて無数の隕石となって地球に降り注ぐことが判明。この隕石雨で地球上の生物は絶滅すると予測されたため、既設の宇宙ステーションを中核として軌道上に集住施設を構築し、限られた人類だけでも生き延びさせよう、という全人類合同のプロジェクトが実行される。困難はあっても人類の叡智が結集されて何とか施設は完成し計画通りに稼働、ついに〈ハード・レイン〉による大破壊が始まるのだが、居住者間での反目と分離、資源の枯渇など、次第にものごとがうまくいかなくなって、生存者数がどんどん減少していく……。

 科学的に極力正確であろうしているタイプのSF。
 各巻通じて、科学的描写のウェイトが非常に大きい。第1部・第2部では人類を生存させる工学的詳細、第3部ではまったく新奇な世界とそのテクノロジーなど、しばしばストーリーを中断させて冗長に感じさせるほどに。とはいえこの描写だから説得力と臨場感がある。


[以下ネタバレ含む]


 人類の数が容赦なく激減していくところが見所。
 第2部の最後ではついに8人にまで減る。そのうち、後の人類にとって創始者となるのが7人。一旦極限まで減ってそこからふたたび増加に転じるというのが何とも壮大。(実際はもう少し生存者はいたわけだが)
 第3部は第2部からいきなり 5,000年もの歳月が経って異質な社会・文化や宇宙構造物が溢れている、っていうのも、第1部・第2部のリアル志向SFからいきなり想像力全開の未来SFに変わってわりと驚きがある。
 全体構成からしてやはり第3部こそが本編という位置付けなのかなとは思うけれど、それにしては第3部はボリュームも内容も若干控えめかも。

 それよりむしろ第2部、タイトル “七人のイヴ” の意味がわかる巻末のところが最もクライマックス。
 ここはなかなかよかった。始祖7人から分化した7種族によって新たな人類世界が築かれていくというヴィジョンが示されて、要するにこの小説は「神話」を描こうとしてるんだなというのがわかる。
 そのあと人類再生の紆余曲折を地道に描いていくこともせず、そこをすっ飛ばして一気に5,000年経過させてしまうのも、「極点」が既に神話化した時代への跳躍ということ。新世界で折に触れてあの苦難の時代のことが伝説や記録で回顧されるのもなかなか感慨深い。




人種概念の問題

 ところで、話としておもしろいのは否定しないんだけど、テーマ面ではけっこう際どさがある。
 「人種」というセンシティヴなテーマをわりと無頓着に扱っているところが。
 それが表れるのは第3部。キャラクター個人の特性をことごとく7種族の差異と捉えるような説明傾向が、どうにも微妙だ。
 まあ、この7種族は科学的に遺伝特性を選択強化してつくられた「種」であって、現実社会でのいわゆる「人種」とは違い、生物として互いにはっきり区別できる対象ではあるかもしれない。
 もちろんこの小説が人種差別的だというわけではなく、提示されている構図が結果として人種問題に対して無邪気すぎる、ということではあるのだが、個人間差異よりも種族間差異を強調するところは充分に人種還元主義的な思考だろう。(読者の間でもやはり議論を呼んでいるようで、"seveneves racism" でウェブ検索するといろいろな意見が引っかかってくる)


 現実世界では、人種をめぐる問題は単純ではない。往々にして概念が整理されずに議論が進んでしまっているところがある。
 このあたりについては、「人種」概念が科学と社会の間で互いに関連し合って成り立っているものだという浦野茂の論文『類型から集団へ ——人種をめぐる社会と科学(2009, 『概念分析の社会学』収載)に啓発的な視点がある。
 「人種」が生物学的には曖昧な区分だというのは現代生物学の共通認識だが、マジョリティには未だ人種に対する素朴な見方がある。たとえば「コーカソイドモンゴロイドといった区分が生物学的に存在する」「人種には知性や運動能力がすぐれているといった固有の特性がある」「人種は遺伝子で明確に区別できる」といったような人種観。しかしこれらはいずれも現代生物学によって有効性を否定されている。遺伝学的知見では、集団間での遺伝子頻度の差異は離散的ではなく連続的なものであり、また、集団内での個体差は集団間との差異より大きく、集団の特性と言えるような均一性は存在しないとされる。
 このように学的議論の系譜では「人種」というものを、本質的特性を備えた「類型」と見る捉え方から、統計学的差異に基づく「集団」として見る捉え方に転換してきた。
 こうした議論を踏まえ「人種概念は虚構的である」とする主張もあるが、これはこれで言い過ぎている面がある。なぜなら人種概念は、たとえ科学的成果と反駁するようなかたちのものであっても実際に社会において使用されており(差別や排斥といった様態も含めて)、それに基づき生殖関係が影響され社会的グループが形成されている事実があるからだ。
 また、集団間での遺伝子頻度の差異は完全に社会的構築物とは言えず、はっきりと生物学的実在と言える。
 問題は、そうした集団をどのように同定しどのように区分するのかが観察者の便宜的な判断によることで、つまり、人種概念とはそもそも何を意味しているのか、生物学的実在とはどのような意味でなのか、ということがほんとうは整理されなければならない。
 前掲論文では、「生物学的概念」が「社会的・常識的概念」と切り離すことのできない結びつきを持っているとする。人種概念を科学的に明確化しようとする際には、当の概念が社会的・常識的に運用されている実態がまず前提とならざるを得ない。人種がそうした常識的概念としてそもそも存在しているからこそ、その人種間の差異を科学的に問題にすることが可能となる。たとえば科学的に「各集団のメンバーはその内部においてその外部よりも頻繁に婚姻する」と言えるとする。だがここで「集団」とは婚姻確率の差異によって定義されているので、トートロジーとなっている。「集団」の定義はむしろ科学的分析以前の社会的・常識的概念使用に基づいている。
 こうした関係は、イアン・ハッキングが「ループ効果」と呼んだものに当たる。科学はそれに先立つ日常の概念使用に基づき区分や分類をおこなうのだが、ひとたびそうした科学的分類ができると、今度は人々の生活でそこから影響を受け、概念が変化する。するとそれはまた科学での区分のおこなわれ方に反映していく。「人種」という概念もこうした相互構成的な関係のなかにある。


 ……というように、「科学」と「人種概念」をめぐっては議論の蓄積があるわけだけど、SFというのはそういう複雑さをあっさりまたいでいってしまう分野でもある。
 『七人のイヴ』での7種族は、自然的区分ではなく人為的に形成された種であり、生物学的に明確。ある意味、現在の人種概念ほど迷わずに済む区分だと言える。当初は単為生殖であったとはいえ既に有性生殖へ戻り、相互に交配可能なまま5,000年間に渡って種族区分が維持されてきたなら、そこには何らかの社会的な要素も絡まざるを得ないと思うのだが、とりあえずそういうSF設定なのだと受け取ってもいい。
 だが、それではこの設定は何を狙ったものなのだろうか。小説として見るならば、この7種族というのは第2部までの主要キャラの事実上の生まれ変わりみたいなものとして捉えられるし、第1部・第2部の主要キャラクターたちがそのままひとつの種に拡張したらどうなるか、ということを描きたかったということなのかもしれない。
 しかし現実世界での「人種」に替わり生物的にもはっきり区分できるような「人種」というものが導入されることで、現実の人種をめぐる生物学的概念と社会的概念の関係のなかで、後者が過小視される構図ができてしまっていることは否めない。加えて、各キャラクターの特性がすべて種族特性で説明されてしまうような描き方。こうした振る舞いは、「人種」というものが生物学的に自明な区分だという現実社会での因習的な見方に共鳴するところがある。それがこの作品の意図だとは思わないが、人種差別や排外主義が台頭する現実の状況を深刻視する立場からすれば、こういう構図はどうしても無邪気なものと映る。


 ……いや、小説としておもしろいのはおもしろくて、ただ、やはり同時に人種概念というのはもっと複雑なものなのだということは強調して然るべきだと考えている。本来そうした特殊な設定下でも「人種」の自明性の際どさに焦点を当てて描くことはできるはずだと思うけど、結局それは試みられていない。そういうことやってるSF作家もいるとは思うが……。人類を生物的に改変・分化させたりしたようなSF作品は過去にもあったけれど、『七人のイヴ』の場合は特にこの人種還元的傾向が強いというのは言えると思う。それが設定・作品構成から必然的に求められるものではあるとしても。
 「人種」概念が科学と密接な関係を持ち、SFが「科学フィクション」であることを考えるなら、SFにおいて人種がテーマのひとつとして扱われるときには、もう少し広範な視野で科学と人種の関係が描かれてもよいと思う。
 いずれにせよ、この『七人のイヴ』を語る際に人種問題にまったく触れないままでは済まないだろう。何もこの作品の人種至上主義的側面を非難すべき、なんてわけではまったくなくて、こんなに人種問題を喚起させるつくりになってるのにそれについて語らないのはもったいない、という意味で。



その他

  • 「人類の生き残りである7人のイヴ」という設定は、フェミニズムから見ても問題示唆的なところがある。人種と同じぐらいデリケートなトピックにここでさらに踏み込むつもりはないけど、ル・グウィンだったらこういうのどう書いただろうか、とは思ったりする。
     
  • 「ザ・パーパス」と「オーナー」というのはけっこう謎。初め読んだとき単に何か作者の新興宗教趣味っぽいものかと思ったけど……。
    いろいろ感想読むと、「エージェント」と結び付けてる人もいて、裏設定はありそう。








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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell