::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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N・K・ジェミシン “オベリスクの門”

“The Obelisk Gate”
 2016
 N. K. Jemisin
 ISBN:448878402X




 三部作の物語は、だいたい第二巻が最もおもしろいものである……ということを、このところ読んだいくつかの小説から感じている。
 今まだ第三巻まで読み切っていない作品も含んだ雑駁な印象なので、とりたてて断言したいほどでもないのだけど、第二巻で話が加速し第一巻よりも多くのことが明らかになって、でもまだすべての謎は解決していない──そういう段階こそがいちばんおもしろい。逆に言うと、そういう展開に成功した作品だけが、三部作という長大な物語であっても評価を獲得し生き残る、という面もあるかもしれない。

 《破壊された地球》と呼ばれるトリロジーの第二巻であるこの『オベリスクの門』も、「おもしろい第二巻」の例に入っている。
 このトリロジーは、巨大地殻変動が頻発する惑星を舞台としている。人類は長い災厄期間に適応するための社会形態を築き、これまで人口激減を繰り返しながらもかろうじて絶滅をまぬがれ生き抜いてきた。なかでも特筆すべきは、地殻の運動を制御可能な〈オロジェン〉という者たち。彼らの特殊能力は、人々に重宝されつつ同時に恐れられていた。そんなオロジェンたちがこの物語の主要な登場人物となる。

 第一巻『第五の季節』は、設定に慣れるまでかなり読みづらかったけれど、途中から急激に読み手を引き込むつくりだった。
 第二巻は、邦訳刊行のブランクが長かったこともあり、前作の内容をよく思い出せないままなんとなく読み始めた。第二巻を読むにあたり最低限思い出しておくべきことは、「重要な主人公はひとりだけである」という点だけでよいので、第一巻の複雑な時系列や人物名を記憶からよみがえらせる必要性はそれほどない。もっとも、第二巻では「主人公」はひとり増え、基本的にふたつの視点が交互に入れ替わりながら話が進展する。


 この巻では、物語世界の構図が概ねはっきりしてくる。
 何度となく襲来する大変動が惑星にもともとあった事象ではないということ。原因があって、ある方法によって修復すれば、災厄を終わらせられるかもしれないこと。すなわちそれがこの物語のゴールとなる。

 世界設定の重要な位置を占めるオロジェンの能力については、いまのところ明確な科学的説明が与えられておらず、ただ魔法のように見える。この巻では実際、作中で「魔法」と称されるようにもなるのだが、一方で完全に説明がつかないものでもなさそうで、〈オベリスク〉という人為的構造物とそのネットワークによって理屈付けが用意されている片鱗が見え始める。物語の向かう目標とも絡んで、〈石喰い〉や〈オロジェン〉といった謎の存在が生まれた所以も少しずつわかり始めてきている。
 映像化すると派手になりそうな個所が多々あった。というか、映像性をかなり意識した描写が多いと思う。視覚ではなく「地覚」と呼ばれる超常的な感覚が、視覚のアナロジーで表現されている。マイクロスケールから惑星規模のスケールまで一体につながる感覚と制御のダイナミクス。

 この巻からは、次なる最終巻で達成が目指されるミッションを把握することができる。オロジェンが互いのネットワークによってオベリスクの門をつくり上げ、大変動の根源的原因を解決し、有史以来の抑圧を終わらせる──そのような希望的ビジョン。そしてそれが第二巻を上回るスペクタクルで展開されるだろうこともこの時点の読み手は思い描くことができる。
 第一巻以上の刺激を持って読者を引き込み、最終巻での展望を示して期待を高めるということ。『オベリスクの門』では、トリロジーの中間巻が持つべき機能が模範例のごとく果たされている。

 

ユーン・ハ・リー “レイヴンの奸計”

“Raven Stratagem”
 2017
 Yoon Ha Lee
 ISBN:4488782027




 三部作 “Machineries of Empire” の第二巻。
 舞台は〈六連合〉という名の恒星間国家が支配する宇宙。その名の通り、能力特性で区分された六つの〈属〉が複雑で繊細なバランスのもとに共同統治している。この巨大国家の秩序の源は〈暦法〉と呼ばれる数学体系で、時間と信念を介して社会を統制するのみならず、物理学を超越したさまざまな魔術的効果を生み出し、広範で連綿たる覇権を可能としていた。
 主人公は、戦闘を司る属〈ケル〉のひとりであり数学者でもあるチェリス。〈六連合〉を脅かす異端勢力を迎撃するために、大罪を犯し肉体を失った状態で幽閉されていた軍事的天才ジェダオをよみがえらせることを発案。ジェダオを自分の精神にとりつかせ、軍団の司令官として作戦に赴く。──というのが前作 “ナインフォックスの覚醒”(see. https://lju.hatenablog.com/entry/2020/04/26/214736の導入部。ジェダオ/チェリスの真の目的が〈六連合〉の非道な専制を打倒することであると判明して第一巻は終わる。
 続く第二巻であるこの “レイヴンの奸計” では、ジェダオがケルの一軍団を乗っ取り、異端勢力と戦いながらも、他方で〈六連合〉を根幹からつくり変えるあらたな〈暦法〉を発動させようとする過程が描かれる。対する〈六連合〉側は、謀略を司る属〈シュオス〉の総裁を始め、諸勢力が反逆者ジェダオを始末するためにさまざまな策を講じていく。

 自由/抑圧という主軸テーマのなかで象徴的な設定となっているのが、ケルに課された「フォーメーション本能」というもの。これは上官の命令を絶対とするよう注入された行動規範で、暦法により超常効果を生み出すための信念体系と説明されている。この本能に翻弄されるケルたちが、ストーリー上で大きなウェイトを持っている。司令官が連合に反旗を翻したことで葛藤するキルエヴ、落伍者扱いされるゆえに反逆者討伐に身を捧げるブレザン。彼らの帰趨が、意図の読めないジェダオ/チェリスの行動と絡み合い、物語を進展させる。
 片や連合側は、策謀の塊ともいえるシュオスの総裁ミコデズが主要人物に置かれていて、楽しむごとく他の総裁たちと駆け引きを繰り広げながら反逆集団へ対応する描写が精彩を放つ。そして技術を司る〈ニライ〉の元総裁クジェンは、表舞台から姿を消しつつ、不死と亡霊憑依の秘密を握りながら何かを画策している。
 前作と比べると各キャラクターがより掘り下げられていて、群像劇の様相が増している。強大な支配者と堅牢な体系から成る「帝国」とそれに逆らう反抗の試みというのが物語の基本的な構図。その中心には数学の天才と軍略の天才が融合した人物がいて、読み手はその自我と真意が掴めぬまま、他の登場人物同様に翻弄されていく。


 この作品世界では〈暦法体系〉なるものが根幹的設定に位置付けられているのだが、前作でも本作でもはっきりした科学的説明はない。なんとなくイーガンの『ルミナス』『暗黒整数』のように物理法則を左右し得る数学体系というイメージなのかなと思いつつも、一方で「暦」というところが実は重要なのかもしれない。つまり、社会生活への関わり、行動統制といった面。説明なく登場する「不忘日の儀式的拷問」などというものも、物理現象というより社会的作用を強く示唆している。人々の「信念」および認識の枠組みへ介入することで宇宙のありかたへ介入する……といったものなのだろうか。
 物語の読解上は、数学体系というより「社会規範体系」と言い換えた方が理解しやすい気がする。

 その他のテクノロジーも独特。宇宙船として用いられているヴォイドモスは、恒星間知的生物を改造したものらしい。
 文化・社会の様相にも全体的に華やかさがあり、解像度の高い描写によって異色のSF世界が生み出されている。



用語対訳メモ

  • 六連合 Hexarchate
  • 暦法体系 Calendrical Mechanics
  • 信念体系 Consensus Mechanics
  • 属 Faction
  • フォーメーション本能 Formation Instinct
  • モス駆動 Mothdrive
  • スワンノット群 Swanknot Swarm
  • 歯車2 Deuce of Gears
  • 僕扶 Servitors

 

中野敏男 “ヴェーバー入門 ──理解社会学の射程”





 ヴェーバーとは何者か、と問われたとき、自分としてはデュルケームとの比較項という位置付けで浮かび上がってくる。「行為をいかに記述するか」という社会学の課題に対し、社会学の創始者と言えるふたり、デュルケームとヴェーバーは異なるアプローチをおこなった。デュルケームは個人を超えた「構造・様式」によって、一方、ヴェーバーは個人の「主観的意味」による説明を試みた。
 ──という対照の通り、ヴェーバーはまずもって社会学者であるわけだけど、日本ではヴェーバーを多面的に活動した思想家という見方で扱う風潮があり、特に現代社会へ警鐘を鳴らしたというところが取り上げられがち……とこのヴェーバー入門書も語っている。そうした従来のヴェーバー理解と対極的に、行為の記述という社会学の方法に焦点を当ててヴェーバーの学問を見ていこう、というのがこの本の特徴。



 概要
  • ヴェーバー研究の問題
      • 現在の日本のヴェーバー研究者たちは、ヴェーバーの「理解社会学」という面に無関心でいる。彼らはヴェーバーを『プロ倫』末尾に表れるような近代資本主義の批判者という視点から論じており、ヴェーバーが資本主義の起源を問題にしてきた者だと誤解してきた。
  • 本書の狙い
      • ヴェーバーの学問の根底を成すのは「理解社会学」であることを確認し、それがどのようにかたちづくられてきたかをを見直すこと。
  • 全体構成
      • 理解社会学の最初の実践例としての『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
      • 『プロ倫』から続くふたつの方向性の問い
        • 行為とそれが織り成す秩序との関係 私的集会から国家に至るまでの社会集団の組織と機能のあり方の追求 →続く社会学的諸著作『経済と社会』
        • 他の宗教倫理についても同様の解明的理解 →後期主著『世界宗教の経済倫理』


 理解社会学
    • 社会的行為を解明しつつ理解し、それによりその経過と働きについて因果的に説明しようとする学問。

  • 方法
      • 人間の具体的な行為の心的動機に着目し、心理学によってではなく動機の理解によって接近する。
  • 問題意識
      • 現象を何かの実体から生起するものだと説明する「流出論」や「自然主義的一元論」を批判し、別種の説明を試みた。
  • 行為の動機の理解はどのようにして可能なのか
      • 他者の体験を自分の体験にすることはできないという哲学上の原理的な困難。
    • しかし自分の体験であっても、それを「体験」として判断の「客体」にするためには、「概念」と結びつけて客観化するという論理的操作を経なければならない。この事実が、他者理解可能性の基点にもなる。
      • 「理解」とは;体験と動機と行為の現実連関に内在して作動している「動機」を概念的に捉える営み
    • 解明を通じた理解へ
        • 痛みというケースでさえ、自分の体験が「体験されたこと」として対象的な客体となり、体験と動機と行為の因果連関に組み込まれる場合には、概念化を通じて解明されて、理解可能な対象となっていく。
      • ジンメル:諸個人の全体的な人格像は行動の連鎖として立ち上がるが、他方で、個々の行動の意味は、先行して捉えられている当の人物の人格像から生まれたものと見られることで初めて完全に理解されうる(循環的な把握・理解)。→人物が外部に示す表現(語られたこと)の理解そうした表現をする当の話者(語ったその人)の理解との間にも循環があり、この循環に内在することで後者の理解も可能になる。
    • ヴェーバー:当人の主観に即した解明による動機の理解その動機から発した行為の客観的な説明による意味理解との間に循環があり、この循環に内在する動機理解が可能になる。
        • 雨乞いの祈禱などのように、今日の観点から見て目的に適合した手段を選んでいなくても、当人たちにとっては経験から得られた規則に従っている、この意味で合理的な行為と認められる。行為者本人の主観における合理的な意味のつながりという観点から意味連関を理解できる。
  • 解明の手続き
      • ヴェーバーの理解社会学における「解明」は、行為者の主観に即した動機理解その動機から発した行為の客観的な説明とに構造的に対応した「価値分析」とという二つの学問的手続きによって構成されており、これらが循環しつつ連関して当の行為の意味理解に寄与する仕組みになっている。


 『プロ倫』における理解社会学
    • 『プロ倫』を単なる「資本主義の起源論」と読んでしまうと、ヴェーバーの論理が理解できなくなる。
    • 理解社会学が問題にしているのは「起源」「制度史」などではなく、生きて行為する人々の生活態度、特にそれを導く「動機」

  • 『プロ倫』での問い
      • 中産階級がピューリタニズムの専制支配を積極的に受け入れたのはなぜか。
  • 「格率」
      • ベンジャミン・フランクリンの箴言:営利それ自体が人生の目的として課されている。
      • 生活態度を導く倫理的な格率(行為者が主観的にいだく行為の原則
      • カルヴィニズムでの死後の再生:「自分は選ばれているのか?」という問いの切実さ
    • 世俗内での職業労働への専心が宗教的不安の解消に適切な手段として説かれた。
      • 体系的な自己規律を課せられた信徒の倫理的実践が、生活態度全般にわたって一貫した方法を形成
      • 経験的に存在するのは規則そのものではなく、規則についての主観的な表象である「格率」なのであり、この格率が事実上の動因として人間の行為に作用している。
  • 生活態度としての倫理に照らして合理的とされる行為が秩序を構成し、その強制力の下に取り込んで強大な経済的秩序(資本主義社会)を生み出していく。


 『宗教ゲマインシャフト』
      • 宗教倫理がどのように人びとを動機づけて、それがどんな生活態度を生み出し、そこにいかなる社会秩序が形成されるのか。
      • 普遍的に卓越した神の存在と、その神が創造し支配するはずのこの世界の不完全性という事実がどうして矛盾しないのかという問いに合理的な答を与えようという議論(神義論)
      • 此岸の動機から発した宗教的行為が彼岸に開かれた領野に宗教領域を分立化させ、それが彼岸の極から反転して此岸の生活態度に影響を及ぼしていくという、全体の議論の転回点




 

エル=モフタール, グラッドストーン “こうしてあなたたちは時間戦争に負ける”

“This Is How You Lose the Time War”
 2019
 Amal El-Mohtar, Max Gladstone
 ISBN:4153350532




 はるかな未来、人類の子孫はふたつの勢力に分かれ、互いの消滅を目指して長い戦争を続けている。
 ふたつの勢力〈エージェンシー〉と〈ガーデン〉はどちらも現在の人類から相当に進化した者たちだが、決定的に異なる技術・社会・思考様式を持っている。簡単に言えば〈エージェンシー〉はメカニカル、〈ガーデン〉はオーガニックといったところ。『翠星のガルガンティア』での「コンチネンタル・ユニオン」と「イボルバー」の対立構図ぐらいの相容れなさがある。
 しかし彼らには共通点もある。それはどちらも時間跳躍技術を持っているということ。彼らの戦いは直接的なものではなく、時間跳躍技術を用いた歴史改変によっておこなわれている。過去の局所へささやかに介入し、連綿と続く因果の流れを変えて、自勢力が勝利する単一の未来を決定づけようというわけだ。
 こうした時間介入工作が相互におこなわれてきた結果、過去の歴史は無数に分岐する並行世界となってしまっている。両者ともまだ完全な勝利には至っていない。

 主人公はふたりいる。〈エージェンシー〉の時間工作員レッドと〈ガーデン〉の時間工作員ブルー。ともに工作員として有能、数々の時間介入を成功させてきた。
 このふたりがある工作地点で互いの存在に気付いたところから物語が始まる。隠密活動中の相手を察知したことで一方が他方へ挑発的な手紙を送ったことがきっかけとなってふたりは互いを好敵手と認め、自身に命じられた工作ミッションのなかで相手を出し抜こうと奮闘しつつも、メッセージを送り合うような関係となっていく。
 となるとその後の展開は概ね予想がつくところ。
 手紙の内容は、相手を煽るようなものから、ちょっとした日常の事柄、そして次第に気づかいへ、最終的には愛の表明へ。こうしたやり取りが続いたあげく、両者の上官がふたりのタイムラインの特別な絡み合いに気付いて、相手を破滅させるような指示をそれぞれに与える。
 ──というのが物語の概要。

 相手への手紙の内容を挟んで物語視点が交互に入れ替わりながら、関係性がゆるやかに変わっていくことが描写される。わかりやすく読みやすく、良い意味で期待通りに展開していく。ハードSFではない。時間跳躍にも科学的理屈はまったく語られず所与の前提として用いられている。あくまでも焦点は、歴史を縦横に飛び回り手紙による時間差でおこなわれるふたりのコミュニケーションにある。
 そのなかでキーワードとなるのが「飢え」という概念であり、そしてプロット上の仕掛けが、各パートの最後にあらわれる謎の存在〈シーカー〉だ。
 これらこそ物語のタイムラインに仕掛けられた伏線。ふたりの生をなぞり直し、最終的な運命を決定して、全体を非常にきれいな構図へまとめている。作品の最も枢要を成す要素と言っていい。時間跳躍SFとしてものすごく斬新というわけではないが、叙述と構成が端麗であるところに独自の価値がある。
 また、あらゆる歴史を旅してきたふたりの工作員が、さまざまな人類文化からの引用を手紙に織り交ぜていくところもこの本の記述が持つ特徴を成している。
 そして、「赤」「青」を呼び合う語彙の豊富なこと。


  • 『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』というタイトル。
    「敗北」を示しているこのフレーズが、誰から誰へ発せられたことばなのかというところが問題。
    これちょっと訳に悩むだろう個所で、現題は “This is how you lose the time war” なので、“you” を単数と取るか複数と取るかで邦題よりも多義性がある。
    何も知らずに本を手に取ったときには「作者から読者へ」と受け取りそうなところ。冒頭を読むと、「レッド/ブルーからそれぞれの相手へ」もしくは「相手側勢力へ」と受け取れる。そして最後まで読むと、「レッド/ブルーから、このふたりを含まない〈エージェンシー〉/〈ガーデン〉へ」として用いられて一気に意味が反転するところが実に良い。

  • スレッド、ブレイド、ストランド。
    Thread, Braid, Strand.
    どれも糸、撚り糸を表す単語。
    時間の因果・歴史の流れを糸と形容し、ふたりのエージェントの固有時間が絡み合って、赤と青の二色が撚り合わされていくという強い視覚的表象を生み出している。




 

ブラウニング “増補 普通の人びと”

“Ordinary Men: Reserve Police Battalion 101 and the Final Solution in Poland”
 1992
 Christopher Browning
 ISBN:4480099204




 ホロコーストについては、これまで日本語での基本書籍としてまず芝健介『ホロコースト』ISBN:4121019431 と石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』ISBN:406288318X で概要の知識を取得し、次に對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』ISBN:4121023498 を読んできた。これらの新書の次にようやく読了できたのが、文庫版で528ページあるこの『普通の人びと』というタイトルの本。

 ホロコーストに対する自分の最大の関心はもともと「なぜ一般的な社会を営んでいた人々がひとつの民族を絶滅せしめようという程の虐殺行為を実行するに至るのか」というところにあり、まさしくその通りの題名を持つ本書が以前から気になっていたのだが、かなり長い本であることでなかなか手を出せずにいた。このテーマはどうしても重く、それなりのページ数を持つ書籍がどれだけ心的負荷をもたらすかも不安なところだった。加害者の置かれた立場・心理的状況から研究するというスタンスで書かれた本なのでなおのこと。
 実際に読んでみたところ、意外にも早く読み終わった……と思ったらそのあとが「増補版」たる所以で、発刊後に書かれた作者の文章が残りを占めており、1998年に書かれた『あとがき』、2017年に書かれた『25年の後で』、さらに写真史料を含む『付表』と続く。
 『あとがき』と『25年の後で』は、初版によって喚起されたさまざまな議論、特にゴールドハーゲン『普通のドイツ人とホロコースト──ヒトラーの自発的死刑執行人たち』およびその著者への応答が主な内容となっている。


 ホロコーストがなぜ起こったかという問いは戦後さまざまな研究者に考察されてきたが、ヒトラーおよびナチスという原因ですべてを説明するのではなく、なぜ大多数の一般人がホロコーストに加担したのか、という視点での議論もおこなわれてきた。
 この文脈においてゴールドハーゲンとブラウニングの論争は大きな意義を持っている。というのはふたりとも同じ史料として「第101警察予備大隊証言」を分析しており、それでいながらまったく異なる結論に到達しているからである。
 ゴールドハーゲンによる答は「もともとドイツ人に反ユダヤの思想が根づいていたから」というものであり、他方、ブラウニングがこの書および追補で主張するのは、「単一的な原因ではなく複雑で多面的に説明するしかない」というものである。
 本書が『普通の人びと(原題:Ordinary Men)』となっているのは、ホロコーストを実行した人々には、生まれたときの環境ゆえに、あるいはナチスの洗脳的教育によって反ユダヤ主義者になったわけではない例が多数あることを踏まえている。年齢からしてナチス体制以前の社会で育ちナチス時代と異なる価値観を持って大人になった者が明らかに一定数おり、そのなかには下層階層出身で左派政党を支持していた者もいたはずだったからである。ではなぜそうした人々が実際にホロコーストの実行者へ転じていったのか。
 ブラウニングが調査対象として当たった「第101警察予備大隊」の事例は、アウシュビッツのような絶滅収容所でのホロコーストとは異なり銃殺による処刑である。その犠牲者数はミニマム推定で3万8千人とされている。これは第101警察予備大隊だけの犠牲者数で、ヒルバーグの推定では、ホロコースト全犠牲者の50%が絶滅収容所での死者で、警察予備大隊などによる銃殺での死者がこれに続き25%を占める。「第101警察予備大隊」が研究素材となった理由は、この大隊は戦後ドイツで連邦検察庁によるナチス犯罪の訴追対象となりその尋問調書が記録に残ったからで、加害者証言がまとまって得られる点で大きな有用性があった。ブラウニングはこの史料をもとに加害者側の内面にアプローチすることで「なぜ一般人がホロコーストを実行したか」という問いを研究した。


 銃殺処刑を担わされた警察予備大隊の隊員たちは、最初は命令に対し抵抗を示す。はっきりと拒否する者もいれば、偵察など他の任務へ逃げる者もおり、あるいはアルコール摂取によってようやく殺害指示に従った者もいた。だがそうした抵抗も、銃殺が外国人部隊により分担されるなどいくつかの経緯をたどったあげくに順応化され、結果、数万に及ぶ銃殺処刑が為されることとなる。
 ここでひとつ着目すべきこととして、「選択が与えられたかどうか」という点が挙げられる。初期においては、処刑に抵抗を示した者には「もし耐えられないならばこの任務から外れてもよい」という選択が与えられることがあった。この選択に実際に応じた者もいたし、同調圧力に屈し退避しなかった者もいた。だがその後、指揮官側からこうした選択肢は与えられなくなっていく。明らかに処刑行為を担う気力を持たない者も、免除が許されないようになる。ブラウニングによれば、選択肢とは、行為者に「自分のしたことが自分の選択によっては避けられたものかもしれない」という意識を持たせるよう作用する。選択肢があったからこそ処刑者はあとで苦悩するのであり、最初から選択肢が与えられなければ処刑者はもはや殺戮を忌避しないようになっていくのだ、と。
 ブラウニングは本書において上記部分だけですべてを説明しているのではないが、ここは著者の研究アプローチをよく表す個所だと思う。つまりこのようなちょっとしたことの積み重ね・総体の結果、「普通の人びと」がホロコーストを実行することになったわけで、そこには全体をはっきり説明し得るような単一の原因はない。
 ブラウニングはこの書で、社会心理学実験例も援用している。有名な「スタンフォード監獄実験」「ミルグラム心理実験」などである。スタンフォード監獄実験には現在疑義が提示されていることは注意すべきとして*1、「備わった性質」よりも「置かれた状況」によって人は残虐になるし非道な権威に服従し得るという実験結果はブラウニングの見解に沿っている。

 いずれにしてもブラウニングの立場は、「普通の人びと」が実行した虐殺に一般的な説明を与えることは困難だというものであり、その動機は多様で多面的、そしてそうであるがゆえに、どのような地域・時代の人々も第101警察予備大隊と同じ行為をしないとは断言できないことになる。
 だからこそ、状況的・習性的要因は文化的・イデオロギー的要因と併せて研究すべきで、二分法的な結論に飛びついてはならないのだ、というのがブラウニングの結論となる。
 しかしそれでも、ブラウニングが初刊最終章で次のような文章を記述している点は銘記しておきたい。

 とはいえ確かに、戦争という背景は、それが戦闘によって誘発された野蛮性や狂乱の原因であるというに止まらず、より一般的な観点からして重視されねばならない。戦争、すなわち「敵」と「わが国民」との間の争いは、二極化された世界を創造し、その中で、「敵」はたやすく具象化され、人間的義務を共有する世界から排除されてしまうのである。戦争は、政府が「政策的残虐行為」を採用し、それを遂行してもほとんど問題にならないような、格好の環境を提供してくれるのである。





Andy Stott “Never the Right Time” (2021)



Never the right time (feat. Alison Skidmore)



 静謐で甘美なヴォーカルとシンセによるテクノ。ノイジーなパルスをまとう重いビートに牽引されつつ、端麗で広がりのあるサウンドスケープへ。
 8作品目のアルバムとなる “Never the Right Time” は、前作 “It Should Be Us” での試みからは離れ、“Luxury Problems” “Faith In Strangers” “Too Many Voices” の路線に回帰した。これら3作品と同様に Alison Skidmore のヴォーカルを大きくフィーチャーしており、Andy Stott のサウンドにとって欠かせない要素であることが再確認できる。

 透明感あふれるサウンドには往年の 4AD を想起させるものがあるけれど、決定的な差異もある。楽器による「演奏」で再現できるものではなく音要素が「配置」されている感覚、これが Andy Stott に限らず現代のエレクトロニック・ミュージックにおける透明感の特徴だと思う。
 エコーのかかったヴォーカルラインとバックグラウンドが流れるなか、シャープな要素を多様な位置で散りばめ、圧のあるビートが軸として貫く──こうしたそれぞれの要素の音響的配置が「空間」を構成している。そしてこのような「空間」の感覚が、音の配置されていない余白部分を意識させ、透明性を感じさせる。

 “Never the Right Time” では ヴォーカルレスの “When It Hits” でも充分に空間の透明性が形成されているが、やはり Alison Skidmore のヴォーカルと組み合わさったときこそが至高で、シンセとの音響的操作が絶妙、それこそアルバム末尾を飾る “Hard To Tell” のタイトルが示すごとく、得も言われぬ境地。




Andy Stott
Information
  Birth name  Andy Stott
  OriginManchester, UK
  Years active  2005 -
 
Links
  LabelModern Love  http://www.modern-love.co.uk/

ASIN:B091GLSS6D


Arab Strap “As Days Get Dark” (2021)



As Days Get Dark



 スコットランドのユニット。
 終始気怠く物悲しいトラックにポエトリー・リーディング気味なヴォーカルが乗る。歌われるのはモノローグのように叙情的、猥雑でアイロニカルな詞。
 2006年に解散していたが、2016年に再結成した。前作から15年経てリリースされたアルバムがこの “As Days Get Dark”。活動再開にふさわしいとはいえないようなタイトルだけど、そうしたところに彼らの特質がよく表れている。M-1 “The Turning Of Our Bones” も、皮肉と諧謔をもって彼らなりに再始動を表明した内容となっている。


 語りのような Aidan Moffat のヴォーカルこそが Arab Strap の真髄ではあるけれど、このアルバムでは楽曲もとても良い。M-1 “The Turning of Our Bones” や M-3 “Compersion Pt. 1” での存在感の強いギターなど。
 特に M-8 “Fable Of The Urban Fox” は、あたかもGOTのオープニングのごとく壮大な楽曲。でもそこで語られているのは都会にやって来たつがいの狐の寓話。滑稽な語り口の冷たい最期、どこにもやすらぎなんてない/どこかにあるはずだ、というリフレイン。そんな内容にそぐわぬ昂揚のあるサウンドで、アンバランスなまま感情を揺さぶられる。




Arab Strap
Information
  OriginScotland, UK
  Years active  1995–2006, 2016 -
  Current members  Aidan Moffat, Malcolm Middleton
 
Links
  Officialhttps://www.arabstrap.scot/
    YouTube  https://www.youtube.com/channel/UCbqmzOYgXfml88toQ6nStHQ/
    Twitterhttps://twitter.com/ArabStrapBand
  LabelRock Action Records  http://rockaction.co.uk/

ASIN:B08P4S8TWM







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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell