::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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松樹凛 “射手座の香る夏”



タイムトラベル技術を応用することで、「自分が生まれてこなかった世界」を選ぶ〈巻き戻し〉の権利が認められた日本。30年前の夏、輝かしい未来が約束されていたはずの兄を〈巻き戻し〉で失った「ぼく」は、消失の謎に導かれるように再び故郷の島を訪れる──緻密な構成と読了後に押しよせる余韻から、「忘れられない一作」と注目を集めた「十五までは神のうち」をはじめ、第12回創元SF短編賞受賞作を含む全4編を収録。青春のきらめきと痛みのすべてを、“夏”を舞台とする物語群に閉じ込めた、珠玉のデビュー短編集が文庫化。


2024年刊行の単行本の文庫化。全4編収載。


 『射手座の香る夏』

 転送するとオリジナルから意識が消失するのがよくわからない。意識だけでなく思考活動も消失しているようだし……。
 ただ、データの統一性が意識と同義、という捉え方はわかるし、何かの工夫次第で、転送側に意識が維持され身体側から意識が失われる機序も成り立ちそうとも思った。理詰めのハードSFという作風ではないけれど、ここでの意識の複製不可能定理と、第二短編の歴史改変でなぜか記憶が残ってしまうところは、無理筋でも詳しく理屈らしいものを足してインパクトを強めることもできた気がする。


 『十五までは神のうち』

 記憶が残らなければ完全な出生取消と言えるかもしれないけど、記憶が残るなら自殺と変わらなそう。ただ、自殺と違うのは記憶以外の物証がすべてなくなってしまうということで、だからこそ第二短篇のプロットが成り立つ。
 つまりこの世界には、存在しない人間の記憶を幻肢のように持ち続ける者たちがいる、ということになる。これは第三短篇で、人工知性が持つ身体性の悩みが幻肢と同じだと言われていることとも結びつくかもしれない。幻肢は矯正されなければならないのだが、本人にとってはそのように折り合いがつくものではない。


 『さよなら、スチールヘッド』

 いちばんよかった。
 語感など、洋画っぽい雰囲気がきちんと成立している。
 ゾンビパートはあとから加筆したとのことだけど、ゾンビパートの方がが当然「夢」の側であるだろうと思わせておいて、でもどちらも等価だというところに持って行くのは巧いと思った。
 第一短編同様、ナノマシンによる神経活動スキャンでアップロードされるという設定だが、第一短編では「往還」が可能であるところ、こちらではオリジナルが物理的に損傷して、現実へ戻れなくなっている。その代わりに、あたかも往還が可能であるかのような夢を見せて、それによって精神が安定する。この設定もよいと思った。
 作者が言う「AIでもゾンビでもないものが人間」っていう定義と構図は納得できる。


 『影たちのいたところ』

 2022年初出。この当時であればヨーロッパが舞台に選ばれるのはわかる。現在同じテーマをアクチュアルに書くのはより難度が上がってきていると思う。



 


Alewya “Zero” (Electronic)



Zero


 ロンドンを拠点とするアーティストによるデビュー・フルアルバム。UK〜グローバル・クラブミュージック。
 エチオピアとエジプトにルーツを持ち、サウジアラビアで生まれスーダンを経てロンドンに移住、というバックグラウンド。
 多様なアイデンティティがサウンドにも反映され、明確なジャンルに分類しがたく、折衷的・融合的。プロダクション的にはUKベース/ドラムンベースが基盤で、そこにアフロ/アラビックなリズムとアレンジ、そしてAlewya のフロウが加わるという構成。楽曲は全体的にビート志向で身体性が強い。歌い方は多彩、場面に応じてラップ〜歌唱〜チャントと変転する。

 アルバムのテーマについては、インタビューの中で「ルーツ/本能/空間/脱構築/女性としての自己主張」の五つだと語られている。*1


 曲ごとにかなり雰囲気違うんだけど、特に以下がよい。
 M-3 “Runner”
 M-7 “Night Drive” ヴォーカルのリズム感。
 M-11 “Guttah”
 M-15 “Zero” ビートレスでとても荘厳。多様な曲群の中でもさらに逸脱しているけど、名曲。


Alewya
Information
  Birth name  Alewya Demmisse
  Current Location   London, UK
  Years active  2020 -
 
Links
  Officialhttps://alewya.com/
  bandcamp  https://alewya.bandcamp.com/album/zero-1
  LabelLDN Records  https://www.instagram.com/ldnrecs/

ASIN:B0GQHHV8VM


デイヴィドソン “主観的、間主観的、客観的”

“Subjective, Intersubjective, Objective”
 2001
 Donald Davidson
 ISBN:4393323076




 『主観的、間主観的、客観的』というタイトルにまず魅了される。
 全14論文が「主観的」「間主観的」「客観的」の三部構成にまとめられている。
 全体を通して特にキーとなる主張は、自己についての知識、他者についての知識、世界についての知識は、別々に基礎づけられるのではなく、相互依存している、というもの。
 何度も繰り返される「なぜわれわれの信念体系は大筋で真だと言えるのか」という問いがあるが、ここでの「真である」というのは、客観世界との関係という意味が含まれており、つまりこの問いは「われわれの認識はなぜ客観世界についての認識だと言えるのか」「われわれの認識は客観世界とどう関係しているのか」というものでもある。その意味でこの『主観的、間主観的、客観的』は、現代哲学での認識論を展開した論文集と言える。


メモ

  • 命題的態度:「〜と信じる」「〜を望む」「〜を意図する」といったような、命題内容に対する心的態度。信念・欲求・意図・思考など。
  • 観念論否定:思考の内容は最初から世界との因果的関係に支えられている。だから「世界など存在しないかもしれない」という懐疑論的疑いは成り立たない。
  • 「知っている」:「心は一種の劇場であり、意識的な自己が現れを見ること」というモデルで捉えるものではなく、「話し手が自分の言葉を外部の対象や出来事に対して規則的に適用し、自分の態度として表明できること(他者への発話等の言語実践の中に現れ得る)」として捉える。
  • 言語や意味は、あらかじめ共有された規則体系ではなく、具体的な相互行為の中で成立するものとして説明される。

特に理解が難しかったところ

  • 解釈に組み込まれた不可避の推定、解釈そのものの成立条件 [第1論文]
  • 全知の解釈者 [第10論文]
  • 第4論文主題
  • 第5論文構成
  • 第10論文構成
  • 第11論文構成

その他

  • デイヴィドソン、やっぱりかなり難しいけど、全面的に生成AIを補助に使って読み込んだ。
    段落番号を付して論理展開を整理、代名詞や「理由は三つある」等のの指示先の明確化、論文内に説明がなく先行研究で前提となっている知識、など
  • 「スワンプマン」がこの論文集に出自があることを初めて知った。
    スワンプマンって、還元主義を主張するための装置なのかと思っていたけど、デイヴィドソンは「スワンプマンもオリジナルと同じだ」と主張したいわけではなく、むしろスワンプマンは(来歴を持たないので)思考を持たない、と言い切っているというのが意外だった。
    どのような意味でデイヴィドソンがそう言うのかを理解することは、この論文集での「外部主義」の理解につながるのだが、とはいえ、この思考実験の装置はあまり上手ではないのではと思う。


目次

  • 第1部 主観的
    • 第1論文 第一人称の権威
    • 第2論文 自分自身の心を知ること
    • 第3論文 主観的なものの神話
    • 第4論文 心に現前するものは何か
    • 第5論文 不確定性の主張と反実在論
    • 第6論文 自己の概念の還元不可能性
  • 第2部 間主観的
    • 第7論文 合理的動物
    • 第8論文 第二人称
    • 第9論文 思考の出現
  • 第3部 客観的
    • 第10論文 真理と知識の斉合説
    • 第11論文 経験的内容
    • 第12論文 認識論と真理
    • 第13論文 認識論の外部化
    • 第14論文 三種類の知識


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BXKS “FEAR OF ECLIPSE” (2026)



FEAR OF ECLIPSE [Explicit]



ロンドン北部のルートン出身。
無機質で乾いたトラックはグライムをベースに取りつつもっと変則的。自身では “Alternative Grime” と言っている。
抑制的でタイトなラップ、ハードなビートへの冷静なリズム処理でテクニカルなフロウ。
1分〜2分台の短い楽曲が11曲、計21分を140BPM前後で密度高く駆け抜ける。
UKラップMCの新しい世代としてかなり期待できる技量。
特に M-6 “TOUCH ON ME” から M-7 “INIT GYAL”、M-9 “VIXIN” あたりがよい。

タイトル “FEAR OF ECLIPSE” は、人生で直面する暗闇は長く続かず、その不安は日蝕を恐れるようなもの、という意味らしい。*1


音源


BXKS a.k.a. Bxksintokyo
  OriginLuton, England, UK
  Years active  2020 -
  LabelPlay Piem  https://bleep.com/release/560777-bxks-fear-of-eclipse

ASIN:B0G1CFJZJN


*1:
“The title reflects the darkness we all face in life, which doesn’t last long. Eventually, there will be light at the end of the tunnel.”
 Bleeding Edge: BXKS Interviewed
 https://www.clashmusic.com/features/bleeding-edge-bxks-interviewed/

アンスコム “インテンション”

“Intention”
 1957
 G. E. M. Anscombe
 ISBN:4000615270



 ある男が、住居に飲み水を送るポンプを動かしている。ポンプの水源には毒が入れられている。その家には民族虐殺を目論む政治家が住んでいる。
 このとき、男の行為は、

    • 腕を上下に動かしている
    • ポンプを操作している
    • 家に飲み水を送っている
    • 住人に毒を盛っている
    • 人々を救おうとしている
 ……など、さまざまに記述することができる。
 だが、だとしたらその行為の「意図」とは何なのか。意図とは、行為の背後に隠れていて他人には知りえない心の内面のことなのか。
 アンスコムはそうした見方を採らず、意図とは、行為を何らかの記述のもとで理由に結びつけて理解することだと捉え直した。

 行為論を現代に再び確立させた20世紀哲学の古典。分析哲学において「行為とは何か」を定式化した意義がある。
 行為の「意図」を「心的な内面状態」として説明することなく、「理由」「記述」「欲求」といった概念で説明。ウィトゲンシュタイン以降の哲学として言語使用・記述形式といった面を踏まえた分析を展開しつつ、行為をそもそも成立させるものとして「実践的知識」という概念を導入した。


重要ポイント

  • 意図的な行為:特定の意味で「なぜそれをしたのか/しているのか?」の問いが適用される行為
    • ある記述のもとでその行為がどう位置づけられるか:
      人間の行為記述は「なぜそれをしたのか/しているのか?」という問いによって成り立つ
  • 〈「観察によらない知識」で当人が知る事柄〉のクラスの下位に〈意図的な行為〉が位置
  • 実践的推論:欲求に支えられた実践的連鎖(望ましいものとしての特徴付け)
    • 意図的行為に内在する秩序構造を示す分析的道具
  • 意図の説明に「心的な内面状態」を用いることを否定する理由:内面状態を生じさせること自体が当人の行為なのだとしたら、それを生じさせる別の内面状態が必要となり、無限後退となるため。同じ出来事が、ある記述のもとでは意図的で、別の記述のもとではそうでないのであれば、意図的行為を理解するには「どの記述のもとでその行為を見ているか」を考えなければならない。


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ジェラール・ジュネット “メタレプシス──文彩からフィクションへ”

“MÉTALEPSE. De la figure à la fiction”
 2004
 Gérard GENETTE
 ISBN:4409041185




 文学には「フィクション内フィクション」という入れ子状の物語構造を持つものがあるが、この入れ子構造が何らかの理由で破られるケースがある。たとえば、コルタサルの短編小説「続いている公園」では「自分が読んでいる小説の登場人物の一人によって殺される読者」が出てくる。このようにふたつの異なる物語世界の境界が侵犯される現象を、ジュネットのフィクション理論では「メタレプシス(転説法)」と呼んでいる。

 もともと古典修辞学にもこの概念はあり、自分がつくった物語に作者が介入する表現をメタレプシスと指していた。ウェルギウスの叙事詩『アエネーイス』には、カルタゴの女王ディードーが死を遂げる場面があるが、このことを「ウェルギウスはディードーを死なせた」と表現する伝統的な言い回しがある。作者であるウェルギウスはただ作中人物の死を語っているだけなのに、あたかも作者ウェルギウスが作中人物の死を出来事として引き起こしたかのようにも聞こえる。
 古典修辞学ではこのように「作者による物語への介入」をメタレプシスとしていたが、近代以降の文学ではコルタサルの例のように「物語から作者への介入」というパターンも見られ、ジュネットはこうした現象も包括するようにメタレプシスの概念を「物語水準」「語り手による表象」の幅広い侵犯・越境へ拡張して捉えている。
 この書は境界の侵犯を起こす語りの技法・フィクション技法であるメタレプシスをさまざまな事例から拾い上げ、小説のみならず、演劇や映画、絵画にも見られることを示していく。

 断章形式で章題がないので構成を掴みづらいけど、p26までが理論部分で、その先は事例によってメタレプシスのさまざまな様態を示していく内容。


 メタレプシスの定義

  • ギリシア語
    • もともとのギリシア語ではメタレプシスは意味の転用によってある語を別の語のために用いる方法を指していたが、これは換喩(メトニミー)や隠喩(メタファー)も含んでしまう。
  • 古典修辞学での定義
    • 先行すること(原因)を理解させるために後続すること(結果)を説明するか、あるいはその逆をおこなうこと(デュマルセ)。継起関係に限定。換喩の特殊ケース。
      ex.
      • 作者が(直説法過去で)自ら語る出来事を生じさせたふりをする。
        (「『アエネーイス』の第四書でウェルギリウスはディードーを死なせる」)
      • 作者が(命令法で)出来事が生じるよう命ずるふりをする。
        (フォントノワの戦いを命令形で語るヴォルテール)
    • これらの例のように、作者(語り手)が現実には自分が表象しているにすぎない物語に因果関係として介入していることを主張する言い回しを、「作者のメタレプシス」と呼ぶことができる。
  • 『新・物語のディスクール』でのメタレプシスの定義
    • 入れ子の敷居の意図的な侵犯。
    • 「入れ子にする物語(一次的物語)」の登場人物のひとりが「入れ子にされた物語(二次的物語)」を語るという関係を越え、一次的語り手がいつの間にか二次的物語に登場してくるような事態。
    • 修辞学から転用した物語論的概念としての位置づけ
  • ジュネットによるこの書でのメタレプシスの定義
    • 表象を産み出す者(作者、語り手)をその表象そのものに何らかの意味で結びつける特定の因果関係の操作。
    • 「一次的物語と二次的物語という境界の侵犯」と「表象の産出者(語り手)によって語られているという関係の侵犯
    • 『新・物語のディスクール』では「入れ子の敷居の侵犯」と定義していたが、この本では、
      入れ子の侵犯では「表象の関係の侵犯」もともに生じている、と確認し明確化している。
    • この本においてメタレプシスは、修辞学での「作者のメタレプシス」をもとに「表象の因果関係の操作」「物語の境界の侵犯/表象の関係の侵犯」へ拡張され、文彩からフィクションへの移行において重要な役割を果たすものとされている。
    • メタレプシスが扱い得る「表象」は文学に限らず、絵画、演劇、写真、映画等も含まれ、物語論からより広いフィクション論・一般美学の領域へと対象が広げられている。


 文彩/メタレプシス/フィクション

    • 古典修辞学では、文章表現の技法として、比喩・換喩などの修辞的操作を「文彩(figure)」としており、「メタレプシス」(ex.「ウェルギリウスはディードーを死なせる」)も、文彩の一種として位置づけられていた。
    • ジュネットは「文彩」を、修辞学のように文章の単なる装飾ではなく、「フィクション」を生む最小単位のようなものと捉える。また「メタレプシス」を、文彩の中で特に物語水準や表象の境界を侵犯する契機となる概念へと拡張する。
    • 文彩にも、程度のグラデーションがある。
      • 片側には、単純に字義通りの発話がある。純粋に形式的に文彩と見なされるが、意味論的には弱いもの
      • もう片側には、強い意味での文彩がある。意味的転用の効果によって「驚異」をもたらすもの:メタレプシスは、強い意味での文彩に当てはまる。
      • この真に文彩的な、それゆえすでにフィクショナルな性質にジュネットは着目する。
    • フィクション文彩の拡大された様態である。(字義通りに受け取られ、実際の出来事として扱われた文彩)


 作者と語り手の区別

    • (p12) 作者をその作品に、あるいはよりひろく、表象を産み出す者をその表象そのものに何らかの意味で結びつける特定の因果関係の操作
    • (p14) この第一の水準の語り手を、ここで作者ウンベルト・エーコ自身と同一視するのはやや単純すぎるだろう
    • (p36) この語り手作者であるルイ・アラゴンとは根源的に区別されるべきである。


 事例

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明星聖子+納富信留 編 “テクストとは何か 編集文献学入門”



 タイトルの「テクストとは何か」という問いは、ポスト構造主義のようなテクストという概念自体についての問いというより、テクストの形而下のありようを考察するもの。
 つまり、ある「作品」「著作」といったものが、実際には何を対象としているのか(どの対象範囲を指しているのか)という問いに関わる。たとえば作者本人の書いたものが残っていない古典の場合、今残るさまざまな写本はそれが転写された過程の中で微妙に異なる違いを生んでいる。また近代の作品であれば、出版の過程でいくつもの改訂が重ねられていくことがある。そうしたものの中で何が「正しい」テクストなのか、ということは、特に学術分野で作品を研究する場合、大きな問題となる。

 ある作品のテクストが、きっちりと定まっていてその誕生から現在に至るまで完全に静的なものとして存在しれているということはありそうもない──というのは、言われてみれば確かにそのとおり、と思う。日常の中ではそのようなことは気に留めず、手元にある何らかの書籍をひとつの確かな対象として受け取っている。しかし学術的に作品を研究しようというときには、対象の正しいテクストは何かということを見過ごして済ますわけにいかず、そのため、よくよく考えれば難しいこの問題に対する長い考察の歴史がある。




 序 編集文献学とは何か 明星聖子

  • 編集文献学:特にドイツ語圏と英語圏で近年盛んになった新しい学問分野。(ドイツ語:Editionsphilologie / 英語:Textual scholarship)
  • ここでの「編集」は、人文学の研究で使用するテクストを作成することを指す。研究者が編集者となる編集。

  • 学術研究は本物のテクスト、正しいテクストに基づいておこなわれなければならない。
    では、その正しいテクストとはいったい何か。

  • 古代・中世のテクスト … 写本テクスト
    • テクストの正しさ・その正統性への信頼がなければそれらの研究はできない。
    • オリジナルのテクストは失われているので、オリジナルにできるだけ近いものとして正しいテクストの復元が必要:「テクスト批判」(「本文批判」)(ドイツ語:Textkritik)と呼ばれる、テクストの正統性を保証しテクスト研究を真実探求の学問として成立させるための基本作業。
  • 近代のテクスト … 印刷テクスト
    • 手書きの原稿 / 印刷テクスト / 雑誌等での初出 / 本となった初版 / 改訂版 ……
    • テクストの正統性の根拠とされる「オリジナル」とは何か? また、未完成作品や未公表作品はどう捉えればよいのか?
    • テクスト批判という古い作業が、近代になってあたらしいものを対象とし始めてあたらしい理論が必要になり、編集文献学という分野が生まれた。
    • その理論はやがて古代や中世のテクストを扱うときにも影響を与えるようになった。

  • 20世紀後半の編集文献学の方向性:edition (編集) からdocumentation (ドキュメント) へ。
    • そこでの正しさの基準は、資料をいかに忠実にありのまま出すか

  • 編集文献学の中心課題:
    • 学術研究が基づくテクストとはどうあるべきなのか。〈正しい〉テクストとは何か。
    • その正しさを支える信頼はどう形成され保持されるべきか。
      • これらは現代社会の広く一般に通じる問題としても敷衍可能:インターネット・SNSの信頼性


 Ⅰ 古典とは何か

 第1章 西洋古典テクストの伝承と校訂
── プラトン『ポリテイア(国家)』
 納富信留

  • 古代のテクストは、手書きで写された写本として後世に伝えられた。
    この過程では、注意しても、単純な誤写で、元と異なる文字列が書かれてしまうことがある。
  • プラトンのテクストも、本人のテクストよりずっと後の世の写本だけが残っている。
    現存する一番古い写本もプラトンが書いた時点から優に1300年が過ぎて写された本。
  • プラトンのオリジナルのテクストからさまざまな種類の無数の写本による伝承過程:膨大な労力と時間を費やす文化事業
  • 活版印刷術によって、そうした伝承過程が量的にも質的にも大きな転換を遂げる。

  • 19世紀ドイツで完成した批判的な古典文献学によって、写本の系譜の校合と系統化という課題が解決
  • 写本間の関係確定の手法:ラハマン法
    • 客観的に写本間の関係(「系統」)を分析することで正しい読みを確定しようとした
    • ラハマン法には多くの理想的状況が前提されているが、実際には写本の数が少ない場合や伝承過程が単純でない場合も多く、一定の有効性とともに限界や問題点もある。

  • 21世紀初頭に完成したスリングスの版
    • 削除を一方的に断定して読者にその判断に従わせるのではなく、自分の校訂見解を本文上で明示したうえで、読者各自で判断させるための工夫。
  • 古典文献学は、古代の原著をできるかぎり厳密に復元して、決定した最善のテクストを提示するという目標を持っていたが、スリングスの提示したテクストは、唯一の決定的な文言として読むべきものではなく、異読や間接証言など関連情報を網羅的に示すなかで、読者自身がテクストについて判断すべき原資料集


 第2章 著作集編集と「古典」の成立
── ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
 矢羽々崇

  • ゲーテやシラーがドイツ文学史のなかで「古典派」と呼ばれるのは、擬古典主義的だったというだけでなく、19世紀のドイツ国民のアイデンティティや誇りを支える規範的作品だという意識・欲求による。

  • 『ウェルテル』のふたつのテクスト:
    • 初版 → 十数年後に手を加えて出版された改訂版
  • ゲーテ著作集:
    • 最終校訂完全版 → ヴァイマル版 → 東西ドイツでのゲーテ著作集 → 最近の流れ:フランクフルト版・ミュンヘン版
  • 最終校訂完全版では『ウェルテル』は初版ではなく1787年改訂版の方が採用されたが、その校訂はゲーテから一任された古典文献学者ゲットリングがおこない、文言の調整すらされた。
    つまり『ウェルテル』に関しては、ゲーテ自身の手が入った1787年改訂版の方が「作家の意志」を反映していることになる。

  • 現在のテクスト編集では、『ウェルテル』のふたつのテクスト両方が尊重される。テクストの多様性がわかるかたちでのテクスト編集は、非常に重要。


 Ⅱ 聖典とは何か

 第3章 聖なるテクストを編集する
── 新約聖書
 伊藤博明

  • 「新約聖書」は、ひとつの書物ではなく27の文書群に対する総称であり、形式的にも内容的にも異なるタイプの文書の集合体。
    • これらはすべてギリシア語(コイネー)で書かれている(旧約聖書はヘブライ語)
    • 新約聖書を含むギリシア語写本は約5000点残されている。
    • 最古の写本であっても原テクストが作成・編集されてから200〜300年ほど後のもの。 早くから他の諸言語にも翻訳されるが、ローマ帝国下でラテン語訳が普及。
  • 新約聖書はキリスト教信仰の最も根本的な書物というだけでなく、絶対的な超越的存在との直接的な関係を求める点において特異な書物
    • 新約聖書といえども他の諸文書と同様にテクスト批判を受ける余地があり、編集文献学の対象となり得る。
    • しかし、新約聖書のテクスト批判に関しては、「聖典」としての性格がそのような作業を困難なものとしてきた。

  • プロテスタント:
    • 1633年に刊行されたエルセヴィルの携帯型ギリシア語聖書:「受容テクスト」としてプロテスタントへ広まっていった
    • 19世紀のラハマン(第1章):テクスト批判の方法を厳密に新約聖書にも適用した。
  • カトリック:
    • 1546年のトレント公会議で初めて協会公認のテクストが確定され、ラテン語による1592年のクレメンス・ウルガタ聖書が新約聖書の唯一のテクストとされて権威が継続したが、20世紀になってウルガタ聖書のテクスト検討がおこなわれるようになった。
  • 近代での新約聖書のテクスト批判の歩みは「受容テクスト」への飽くなき挑戦(検討)であり、保守的な神学者たちとの闘いの連続

  • 現代のテクスト批判
    • 20世紀のテクスト批判を踏まえ現在研究や翻訳に用いられる標準的なギリシア語聖書:『ネストレ=アーラント』
      • 多量の情報を持った批判資料欄が設けられ、読者が自らテクスト批判を行うことが可能となっている。
      • その一方、オリジナルのテクストではなく後代に付加されたものだと確認されている句(「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」のエピソード)が、これまで教会で長く享受されてきたことを理由に聖書テクスト内に残された。
      • しかしテクスト批判の見地からすれば、現代の聖書の一部でもおこなっているように、この句を欄外に配置する方が妥当だったのではないか。
    • 聖典に対するテクスト批判は可能なのかという重大な問題提起
      • テクスト自体の多様性を新約聖書の中に同等に認めようとすれば、新約聖書は「聖霊の導きで記された唯一無比のテクスト」であるという伝統的・保守的な観点からは批判を受けることだろう。


 Ⅲ 作品とは何か

 第4章 ヨーロッパ中世の俗語文学
── チョーサー『カンタベリー物語』
 松田隆美

  • ほとんどの中世文学の場合、作者による決定版と呼べるものが現存しておらず、作者も作品の形成に読者が介入することをより積極的に認めていたと考えられるため、「作者による唯一の決定版」という概念は危ういものとなる。
  • 中世ヨーロッパ文学の作品はほとんどの場合、執筆時期と現存する写本の制作時期との間に時間的隔たりがあり、写字生による転写過程でさまざまな齟齬が生じている可能性がある。
  • 中世文学作品の校訂では、作者自らが書いた部分と写字生によって変更がなされた部分の識別が必要

  • 写本間の影響関係や優劣を検討する方法として19世紀に生まれた中世文学の校訂法の二本柱:
    • ラハマン
      • 同じ特徴をもつ写本をグループ化し、転写の順序を推理することを提唱(cf. 第1章)
      • 系統図に基づく校訂版テクストに再構築:しかしこれは現存するどの写本とも一致しない仮想テクスト
    • ベディエ
      • ラハマンに対する批判から提唱された代替方法:「最良写本」法
      • 精査した写本のなかから最良の写本を1点選んで、それを底本として校訂し、より優れた読みが存在するときにのみ他の写本に言及するという方法
    • どちらも作者の原型に最も近いひとつのテクストを最終目標としている点では同じ

  • 現在のヨーロッパ中世文学研究は、テクストに積極的にかかわる写字生の活動を重要視。
    • 写学生の幅の広い役割を考えると、中世におけるテクストの伝播は、樹形図のような一方向的なものではないもっとダイナミックなものと捉えられる。そこには作者だけに限定されないさまざまな意図が働いていて、すべての写本を単一の作者の意図のもとに構成することは難しい。

  • 『カンタベリー物語』:写本群の唯一の系統的起源にある原型のことではなく、むしろ後代に制作されたさまざまに異なる82点の写本の総体であり、写字生も参加して作り上げた文化的産物と考えることができる。
    • チョーサー自身、そもそも物語の選択が読者の自由に委ねられていることを強調している。


 第5章 可能態としてのテクスト
── ムージル『特性のない男』
 北島玲子

  • 執筆途中で未完となった小説『特性のない男』
    • 作者ローベルト・ムージル:20世紀ドイツ語文学における最も重要な作家のひとり

  • 作品とは、作者自身が完結したテクストとして提示したものだけでなく、遺稿のように後世の編集の手が加わることによって初めて作品として読むことが可能となるものもある。
  • 作者の死後に始まった『特性のない男』編集の歴史は、さまざまな問題をそのつどあらたに生み出しながら展開されていく。

  • ムージルのテクスト編集は従来ひとりの編者が遺稿の管理人との個人的な関係において閉じられた形でおこなわれてきたが、20世紀になって、遺稿を読者や研究者に開かれたものにしなければという動きが起こる。
  • 2009年にはその集大成として、遺稿をそのまま提示し、さらにそこから編集された本文を1つの例としてつくり、その両者をハイパーリンクでつなぐ電子版が刊行される。

  • 作者が最終的にどのように完成させるつもりであったかを基準にテクストを再構成することはできない。
  • とはいえ、テクストを必ずしも作者の意図と結びつける必要はない。テクストは作者の意図を越えたものであり、それゆえにさまざまな解釈を生み出す可能性を孕んでいる。編集の役割は、テクストそのものに語らせ、読み手がさまざまな読みの可能性を引き出すための場を提供することだと考えることもできる。


 Ⅳ 上演とは何か

 第6章 演劇テクストの作者は誰?
── シェイクスピア『ハムレット』
 井出 新

  • 版本が複数存在する『ハムレット』
    • シェイクスピアの自筆原稿が残っていないので、上演後に出版された印刷本に依拠しているが、版によって内容や量が異なる
    • これは劇作家の原稿と演劇興行のあり方に関係しており、印刷本の制作者が異なるだけでなく、上演に至る段階での紆余曲折をテクストに刻み込んでいる手稿台本が印刷本の背後に存在しているからと考えられる

  • 『ハムレット』に対するテクスト批評では、それぞれの版本の背後にどのような手稿が存在するかを精査し、いずれかの版本を編集上の底本とする必要がある。
  • では底本をどのような基準で選べばよいのか。
  • この問題を体系的かつ学問的に検討したのが、20世紀初頭の「新書誌学」
    • 底本になるべき「最も信頼できるテクスト」を追求。
    • 作者の自筆原稿こそが真の実在であり、版本は不完全の仮象のテクストにすぎないと考えるイデア主義者と言える
  • だがシェイクスピアのテクストは、劇団活動の中で上演や改訂を加えながら完成するものだと考えるならば、作家の「最終的な意図」が反映された「最も信頼できるテクスト」という絶対的基準は崩れる。
  • 版本は、絶対的基準に近いかどうかが問われるのではなく、独特で複雑な生成の過程が織り込まれた物証としての個性が問われ始める。つまり版本とは、ある芝居のテクストがそれぞれの環境のもとで徐々に形を変えながら社会化されていくプロセスの一段階を切り取ったユニークな歴史史料だということになる。


 第7章 歌劇の「正しい」姿?
── ワーグナー《タンホイザー》
 松原良輔

  • オペラ芸術における作品とは何をさすのか
  • オペラ作品をどのような形で出版すべきか
    • 「本文」としてのフル・スコア+本文を確定する際に使用した資料のリスト+批判資料

  • ワーグナーのなかで《タンホイザー》ほど複雑な改作の過程をたどった作品は他にない
    • スコア初版 → 初演後の版 → 製版スコア初版 → パリ上演に向けた変更 → ウイーン版スコア初版
    • モットルによって編集された初期形態「ドレスデン版」と後期形態「パリ版」:このふたつは《タンホイザー》の代表的ヴァージョンとして現在まで広く流通するが、それは作品の成立と変更の過程を正確に反映しているとは言いがたい。
  • ナチス時代に「ドイツの巨匠」に祀り上げられた反動で、戦後はワーグナーに異なる向き合い方がなされる。
  • 《タンホイザー》についても従来の時代区分の見方を変え、「作者が推敲して練りあげた楽譜を作品の決定的な姿として提示すること」よりも、むしろ「節目節目における上演において立ち現れた作品の姿を楽譜で再現すること」を目指すという姿勢に。
  • 「記念碑的傑作の唯一の正しい姿」を求めるあまり排他的権威主義に陥ることは避けなければならないが、作品内容を徹底的に読みこんだうえで、ある段階での作品の姿を「最も妥当なもののひとつ」と判断し、テクスト編集の出発点とするという発想も必要。


 Ⅴ 作者とは何か

 第8章 モダニズムのテクスト
── フォークナー『響きと怒り』
 中谷 崇

  • フォークナーのテーマ:奴隷制度・南北戦争・黒人差別 → 南部文学 … 近代の隠蔽された負の側面と向かい合う文学
  • フォークナーの連作群は、個々の長編や短編はひとつの文学作品でありながら、「ヨクナパトーファ・サーガ」という巨大な文学世界の一部でもあるというあり方
  • 複数の作品が組み合わされて連作を構成し、それがひとつの社会や土地や時空を包括的に捉える試みになるという文学上の方法
  • このような文学は、どこからどこまでが1つの「作品」なのか自体が判断の対象になる

  • フォークナー作品の研究は、「標準版テクスト」の確定を目指すアングロ・アメリカ系の批評にておこなわれている
  • ドイツ系のテクスト編集にくらべて、第三者の検証の入り込む余地が少ない主観的なものであり、他の作家のテクストに対しての応用性が足りない、採用された読みの根拠となる資料がわからない、といった問題がある。
  • だが、「近代」と「近代文学」のねじれを体現するフォークナーのテクスト研究をおこなうには、そうした方法ではなく、検証可能で科学的な編集理論こそが必要。


 第9章 遺稿編集の問題
── ニーチェ『権力への意志』
 トーマス・ペーカー(矢羽々崇訳)

  • ニーチェ編集の歴史
    • ニーチェの生前
    • ニーチェの死後、遺稿にテクスト操作と改竄が為された時期
    • 第二次大戦後に批判的な編集作業が始まり、1960年代初めに批判版全集出版でその傾向が明確になって現在まで続く

  • ニーチェの仕事の仕方:体系的に段階を追って漸進的に哲学的著作を出していくというものではなく、ありとあらゆる思いつき、引用等をさまざまなノートにさまざまな時期にメモとして書き込んでいた。
  • これらのメモは、「複雑な言語マトリクス」と見なすのがもっとも妥当。


 終章 テクストとは何か
── カフカの遺稿
 明星聖子

  • テクストの正しさを問題にするとき、よく判断の根拠とされるのは「作者の意図」だが、この基準はカフカには当てはめることができない。なぜなら、本人によって明言されている意図は、そもそも作品化してはならないというものだから。

  • カフカ編集の歴史
    • ブロート版:テクスト批判上の数々の問題が繰り返し指摘されてきた
    • 批判版カフカ全集:カフカが残したテクストをできるだけ正確に再現しようとした試み
      • だが、書き込みがカフカの「意図」を示すものだとなぜ確定的に言えるのか
    • 写真版カフカ全集:手稿をそのまま写真で複製した全集
      • 写真版での根拠は、意図といった実体のない仮象ではなく、現実に存在しているモノ。実在物をできるかぎり忠実に再現して提示。
  • だが、どんなに忠実な複製がどんなメディアで現実化されようが、構造化の過程、編集の過程には、必ず解釈が加えられざるをえない。この解釈をどう正しくおこなえばよいのか、その基準はどこにあるのか、という問題が常につきまとう。


 結 テクストを読み解く技法 納富信留

  • テクスト成立の三契機
    • テクストには成立事情がある
    • テクストには異なる種類がある
    • テクストは読者が読み解くものである

  • 「テクストを疑え!」という編集文献学の心得:
    • テクストはそのまま受け取ってはならず、読者として主体的に読み解く必要がある。そこには複数の接し方、読み方の可能性があるが、だからといって相対主義的にどんな読みをしてもかまわないということにはならない
    • 学問的な吟味は、どのテクストがより信頼できるか、それらのテクストの違いは何かを明確に示す。
    • 開かれたテクストへの接近を通じて、一定の作法にのっとったもっともな解釈へ進むことが、テクストを読むということ。
  • 編集文献学は、アングロ・アメリカ系批評のように「信頼できるテクストの認定」というかたちではなく、読者が主体的にテクストに関わっていくあり方を目指す。

  • また、海外で成立したテクストを扱う場合、今までの話題に加えて「翻訳」というやっかいな問題があるが、これは今後の課題。



 


 






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell