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 クレア・ビショップ “人工地獄 現代アートと観客の政治学”



“Artificial Hells”
 2012
 Claire Bishop
 ISBN:4845915758



人工地獄 現代アートと観客の政治学

人工地獄 現代アートと観客の政治学






 参加型アートの歴史を記述し、さまざまな「参加」のあり方を見ながら芸術と社会の関係を考察したもの。
 タイトルの「人工地獄」とは、1921年の「ダダの季節」に対するアンドレブルトンの事後分析で用いられた語から取られている。ブルトンはダダの季節を失敗だと総括しているのだが、それは、行為主体と鑑賞者のあたらしい関係を打ち立てようと始められたダダに対し、鑑賞者が次第にダダの挑発行為を期待するようになっていったためだと書かれている。ビショップの本書においては、同様に、参加型アートでのアーティストと参加者の一筋縄ではいかない摩擦的な関係が描かれていく。

 全体は三部構成。理論面が第一章に整理され、それ以降は参加型アートの歴史的事例を追う。


    • 1. 理論的導入部 参加型アートのキー概念(第1章)
    • 2. 歴史的なケース・スタディ(第2章〜第6章)
    • 3. 1989年以後の時代 参加型アートの同時代的な動向(第7章〜第9章)
          • 共産主義社会崩壊後のヨーロッパ
          • 「委任された」パフォーマンスと教育的なプロジェクト


 参加型アートをめぐる言説では、往々にして芸術性よりも協働性やコラボレーションが無垢に称揚されることがある。
 これらの背後には、スペクタクル化した資本主義社会の抑圧からの人間性回復、あるいは新自由主義的秩序への批判といった考え方があり、要するに芸術的な試行を通じて社会的な面での何らかの達成が目指されている。こうした思想を受け、参加型アートの実践では社会的な達成としての「協働」の度合いが計られ、そのプロセスもまた成果として評価されることになる。
 だが得てしてそのような場合、芸術性や作者性が看過されるという逆説的な面も生まれる。つまり芸術的な達成と社会的な達成は、必ずしも両立できていない。
 このような芸術と社会の関係を捉える上でビショップは、社会に対する芸術の二律背反的な自律性というランシエールの考えに依拠する。そして芸術を「不安」「不快」といったものが力源となる活動であるとして、芸術における「否定」という要素を重視し、参加における合意や協働よりも衝突・軋轢・緊張といった側面、およびそこから参加者や観者に生じる着想や情動に目を向けていく。
 ビショップはランシエールに従い、結局のところ社会的な判断と芸術的な判断の緊張関係は解消できない――というより、むしろ維持するべきだ、と整理している。そもそも「社会」と「芸術」の追求が協調的に達成されるようなものだという見方が誤解なのだと。
 こうした誤解は、参加型アートでの「参加」という概念が、一方では芸術の形式、他方では政治・社会の形式、つまり社会の民主制から共に語れる概念であることから生じている。だが両者における「参加」は同等視できない。ふたつは折り合いのつかない異なるものだと考えることが重要だ。芸術における参加のあり方は、アイデンティティ・ポリティクスから連なる社会的参加・包摂の文脈(「倫理的転回」)とはどうしても齟齬をきたす。アーティストは参加者の創造的な開発=搾取を必要とし、そこでのアーティストと参加者の関係は「協働」や「合意」というより、相互的緊張、乖乱的関係のもとにある。たとえば、搾取自体をテーマとするために他ならぬ搾取をおこなうというように。だがビショップは、そうした関係での参加にこそ芸術が社会へ与える変化の可能性があると見ている。

参加型アートは、特権化された政治的媒体でもなければ、スペクタクル社会に対する都合のよい解決法でもない。参加型アートとは、民主主義そのものと同じように不確かで不安定なものなのだ。参加型アートと民主主義はどちらも、予め道理が与えられているものではない。この二つは、あらゆる具体的な文脈で持続的に実践=上演され、そして試されていかねばならない。


 本書では主としてヨーロッパの事例が中心、東欧と南米は含むが北米はほとんどなくアジアその他は触れられていない。それでもかなりのページ数があり、参照されている時間範囲も広い。メモしておきたい個所もいろいろあるけれど、戦前および戦後のパリでの参加型アートについては特に触れておきたい。

      • 参加型アート前史とも言える戦前の三つの事例、ファシズム台頭下のイタリア未来派ロシア革命後の演劇芸術、そしてパリ・ダダ。これらすべてで、アートにおける「参加」が政治的コミットメントと不可分になったのだが、このうちダダだけが、イデオロギーを動機とする参加に取って代わる注目すべきものを提示した。
      • 1960年代パリの三つのオープン・エンデッドな参加型アート(シチュアシオニスト・インターナショナル、視覚芸術探求グループ、ルベルのハプニング・アート)は、1960年代の最大の社会的・演劇的な抵抗の契機である「五月革命」への道筋を整えた。



「参加」のアイデンティティの変化

      • 1910年代 「群衆」
      • 1920年代 「大衆」
      • 1960年代後半〜70年代 「公衆」
      • 1980年代 「排除された人々」
      • 1990年代 「コミュニティ」
      • 現代 「ボランティア」


「鑑賞者」の変化


 アーティストに対し自らの役割を要求する鑑賞者 → アーティストが創案した新奇な体験への服従を享受する鑑賞者 → 協働して表現を創造することを求められる鑑賞者
 こうした変化を通じて、鑑賞者の能動性と行為主体性が次第に顕在化していく。


プロジェクト


 参加型アートをめぐる重要な概念のひとつに、「プロジェクト」という語がある。
 1990年代以降「プロジェクト」という語は、さまざまな芸術活動を包括する概念となり、起点と終点が定かではなく長期に持続する芸術的営為を表す語として「芸術作品」に取って代わっていく。
 有限の物的対象としての芸術表現から、可変=継続的な特性/ポスト・スタジオ的なもの/リサーチ方式/社会的過程/長い期間をかけて拡張していくもの/柔軟性を形式とするものへと芸術表現が変わり、それらを表すために「プロジェクト」という語が用いられている。


作品例

    • 《オーグリーヴの戦い》 ジェレミー・デラー, 2001, イギリス
       “The Battle Of Orgreave”, Jeremy Deller, 2001, UK
        • 参加型アートの極めつきとなる作品と言われる。イギリスの労使問題の重要な転機である、サッチャー政権と鉱業の衝突を「リエナクトメント」(戦争など歴史上のイベントを再現する活動)で上演した。
           
    • 《バレス裁判》 ダダ(ルイ・アラゴン, アンドレブルトン, トリスタン・ツァラ他), 1921, フランス
       “The trial of Barrès”, Dadaists (Louis Aragon, André Breton, Tristan Tzara etc), 1921, France
        • もともとリベラルだった作家バレスが右翼・国粋主義へ転向したことを裁判形式で裁定したイベント。ダダの方向転換のきっかけとなった。
           
    • 《心理地理学的パリ・ガイド》 ギー・ドゥボール, 1957, フランス
       “Psychogeographic guide of Paris”, Guy Debord, 1957, France
        • 断片的に表現され、意味の掴めない矢印でつながれたパリの街。機能の不明な地図。
           
    • 《ヘリコプター》 オスカル・マソタ, 1966, アルゼンチン
       “The helicopter”, Oscar Masotta, 1966, Argentina
        • ふたつのグループに分かれバスで異なる場所を移動するイベント。映画スターを乗せているというヘリコプターを途中で見た/見なかったという基準で鑑賞者を区分した。
           
    • 《トゥクマン・アルデ展覧会》 1968, アルゼンチン
       “Tucumán Arde”, 1968, Argentina
        • トゥクマン北部で労働者を搾取していた砂糖工場の実態を表現したもの。政治的な展覧会企画の成典のような存在となっている。
           
    • 《見えない演劇》 アウグスト・ボアール, 1970年代, アルゼンチン
       “Invisible theater”, Augusto Boal, 1970s, Argentina
        • 警察当局の摘発を避けようとする公共演劇。自分自身を鑑賞者と思ってさえいないような鑑賞者が演劇に巻き込まれ、労働問題に関する議論が上演される。隠し撮りのドキュメンタリー形式の先駆けと言えるが、ボアールの場合、社会変革をおこなう目的で演劇手法を活用した点に決定的な違いがある。
           
    • 《ユニテ・ダビダシオンでの展覧会プロジェクト》 1993, フランス
       “Project Unité”, 1993, France
        • アーティストと住人全員がパーティに招待されたが、それぞれはグループに閉じこもり、相互の交流は成立しなかった。
           
    • オーストリアを愛してくれ》 クリストフ・シュリンゲンズィーフ, 2000, オーストリア
       “Please Love Austria”, Christoph Schlingensief, 2000, Austria








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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell