[あらすじ]
ロシアの作家ゴルチャコフと通訳エウジェニアは、イタリアからロシアに帰国して自殺した音楽家サスノフスキーの足取りを追ってイタリアを旅していた。ふたりはトスカーナの山村バーニョ・ヴィニョーニにたどり着き、そこでドメニコという狂人の噂を聞く。ドメニコは、世界の破滅から家族を救おうと7年間も家に閉じこめ続けたあげく、妻子は村人に助け出され/連れ出され、残った彼はひとり、半ば廃墟と化した家に住んでいた。
世界を救うたったひとつの方法は、村にある聖カテリーナの温泉を、ロウソクを持って渡り切ること。その火を消すことなく。しかし狂人と思われているので村人が彼を温泉に近付けさせない。
ゴルチャコフは彼に興味を持ち、その役を担うことを請け負うが、エウジェニアと仲違いし、ローマへ戻る。帰国の準備をする彼のもとにエウジェニアから電話がかかり、ドメニコがローマで3日間も演説をしているということを聞く。ドメニコはゴルチャコフが義務を果たしたか気にしていたという。それを聞いたゴルチャコフは予定を変更し、ヴィニョーニへ戻る。
ロウソクを持って温泉を渡り切るために。
[ことば]
“排水溝や学校の壁、アスファルトに目を向けよ”
“重要なのは完成ではない
願いを継続することだ”
“これが世界の終わりなの?”
[メモ]
多重なシーン
接写 箱庭のような世界
暗がりを描くことを厭わない
転位 長回しのシーンの中で、人物の構図が変わる
犬
雨 雷
雨の降る家 天井から張られたビニールに貯まった雨水
鏡のついた扉
会話にならない会話
唐突な登場人物
ラスト。ロウソクを手にもち温泉をわたるシーン。(そこには湯は張られていない。なぜ?)
温泉をわたる前に、(思い出したように)壁にタッチするところがいい。律儀だなって思わせて。でも、そういう細かいことが、やくそくごと/儀式を成立させる要素として重要なんだ、きっと。
ひとつひとつの歩み、動作が、すさまじい緊張感をもって、観ている者に、意識を同化させる。
映画・物語が(音楽や絵画と異なり)、その世界に観客を没入・同化・感情移入させる指向を持っていると定義するのであれば、その意味でノスタルジアはまちがいなく、「物語」だ。