“L'EDUCATION SENTIMENTALE”
1864-1869
Gustave Flaubert
ASIN:4003253833 / ASIN:4003253841
[概要]
フランス。パリが主な舞台。
あらすじは...書きにくい。目をみはるような展開があるわけではないので。二月革命という動乱期を舞台にしてはいるのだけれど、そうしたなかにあっても淡々と過ごされる生活が、非常に緻密、かつ平坦に描かれる。生じていることは、ありふれた事柄ばかり。現在でも通じる。街並、テクノロジーはもちろん異なるが、ものの考え方などに違和感はない。思考が現代的。決闘(ちょっとグダグダだが。)とか革命とかも出ては来るが。革命そのものは、劇的な変動としては描かれない(主人公に衝動的な影響は与えるが、恒久的な変化はもたらさない)。争乱、流血が続いても、妙にのんびりした雰囲気が漂ってたりする。悲壮的なのはデュサルディエの最期ぐらい。
登場人物は、多い。ムダに多いと言ってもいいぐらいに。しかしそれは小説としてみればそうなのかもしれないが、たとえば自分の実際の生活を振り返ってみれば、自分の生活に登場する、自分に関連する人物の数は、けっこうな数にのぼるはずで、ただ単にそれと同じ。群像劇というわけでもなく、生活をそのまま描く、というスタイル。
そういう意味では、小説の形式に依るところは少ない。小説というよりも、観察、に近い。動物観察日誌ぐらいの。冷淡というより、単に主人公がおこなったことと思ったことが羅列されていくだけ。
基本的には、恋愛小説。ひとりの理想的女性を主軸としてめぐる主人公フレデリックの感情の遍歴。それが順を追って描写される。
[登場人物]
フレデリック:主人公。彼がパリでの生活を本格的に始めるところから物語は始まる。
アルヌー夫人:主人公の理想的女性。心の恋人。
ロザネット:主人公の恋人。ローズ=アネット・ブロン。“マレシャール(女元帥)”。
以上3人。
あと女性では地元のルイズとか、最後の方ではダンブルーズ夫人なんかも絡んでくるが、基本はアルヌー夫人とロザネットが両軸。
その他に重要な人物は、
デローリエ:主人公の友人。
アルヌー:アルヌー夫人の夫。(っていう説明もどうかと思うが。)
といったところか。その他大勢は多すぎて最初はついていくのがたいへん。
[メモ]
1..
フレデリックの性格は細かく描写されているが、気持ちが急激に変転するのが大きな特徴か? 恋人と郊外で何日も過ごしていたのに、デュサルディエの負傷を新聞で知るとすぐ行かなきゃ、となって(そこまではいいのだが)一瞬で彼女のことはどうでもよくなってしまう。一度にひとつのことしか考えられない、しかもそれに集中する、という感じ。
感情教育という題名ではあるが、特に主人公が成長していくというわけではない。そういう教訓的スタイルの小説ではない。むしろ成長しない。というのは主人公は過去を概括的に内省することがないし、自己言及しないからだ。
感情の遍歴が文章になっている。こころというブラックボックスに対して、インプットとアウトプットがそれぞれ記述されているような。変動する機械。初期状態(大学試験に合格しパリから一時帰省する途上)から、最初のインプット(アルヌー夫人を見かける)を与えられ、あとは環境と相関しながら自動的に作動が続く機械の様子を綴っているような。
2..
階級が厳然と存在している。ただしそれは厳格に固定しているわけでもなくて、浮き沈みがあり、また階級間での交流もないわけではない。フレデリック(中流階級)は上流階級とも接点を持ち、下層階級の人物とも交友する。とはいえ、上流階級と下層階級の者が接点を持つことはない。
フレデリックがアルヌー家やダンブルーズ家と交流を深めていく過程は、なんかわかりにくい。毎週の食事会に呼ばれるという習慣自体が実感しづらいからかもしれない。
[好きなシーン]
・ロザネットとふたりで過ごした、フォンテーヌブローの森での日々。
・アルヌー夫人との別れ。
このふたつのシーンは、かなりよい。
一方はリアリスティックで、もう一方はドラマチック。
基本的にアルヌー夫人の方がかなり思いが込められて描かれているが、あまりに神聖化された女性像なので、魅力的に思えない。それよりもロザネットの方が実際はかわいいと思う。手がかかってわがままで無邪気な。
[参考文献]
ブルデュー“芸術の規則I”参照のこと。
登場人物の社会-空間の図。上昇と下降。それに伴う空間的変遷。
ルーマン“社会の芸術”でも触れられている。