“EAMES FILMS”
2001
CHARLES AND RAY EAMES
ASIN:B00005MIG1
1. POWERS OF TEN 1977
2. ROUGH SKETCH OF A PROPOSED FILM DEALING WITH THE POWERS OF TEN 1960
3. BLACKTOP 1952
4. KALEIDOSCAPE JAZZ CHAIR 1960
5. HOUSE:AFTER FIVE YEARS OF LIVING 1955
6. TOCCATA FOR TOY TRAINS 1960
SPECIAL FEATURE. 901:AFTER 45 YEARS OF WORKING 1990
“POWERS OF TEN”
たったの9分で極小の世界から極大の世界まで、宇宙をすべて見せてしまう。近代自然科学のひとつの結晶のような映像。
何度か観てたけど、これはDVDで持っていてもよいなと思った。
1977年版の方がデザイン的な完成度は高いし、科学的内容も進んでいる。
1968年のラフスケッチ版の方は、視点移動に伴う経過時間を併記しているところが特長。地球での時間と視点の時間との相対論的な時間のずれがわかる。これは1977年版にも残しても良かったのでは? 冗長的だったと思ったのだろうか。それともある時点から視点が光速を超えてしまうからか? つまりフィジカルな世界に相対論の限界があっても、映像では光速を超え得る。
一方で極小に進む視点は、原子核に到達したところで終わる。「この先はまだ明らかになっていない」っていうコメントが素直。その先はどうなっているのか? これ以上進むと、もう映像化できないほど抽象的な世界になっていくはず。
日常的スケールの世界から銀河団規模の視界にまで至る映像なども、現実には撮りえないから、この映像はそもそも全体的にフィクションなのだ。科学のことばで表現されるといかにもそれが真であるかのように思えてしまうけれど。
直接知覚することが不可能な対象を認識するためにはどうすればよいか。数式や法則で記述する方法があるし、言語で記述する方法があるし、あるいは映像で記述するという方法がある。映像は、一見本物らしく感じさせてしまうことができ、説得力は絶大だ。しかし対象が直接撮影できないようなものであれば、そこには工夫がいる。フィクションをリアルに見せるための何らかの仕掛けが。
焦点を固定しながらスケールだけを変化させること、その速度は10の累乗の増減として画面に表示されること、逐次的な解説・音楽を付随すること。それらの工夫によって、たった9分のうちに宇宙を凝縮して体感することができる。説明・解説の手法、デザインの、すぐれた見本。
POWERS OF TENで表現したさらにその先のスケールは? 量子の世界、さらにその先の世界。あるいは銀河の先、宇宙の果ての世界。それには大統一理論が必要になる。世界の最小の原理、そして宇宙の創生を知る必要がある。今後の自然科学がそれらを明らかにするとして、ではそれをどのように映像化することができるか。とんでもなく抽象的な事柄が対象であっても、映像表現は挑戦していくだろうし、思いもよらないアイデアで映像化していくのだ。きっと。
“TOCCATA FOR TOY TRAINS”
トイ・フィルム。ヴィンテージなおもちゃの機関車をひたすら撮り続けるフィルム。なかなか良かった。
これも、映像表現としての工夫がある。おもちゃに与える動き。遠景と近景の、焦点のあて方、ぼかし方。古いおもちゃの質感。それだけでこれだけリアルな世界が描ける。リアルというか、生命感がある。
それにしても、イームズの映像はどれもけっこうめまぐるしくて眼がまわる。意外とのんびり観れる映像ではない。