“The Complete Untitled Film Stills”
2003, MoMA
Cindy Sherman
ISBN:0870705075
世界をどのように切り分けて、物語化するか。そういうテーマを考える上では、シンディ・シャーマンはきわめて重要。
Untitled Film Stillsシリーズ。#1, 1977 〜 #84, 1980まで。映画のワンショットのように撮られた白黒写真のシリーズ。協力者に撮ってもらうこともあったが、基本的にはセルフ・ポートレイト。登場人物は常にひとり。ウィッグ、コスチュームで典型的な女優であるように装った自分自身。画面に他人が写り込むことのないように配慮されて。フレーム、アングル、ライティング、ポーズ、コスチューム、ヘアスタイル、小道具、表情、目線...。それらが個別の世界をつくりあげる。
緻密な計算のもとつくられたシーン(ex..#14)。室内のシーンの多くは、彼女の住んでいたアパートで撮られている。彼女の部屋のあらゆる部位は、さまざまに化粧されて、ホテルやアパートのロビーであるかのように彩られ、多様な舞台として撮り尽くされた。
他の芸術写真と違うのは、すべて徹底してフィクショナルなシーンとしてつくられていること。世界のある一瞬を切り取ったものではなく、あらかじめ計算され、舞台が用意され、準備された世界。
極端な表情や、一目でどこか特定されるような場所、は排除される。求められるのは匿名性。どこの場所でもありえて、誰でもありえるシーン。映画の形式を用いたその匿名性のために、実際の映画のワンシーンとしていかにもありそうに思えながら、当然それはどんな映画にもあてはまらない。そのシーンは、キャラクター・背後の物語に対する問いを見る者に強いる。
一方で、このシリーズを撮る生活を続けていくことによって、彼女自身のアイデンティティが揺らいでいったことが序文に語られている。常に「舞台」を探し求める視線で街を見て、旅行に行く先々で撮影用の衣装を買い求め、何種類ものウィッグを持ち歩き、メイクアップを繰り返す生活。〈物語〉は、虚構/現実という区別のもとに成立するはずだが、世界を物語化しようとする企図を徹底することで、次第にこの区別は曖昧になり、実際に自分の感覚は変容していく。演技・演出で世界を彩る。自分が世界に語られるのではなくて、自分が世界を語る、という態度。積極的に世界を変えようという試みでは世界は変わらないけれど、その試みをあえてフィクショナルに演じきることが、自分と世界の関係を少しずつ変えていくことになる。
[メモ]
演技すること。シーンをつくること。世界を切り分けること。
好きな写真:
#59, 1980, p40
#83, 1980, p46
#56, 1980, p48
#42, 1980, p52
#53, 1979, p102
#63, 1980, p112
#39, 1979, p114
#13, 1978, p150
#48, 1979, p156