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 カフカ “城”



“Das Schloss”
 1922
 Franz Kafka
 ASIN:4102071024


[概要]
 不条理文学の代表格とされている。
 たしかに、設定された状況は奇妙。
 仕事の依頼を受け、とある村にたどり着く測量士K。しかし到着してからすぐに、あらゆる物事が思うように進まなくなっていく。びっしりとはりめぐらされた不可解な規範に、ことごとく動きを絡み取られる。規範の中心には「城」を基盤とする茫漠とした官僚機構があるらしいのだが、Kと城の間には幾重もの見えない障壁が立ちはだかり、城は彼の存在を無視し続ける。したがって、いつまでたっても測量の仕事にとりかかることができない。それどころか、寝泊まりする場所を確保することすら困難になっていく。そうこうしてるうちに酒場の娘と結婚の約束をして一緒に生活を始めたり、別の娘と深い話をして同情を覚えたり。揺れ動きながら、さまざまな村人と交流していく。そんななかでも、なんとか城の役人たちに接触して自分の境遇を確認しようと努力し続けるが。


[感想]
 込み入った多段階の手続きと、暗黙の不可侵領域。城の役人たちと村人たちとの間には絶対的な格差がある。役人たちは機能的に動いてはいるものの莫大な業務量に忙殺されており、まともにコミュニケーションを取ることがほとんどできない。物理的にはすぐ近くにあるのに、決して近付くことはできず、向こうから近付いてくることもない。すべての局面において、滑稽なまでに状況に縛られた登場人物たち。結果として彼らの群像はことごとく不条理なものに映る。
 でも、不条理、って言うけど、実際の日常って、これと似たようなことがけっこう起きてるなと、ふと思った。
 いろんなことが噛み合わない感じ。なんでそんなことが通じないんだ、とか、ちょっとしたタイミングの食い違いが大きく全体に影響を及ぼしていく、とか。ひとつの局面が、別の可能性を持った複数の選択肢に分かれていることを意識させられ、でもそこではそのどれかをあくまで自分が決定しなくてはならない。そして空回りする意図。あぁ..こういう経験って、ある。
 そう思い始めた途端に、「城」がより一層、重みを増した存在になってみえる。寓話が現実にオーバーラップする瞬間。

 未完の作品らしい。
 たしかに唐突な終わりという印象だったけど、でも最初読んだときは、こういうものかなと思ってそんなに気に留めてなかった。

 いろんな解釈、思考の発展ができそうな小説。



[メモ]
 城をめぐる空間構造と、村にある規範は、どのようにリンクしているのか。あるいはリンクしていないのか。
 規範は何に依っているのか。

 Kが自分を城に認めてもらいたいなら、城に入って役人と直に会話すれば解決するのに、と思うが、しかしKはそうしない。そうできない。それはなぜ? 強引に城へ行こうと思えば行けなくはないと思うのだけど、彼が城へ行くことを拒むものは何か。あるいは、役人が村に降りてくるときに使用する宿における、役人しか入ることを許されないフロア。限られた陳情者たちだけが入ることを許されている。そこに役人がいるのは明白なのに、なぜ彼はすぐ近くにいる役人に接触することができないのか。
 何か領域が行動を厳格に制限しているように見えるけれど、空間が行動を規制するはずはない。言い換えると、場所に対して絶対的な意味が付随しているはずはない。
 空間が行動を制限する場合もある。明白な物理的障壁がある場合だ。たとえば高い城壁と深い堀に囲まれた城であれば、それは特定の出入口からのアクセスしかできないことを意味する。しかし戦時であれば門ではなく堀と城壁の直接的な攻略を目指すことも行動の選択肢に含まれてくるだろう。とすると空間に意味が付与されているとしてもそれは状況に依って異なることになる。*1
 つまり、空間に先行して行動を規定する何らかの仕組みがあるはず。それが規範であると想定してみる。

 彼の・村人の行動を制御しているのは、城を起点に広がる見えない規範。または、他の者もそれを信じて行動しているだろうという予期。
 この舞台において、城の規範は絶対的なものとしてあるわけではないし、その内容を確認することもできないのだが、人々はみなそれに厳格に従って行動している。よく考えると、根拠ははっきりしない。そのはっきりしないものを固く信じている。
 システム論に依るならば、そもそも規範とは無根拠なもの。しかし人々が規範なるものがあると信じてそれに従って行動し、さらに他人も同様に規範を信じて行動するだろうと予期して再帰的に行動し続ける限り、秩序状態は継続する。その規範をやぶることはいつでも可能なのだが、あえてそれを試みる者もいない。また、一度や二度の違反があったとしても、それが単に逸脱行為と位置づけられる限り、規範が崩壊することはない。

「そこから先は柵がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。」
「おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。」
「あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。」

 行動は規範への信頼・予期によって制御される。城だとか村だとか、あるいは宿屋の階とか、城の各室だとか、個々の空間に対してもともと一対一で機能が定められているのではなく、意味を付与するのはあくまで予期の方である。予期の枠組が変われば空間に与えられる意味も変わり得る。つまり空間は多重に意味を担わされている。あるいは担うことができる。たとえば教室を教育の場として使うことも、世帯の場として使うこともできる。当初の目的・計画意図、は絶対のものではない。(意味-機能-予期ということばの使用について注意)

 次に、ではなぜよそ者であるKが城の規範に従うのか。
 彼が真によそ者であり、異邦人であり続けるのなら、規範に従う必要はない。彼が規範を疑問に思いながらも従っていく姿は、異邦人として訪れたKが自己の存在をその社会に認めてもらう過程。無根拠性を受容せず疑問し続ける限り、彼らの社会は不可解なものとしか捉えることはできない。

 ここから帰結されるのは、システムは不条理だとか、非人間的であるとか、そういう身も蓋もない結論なのか? しかし人間存在・人間の生が本来的に不条理なわけではない。何かを不条理と感じるのはそれを無根拠と観察した場合にである。つまり観察する条件による。たとえば、外部から来たKが村の規範と衝突するたびに状況を不条理なものと感じる。あるいは、それを観察する読者がその状況を不条理と感じる。だが外部から見て不条理に思える作動を進めている当人たちにとっては、不条理ではない。もしくは、不条理であってはならない。いかに無根拠であっても、あるいは無根拠であるからこそ、壮大な規範の秩序は生み出される。(生み出されるというか、事後的に見出されるのだが。)

 内部に無数の部屋を持ち、個々の部屋を見分けることもできない城。似通った街路を無数に持ち、迷路のように城を遠ざける村。しかしそのそれぞれは、実は役割に応じた領域設定のなかで(そのなかでのみ)自由に行き来することができる。規範の定める役割によって、空間の編成が変わる。虚像の上に立てられた規範。その上に構築された空間編成。結局どこにも根源的なものなどはなく、でもそのように根拠を持たないはずのものがいくつもに積み重なっていくことで実体的世界の構築につながる。複雑で多重な世界。実体空間は堅牢なものではなくて、その意味をさまざまに変化させられる可能性を持っているとも言える。
 ポイントは、規範を紡ぐアンカー。そのつど仮の準拠点。



「城」
 カフカ
 前田敬作 訳
 新潮社

*1:物理的障壁はあらゆるシステムにとっての環境側に位置する。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell