“世界の果てのゴミ捨て場に住んでいる女の子がいて…”
鈴木志保の新作が出てた。
月刊プリンセスという雑誌で連載されてた作品らしい。一巻完結。
今回は人間が主人公になってる。いつも動物とか妖精?とかが登場人物だったのに。めずらしい。とはいえ話はやっぱり人間以外を中心に進んでいく。
作風はいつも通り。バランスの良い構図、リズムのある構成、台詞のタイミング。絵柄は、繊細。メッセージは力強く。世界観は儚げに。細い線で配された絵の連続から、時折鋭く黒地に反転するところがあって、強弱のある展開がとても印象に残る。表紙をめくった最初の頁から、引き込まれる。
かわいく、せつなく、ときに俗であり*1、残酷で、悲しく、淡々と、そして崇高。
あいかわらず、内容はとても難しい...。
世界の果てのゴミ捨て場。それは(人間以外を対象とする)ひとつの天国であって、記憶とか思い出とか、あるいは魂が、行き着く場。しかしそこはかりそめの場、途中の場所でもあり、さらにその先の何かがあるような雰囲気が醸し出されている。行進し続ける将軍とカモミールなどに象徴されて。
この構図は“船を建てる”と共通している。“船を建てる”における世界も、一見すると平和な日常であるようだけど、船の沈没という悲劇的運命と奇妙なかたちで隣り合わせになっていて、またそこに登場してくるキャラも既にしてこの世のものではないようであり、するとそこは天国みたいなところなのか?と思うけど、しかしその世界においてもそれぞれのキャラは何かその先の世界を希求している。
“ヘヴン…”でも、生と死は常に通底に流れる。ただしそれはぬいぐるみとかおもちゃだとかに対して。そこでは、忘れ去られること、捨てられることが、死と同等の扱いをもって語られている。あるいは、綿の中身がいつも抜け出てしまって、そのたびに消滅の危機にさらされるぬいぐるみ。最終的には空になったその中身をタンポポの綿毛で詰め替えられるが、もはや記憶は失われ、更新されてしまっている。あまりにもあっさりと。そこが天国であるならば、なぜその世界においてもなお死があるのか? たぶんそこはある種の境界であって、現実と、より超越的な世界との間の中間的な場所なのだと思う。だから死は常に匂わされているけれど、生と死の区別は曖昧で、はっきりしない。
しかし“船を建てる”と大きく違う点は、“ヘヴン…”の場合は、この天国に迷い込んだ女の子が主人公とされているところ。
女の子はあくまでも人間であって、他のキャラに対し少し客観性を持った傍観者のような位置付けにある(“番人”。)。彼女はどこからかさまよい込み、最後にはさらに先の世界へ進む。だけどこれは彼女が死んだということを意味しているわけではなくて、どちらかというと、ドアを開けて進んだ先の世界は、もともとの現実世界に通じているような気がする。
つまり、ぬいぐるみやおもちゃにとっての天国へさまよい込んで、さまざまなキャラクターのストーリーを見守りながら、やがて現実へ戻る女の子。という話なのかな?
だとすれば“ヘヴン…”は、ただしく少女漫画であると思った。
“OPEN THE DOOR”
“LOST PARADISE”
とくにしみた話。
#2 Do you love me?
#10 ピパソング
#11 天国をでてゆく
#12 あけるべき多くのドア
p168,169の見開きに痺れた。
*1:#2のキャラ造形とか、クマーとか。批評的?