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 北野勇作 “どーなつ”

どーなつ (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)









0..
最初に読んだときの印象:
妙にほのぼのしていて心和む雰囲気もあるけれど、同時にそこはかとなく怖いようでもあり、でもそれでいてどこか可笑しい。
かわいげな見た目(表紙もだけど、文体も。)と裏腹に、構成は、とても難しい。
一回読んだだけでは、内容が把握できない。とても奇妙な世界を垣間見た、という印象しか残らなくて。
でも最初に通読すること自体は始まりにすぎなくて、各章の要素の構成を整理することでようやく何かが見えてくる、というような小説だと思った。


1..
 複雑な小説。
 全部で十の章から成っているのだけど、各章ごとに、人物や世界の設定が少しずつ違っていて、微妙に似ているのにどこか辻褄が合わない、というように描かれてる。章を経るたびに解答が得られるどころか、謎は一層深まっていく。何がどうなっているのか、明快な解答をだれかに示してほしいって思う。
 でも、この小説には、明かされるべき謎の答というものは、ない。ありそうだけど、ない。
 記憶の書き換え・転写、神経細胞の改造、擬似現実ゲーム、といった設定が各章に必ずあって、それらが、出来事の因果関係を曖昧にしている。なにが最初にあって、後続するものにどんな影響を与えているのか、ということが、それぞれの章で微妙に異なっている。そして読み手もそれを受け入れるしかない。記憶が不確かな世界なのだから、しょうがない、と思って読み続ける。
 そのような各章の組み合わせによって、人物・世界は、どこかに確定させることのできない、宙づりな状態に留め置かれる。
 あとがきにあるように、デビュー前の未発表短編を長い年月をかけて修正されながらつくられた小説なので、設定やプロットの差異は、小説のそんなつくられ方に起因するところもあると思うけど、しかし物語の構造自体がそうした矛盾が併存することを可能にする形式になっているため、うまいこと成り立っている。物語内のそのような食い違いこそが、登場人物たちの記憶の混濁を示していて、それを読む自分は、まさにそんな記憶の世界を自ら巡っているような気分になる。



2..
一回読んでから、全体を整理しながら読み返してみた。*1
(数字は章の番号。)

キャラクター属性

[人称]
 おれ--人間(と思っている人格主体)(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)
 ぼく--アメフラシ(と自覚している人格主体)
  あたらしい肉体を得たアメフラシ(というボディ・イメージ)(6)
  田宮麻美の手で設計され、アメフラシ神経細胞のなかに構築されたこの『ぼく』(10)
[仕事・業務]
 倉庫作業員
  電気熊の乗り手 (2)(6)(7)(8)
   出社しなくなった海馬を探しに行く (2)(8)
 飼育係
  行方不明になった脳ミソを追いかける (4)
 隊員 戦闘(5) 正体不明のものと戦い続けている (9)
[関西弁](→『上方言語』)
 父親であるという記憶を失った父親 (1)
 田宮麻美の(もと)恋人としての「おれ」(3)(10)
 シモフリ課長 (2)(8)
 落語の演者(としての田宮麻美)(6)
 主査 (4)
 課長 (10)


周辺状況

[場所]
{仮想環境システム内のメニュー--倉庫、社長室、アパート、エスカレーター、橋、事務所、水槽、ラボ、階段、道路、冷蔵庫、デパート、映画館 }(4)
 デパートの屋上(水槽内の、アメフラシらしき生き物)(1) 海馬が息子と写った写真 (5)
 止まったままのエスカレーター (2) 新社屋完成記念に設置されたが、完成披露パーティの翌朝には動かなくなっていた (7)
 台地・丘
  会社がある (2)(8)
   事務所を再建した焼け跡のクレーター (7)
  基地がある (9) 
 海岸
  今では海岸線ははるか彼方 (2)
  アメフラシたちのもともとの故郷でもある海岸 実験素材にするため採集に行った場所 今はもう埋め立てられてしまって、この世界のどこにも存在しない (4)
 川沿い、向こう岸のラブホテル (3)
 階段(空から落ちてきたなにかがこの建物を貫いたときにできた穴)(4)
 エレベータ(変なものが棲んでいて、ヒトを化かしたりするらしい)(4) エスカレーターと同じ業者に納入され、狐が出ると言われている (7)
 地階(水族館)(4)
 基地 (5)(9)
 異星 (5)
 雑居ビルの演芸場 (6)
 海馬のアパート (2)(8)
 あたま山 (9)(10)
  基地のある台地からあたま山と呼ばれている丘へと延びている橋。あたま山まですぐそこ、というところで途切れていて未完成。(9)
[戦争]
 今は終わっている。(1)
 戦争による様々な情報の変形と破壊により、ヒトは同一の世界を共有できなくなった。(3)
 攻撃によって情報がめちゃめちゃにされた。(4)
 テレビゲームみたいな戦争だった。(7)
 戦争に関する情報は錯綜している。(8)
 テレビのなかではあの戦争は終わった。しかし、どこかでまだ続いているらしい。たとえば、ヒトの脳ミソのなかで。
 火星に行けなくて、他のことに利用されたのかもしれない。例えば、終わったのか終わっていないのかわからないあの戦争 (10)
[組織・集団]
 第一次調査団(「爆心地」への調査隊)(1)
 会社
  爆心地のなかであいかわらず働いている。(1)
  倉庫 (2)(8)
  水族館 (4)
  研究室 (6)
  台地にある小さな個人商店を、異星の宇宙船を利用して大きくした (7)
 特殊部隊
  二足歩行型戦闘マシンで構成された特殊部隊「ベアーズ」。何人かの社員がモニターとして戦線に投入された。
  しかしその設定のどこまでがゲームでどこまでが現実なのかはわからなくなっている。(9)
 調査隊/防衛隊 (5)
 研究開発チーム(みんな落語が好きだった)・第一次火星開発チーム
  当初の計画では、その作業のほとんどを、二足歩行型の作業機械のなかでおこなうことになっていた。
   そのマシンを操作する際のインターフェイスとして、新しいボディ・イメージを搭乗者の脳に植え付ける。
  火星を改造するためにヒトの肉体のほうを改造してしまう
   第一次開発チームは、自分を変えることになった。そして彼らは異星人になった。
  (10)
[世界]
 爆心地 侵入不可能 (1) 『門』をくぐることのみによって入れる場所  入るときに精神が改変される。(8)
 『こっち側』『向こう側』(6)

[ガジェット]
 電気熊
   作業機械(人工知熊)(2)(6)(7)(8)
   戦闘機械
    電気熊が以前なにかを轢き潰して、それが記憶としておれのなかに入ってきた。(5)
    二足歩行型の戦闘マシン、それを制御するプログラムは、子供向けのSFドラマを素材にしたゲームにカムフラージュされて開発された。(9)
 ゲームマシン『ダンシング・ベア』(「爆心地」へ入る方法--「門」をくぐり抜ける方法を脳内に組み上げる。その際、もとの精神は改変される)(1)
 アメフラシ
  改変された神経細胞を再移植されるアメフラシ。火星の環境改造をおこなって*雨を降らせる*ために。(3)
  実験材料として飼われていたアメフラシ。(4)
  水槽のなかにいるとおぼしき生き物 (1)
  生き物の細胞を材料にして思考システムをつくろうとした田宮さんの扱う実験体 (6)
  「あなたの自我をこれに転写して、新しい肉体に積み替える」(10)
 シリコンで造ったヒト以上の脳ミソ/ヒト以外の生き物で造ったヒト以上の脳ミソ (4)
 仮想環境システム (4)
 異星船 自己修復機能と擬態能力を持つ生物的な宇宙船。(1)(7)
 異星人 人間でないものを轢いたことにすればいい。たとえば異星人。(5) 戦う相手を遠慮せずに殺すための設定。(9)
 番組
  擬似現実ゲーム (5)
 ゲーム
  海馬がつくっているゲーム。星がひとつ流れ、そして地上へと落ちた。それが、始まり。
  ゲームは二十代後半から三十代前半の会社員を客層としてねらっているため、主人公は、そのような会社員。
  ごく平凡な会社員を異星人と戦わせる理由付けとして、彼の会社が、敵である異星人の侵略を受けていることにする。(8)
 落語
  あたま山
  {落語:落語家} / {電気熊のなかに蓄えられる記憶:電気熊の乗り手}
  「上方」 この世界の上にもうひとつの世界が重なりあっているというその状態を表現している言葉
  上方言語(関西弁)をしゃべる者の存在は、『上方』と『こちら』のあいだを行き来する者がいる証拠
   一連の情報──『物語』と言い換えてもいいだろう──が、人間の脳を乗り物代わりに使って、ふたつの世界を行き来している (6)
 実験
 『あたま山実験』
  「ぼく」を素材にした「あたま山」の実演という実験
  実験の第一歩は、ぼくの脳ミソのなかに新しいボディ・イメージを植え付けること。
  これまでのものと違ったまったく新しい肉体を得るため。まったく違う環境で生きていくため。(10)
  『あたま山』という抽象的な死を迎えることで従来の自分自身の肉体のイメージを殺し、これまでのものとはまったく違う自己のイメージを脳のなかに再構築。
  ある研究員の脳から、彼自身のボディ・イメージが取り出され、そして変形するための情報と『種』を与えられて再び彼の脳のなかに戻された。
  新しいボディ・イメージは活性化し、かつての自己を喰い潰してもまだ足りず、どんどん膨れあがって制御は完全に失われる。
  それに引きずられるようにして肉体の変形が始まり、彼は人類が出会うことになる初めての異星人となった。(10)


他の主な登場人物

[海馬]
 無断欠勤している同僚
  あのゲームをやり始めてからゲーム内のキャラクターを自分の息子だと言うようになっておかしくなった。(2)
  ゲームをつくっている。志願して『ここ』へやってきたが、『門』をくぐる際に研究するための知識や能力が歪んでしまい、仕方なく倉庫作業員に。
   電気熊で何かを轢き潰してしまった (8)
 実験体としてのアメフラシの一匹に名付けられた名前 (3)
  (新しく獲得した記憶は、脳のなかの海馬という器官に一旦プールされる それから、長期記憶として脳のいろんなところに蓄えられることになる)(3)
 隊員
  『ズルイ手』を使って息子を手に入れた。
  『自分の息子』だけを欲しがり、プロセスを自分で実行することなく、それを体験した男の記憶をそっくり横取りした。
    ( (1)における「父親」は父親としての記憶を失っている。→海馬隊員に記憶を横取りされた?)
    ( (2)と関連させると、(5)はゲーム内の状況であり、海馬はそのなかで他人の記憶を横取りして息子を手に入れたと考えられる。)
  もとの記憶の持ち主は事故──人間じゃないもの、「異星人」を轢いたことにすれば問題ない。
  そのときから『謎の異星人』は『悪い異星人』になり、『調査隊』だった呼び名は『防衛隊』に変わった。そうしてこの戦いは始まった。(5)
[シモフリ課長]
 関西弁 (2)(8)
 事故により、誰も乗っていないはずの電気熊に踏み潰された (7)
[田宮麻美]
 もと恋人 研究者 火星に行きたがっていた そしていなくなってしまった (3)
 電子的幽霊 もと恋人 (4)
 企業の研究室で、社員でもないのに研究していた 『向こう側』に行くことになってしまった (6)
 落語の演者 (6)
 自分の子供を火星に送ろうとした。その惑星の環境でも生きていける生き物に変えて。彼女にとって子供を残せる方法は、それしかなかった。
 ダメになってしまうことがわかっている世界で子供をつくることなどできなかったから。
 彼女は自分のなかにいた生命を、実験体として使うことにした。(10)
[主査]
 関西弁(4) →シモフリ課長?
[社長]
 逃げ出した脳ミソは、なぜかたいてい社長に会いに行く。(4)
 自己修復機能を持つ生物的な異星の宇宙船が落ちてきたとされる場所をゲームの初期設定として定め、事務所を再建した社長。
 異星人に対抗しようとしてきたが、気が付くと自分自身が『自分のことを社長だと思い込んでいる異星人』になってしまっていた。(7)
[電機屋]
 宇宙船のかけら(まぎれこんでいる異星人)を使って新しい製品を開発しようとしている。
 たとえば、『生きている船のかけら』と『アメフラシ神経細胞を使った生体素子』とを融合して組み立てられたマシン(それが電気熊なんだ、という人もいる。) (7)




3..
各章で微妙に設定が異なっていく非常にややこしい構成のなかで、大きな主軸がいくつか見えてくる。
戦争
 戦争に関する情報は錯綜している。戦争がそれ自体に関わる情報をも攻撃し破壊したため。
異星人
 1 落ちてきた異星船。その自己修復機能・擬態機能により、異星人が会社に紛れ込み始める。
 2 戦う理由付けとして設定された存在。
 3 研究過程で改変された人間。
電気熊
 1 作業機械
 2 戦闘機械
記憶の改変
 1 『門』をくぐり抜ける際に、記憶が不可避に歪む。
 2 電気熊の記憶に、乗り手の記憶が蓄えられる。また逆に電気熊の記憶が乗り手に写ってくることもある。
 3 神経細胞を改造されていくアメフラシ
組織
 会社/研究室//異星で戦闘を続ける部隊

基底にあるのは、記憶・情報が一定でなく、変化していくということ(何も確かなものはない、ということが唯一の確かなこと)。
この原理があるために、各章の設定のズレが許容され、矛盾のまま併存することができる。



4..
 物語の全体構成を把握する手がかりとして、海馬という登場人物の遍歴を整理してみる。


 (8) -- 研究員。『門』をくぐり爆心地へ入る しかし知識・能力が歪み、仕方なく倉庫作業員に。ゲームをつくりはじめる。
→(5) -- ゲーム内で、他人の記憶を横取りして息子を手に入れる。もとの持ち主は異星人を轢き殺したことにする。調査隊は防衛隊となり、そうしてこの戦いは始まった。
→(2) -- ゲームをやりはじめてからゲーム内のキャラクターを自分の息子だと言うようになる。
→(8) -- 出社しなくなった海馬を探しに、家へ。ゲームをつくっている。平凡な会社員が異星人と戦うゲーム。海馬は会社を辞め、その電気熊が受け継がれる。(→海馬の記憶が受け継がれる)

 これらに対し(3)の設定《実験体としてのアメフラシの一匹》がどう関わるのか。また同時に語られる説明:「新しく獲得した記憶は、脳のなかの海馬という器官に一旦プールされる。それから、長期記憶として脳のいろんなところに蓄えられることになる」はどのような意味を持つのか。

 海馬に父親としての記憶を横取りされた男は、(1)における父親としての記憶を失った男と相関性がある。
 →(10) 彼女は自分のなかにいた生命を、実験体として使うことにした。火星に行くことになる彼女の子供。そのなかには、彼女の意識というフィルターを通した『おれ』(=父親)の情報も入っているのだろうか。アメフラシ。「これが、もうひとりのあなた(火星に行くための、彼女の子供)。あなたの自我をこれに転写して、新しい肉体に積み替える」
 とすると『父親』とは田宮麻美のもと恋人である『おれ』であり、『おれ』は父親としての記憶を失っている。
→海馬に記憶を横取りされた。
→自我をアメフラシ(彼女の子供)に転写された。
→彼女の子供=海馬。海馬は父親の記憶を横取りして自分の息子を手に入れる(という記憶を持つ)。
 一方には、記憶を取られた『おれ』がいる。『おれ』には父親としての記憶はない。海馬(同僚としての、あるいは飼っていたアメフラシとしての)を探しに行くプロットの反復。



 いったい物語の視点は、“だれ”なのか。それが確定することなはい。確定することができないというのが原理だ。
 だけど『おれ』が海馬の視点を取ることは(自覚することは)ない。そこがポイントかも。
 そして物語のなかでは常に対岸に田宮麻美がいる。彼女の思い。火星に行くこと。

 (3) “後退できないなら、このまま前進を続けてどこかにたどり着いてしまうしか方法は残されていない。そう考えていた。「そこになんにもないとしても」”


「どーなつ」
 北野勇作
 早川書房




*1:なぜこんなことにそこそこ膨大な労力を費やしているんだ俺は。と自問しないわけでもない。






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―Angela Mitchell