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 舞城王太郎 “短篇五芒星”






短篇五芒星

短篇五芒星





5作品収録されている短編集。それぞれそんなに長くなくてあっさりすぐ読める。



美しい馬の地
 強迫観念にとりつかれてどうしようもなくなる顛末の話。
 飲みの席のシーンが息詰まる描写で、珠玉。別段異常のない会話から、不穏な空気が立ちこめ、完全に折り合いつかなくなっての叫声と泣声、退場、そして暴力への帰結、という一連の流れでの、場の緊迫とキャラクターの感情の再現度。
 “4ヶ月、3週と2日” という映画で、彼氏の母親の誕生会に呼ばれ親族のなかで辟易するシーンがあるんだけど、迫真の度合いがそれに匹敵すると思った。描かれているものも伝わってくるものも明白な「マイナス」であるのに、高度なレベルでそれを疑似体験できるということがエンターテイメントになっている、というような。



アユの嫁
 この短編集で、“あうだうだう” と “アユの嫁” のふたつにははっきりとファンタジー要素が入っている。
 “アユの嫁” は、何らかの神的存在らしき相手のもとへ嫁入りした姉の話。人との間には子供は生まれない、ってはずだったのがなぜか妊娠してしまってどうしよう、っていう会話シーンがあるんだけど、相手が神族だとか関係なくふつうに夫婦の齟齬と姉妹の口論として展開するのがおもしろかった。最後もそんな感じのまま。格言的な末尾にはなってるんだけど、鮎云々ってあんまり関係なく成立するので、寓話の形式を採った小説に見えても実は根本的に異なるものの気がする。鮎が社会的な何かのアレゴリーを意図されてる感じもしなくて、いまひとつ物語上の機能がよくわからなかったりする。概ね正常ななかにただひとつだけ決定的な違和感がある、っていう構図のためにこう設定されているような?
 それと、これも全体との関係がどう意味付けされてるかわからないんだけど、山の中で耳にしたフレーズが印象的。



四点リレー怪談
 最初の「四点リレー」の怪談の語り口が巧いなー、って思った。現実にこういうしゃべりができる人がいたら話し上手って言われるはず絶対。この短編全体っていうか舞城節って基本そうなのでこの作品だけが突出しているわけでもないにしても。擬音とかリズムとかの効き具合もさることながら、特にポイントは「よね」「でしょ?」「って」「でもさ」とかの口語体独特の言語要素の配分。この作品の場合は東京弁だけど、福井弁の作品でも同じように会話の語り口が巧緻なので、口語体の基底的なエッセンスというか抑えどころをよくわかってるんだと思う。
 内容としては、『怪談を冗談半分に実践して、この世のものならぬ何者かを出現させてだけじゃなくて、同時に世界自体を変えてしまったんだって。言い換えれば四人揃ってパラレルワールドに来てしまったんだってさ』っていうアイデアが心に残った。



バーベル・ザ・バーバリアン
 冒頭の一文がおもしろい。そこから始まる語り手の「鉄板すべらない話」。
 こう書いて思ったんだけど、この短編集ってどれも「すべらない話」的なもののような気がする。五人の語り手がいてそれぞれ持ちネタとしてのとっておきの話をしていく、みたいな。それでいて各話とも、特に際立ったオチがあるわけではない……というか五つともむしろオチなんてない。わりとぐだぐだに終わるし、唐突に、あ、ここで終わっちゃうんだ……ってのもあるし。
 文体自体は必ずしも語りそのままっぽくもなくて、モノローグ、脳内での思考自体、といったものに近いけど、どの話も何かしらの衝突や刺激、突拍子もないことや奇妙なことが混ぜられていて、聴き手の関心を引き寄せつつ、その語り方によって強く臨場感を付与、結果として聴き込ませる感じ。
 “バーベル・ザ・バーバリアン” の場合は、序盤のバーベルのくだりもいいけど、うどんの描写が秀逸。



あうだうだう
 舞城作品は基本的に一人称。語り手は女性であったり男性であったり。女性/男性のどちらの語りが好きかと考えると、どっちにも魅力があって好きだ。双方に違いのようなものを感じなくはないのだが、それが単に一人称代名詞の違いで生起しているのか、語りの内容自体に基づくのか、そのあたりは自分でもよくわからない。仮に英訳された文で読んだ場合にも違いを感じるだろうか、というのはよく考える。
 で、この作品は女性による語り。
 語り手は、東京から来た、特別な能力は持たない女の子。対置されるのは、地元に住む、超常的な能力を持つ女の子。東京弁と福井弁という語りの違いでもある。両極で接点もなかったふたりがあるきっかけで仲良くなり始める、ってところが、「あうだうだう退治」っていうファンタジー設定を抜いても成り立つそこはかとなくやさしげな話で、でもやっぱり超常の職務だとか魔的な存在とか悪と世界に関しての対話だとか、そうした世俗を超えるものとのコントラストがあってこその仄かなあったかさなんだと思う。
 いいところで終わってしまって物足りなさも残るんだけど、この最後のシーンはたぶんこうあるべきで、とても良い。












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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell