“The Philosophers” (“After The Dark”)
Director : John Huddles
US, Indonesia, 2013
公式の内容紹介より
卒業を間近にひかえた哲学クラスの学生20人に、卒業試験として哲学の思考実験の課題が出される。それは「迫りくる核の大惨事に備え、地下シェルターに入るにふさわしい人間を、自分たちの中から論理的に選び出せ」というものだった。
いかにも仕掛けがありそうな物語設定で、ロー・バジェットの会話主体な心理劇なんだろうな…… と思ってしまうけど、最終的には必ずしもそういう映画ではなかった。
「実は◦◦◦でした」というような仕掛けは一応ある。でも予想とは違って「人間の本質とは何か」みたいなマクロな問いに絡んでいく方向には進まなくて、そういう意味での意外性はあった。
登場人物のうち、ペトラという女性がもっとも重要で、この人物を演じている役者の魅力だけで成立してるといってもいいぐらいの映画。……ちょっと言い過ぎか。他の役者たちもそれなりによいとは思うし、ペトラの演者も、必見な魅力があるってほどではなく、この映画の文脈上において説得力が充分に備わっている、といった感じ。
誰もが認めるような美人とも違うし、誰が見ても知性を感じるというタイプでもなくて、むしろメジャーな映画女優にはないような個性が――「万人の好み」からの偏差という意味での個性が――あって、それがこのキャラクターに合致していた。
(以下ネタバレ含む)
- SFサスペンスのような見かけを取ってるけど、つまるところ恋愛映画。(というか失恋映画。)
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- 末尾が象徴的。あれは良いカットだと思う。
- 末尾が象徴的。あれは良いカットだと思う。
- 描かれているのは、三角関係の一方が決着される顛末。
設定が大掛かりに見えるし、「職業・性格による選別」っていうところで一見テーマが人文的・社会的な方へ拡がっているようでもあるんだけど、映画の焦点そのものはこの三者間恋愛関係というところに狭く限定されてる。古典的で普遍的、身近なコミュニケーション・関係性の問題へと。
- 「成長」とか「達成」をテーマに置いてないタイプの作品であることも特筆すべきところ。描かれるのはどちらかというと「喪失」「失敗」。ジェームズの啓発を描いているようなミスリードも途中であるんだけど、最終的に視線が向けられるのはペトラと教師の方。
起こるできごとは、ただ「関係が明確に終わる」ということ。語られるのは、ふたりのうちひとりが選ばれる、その理由。(思考実験内での選択と三者関係での選択はオーバーラップしている。)
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- ではそこに「思考実験」というこの映画のもっとも核となる設定がどう絡んでいるかというと。
- 映画上はあたかもアポカリプスが起こってるその場にいるかのように描写されてるけど、実際はクラスで議論してるだけだよね。
何が起こって誰がどう行動しているか、というのはすべて教室内の会話だけで進行してるはず。
そう考えると、銃を抜き取るところなんてみんなにいったいどう認知されているのかわからなくもあったりする。あれって、事後に「あのとき実はこうしていました」って報告して、進行役であるところの教師が整合性に納得したのでそれが成功してたことになる、ってことなのかな……。それって、ほとんどTRPGだと言ってもよさそう。
- ここでおこなわれていたのは、「思考実験」というより「演劇」と捉えた方が適切だと思う。
教師は、生徒たちに劇を「演技」 させることを通じて自身の意図を「遂行」 させようとした、と。(そしてその試みは失敗する。)
- 映画上はあたかもアポカリプスが起こってるその場にいるかのように描写されてるけど、実際はクラスで議論してるだけだよね。
- 「世界の終末」という意味で用いられるアポカリプスという語はもともと「黙示」「秘密の暴露」を指す語である、というダブル・ミーニングの利用はうまくいっているように思う。この両義によって、「世界の終末」という大文字的な事項が、恋愛関係という個人的・親密的事項へ一気に転回させられている。
いまではあまり使われなくなった「セカイ系」という批評概念をそのまま概括しているような。