::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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 “現代詩手帖 2015年5月号 【特集】 SF×詩 ―― 未知なる詩の世界へようこそ!”










 現代詩として読むこともできるようなSF、あるいはSFとして読むこともできるような現代詩、についての特集。
 この両者が実は相性が良い、というのはよくわかる気がする。
 とくにSF側から見たとき、その魅力には、内容や発想といったものもさることながら、言語感覚といったものも大きく寄与していると思うので。
 たとえば―― 冒頭の鼎談で例示されている、ウィリアム・ギブスンの “The Beloved (Voices For Three Heads)”。
 岡崎京子の “リバーズ・エッジ” で黒丸尚の訳文が引用されていることに触れつつ、『SFの根本にある抒情性をぎゅっと絞るとこういうものが出てくる一つの例だと思うんです』(p12, 水無田気流と評されているんだけど、とても共感できる。
 

THIS CITY
IN PLAGUE TIME
KNEW OUR BRIEF ETERNITY

OUR BRIEF ETERNITY

OUR LOVE



LOOK AT THE LEAVES
HOW THEY CIRCLE
IN THE DRY FOUNTAIN

HOW WE SURVIVE
IN THE FLAT FIELD

“The Beloved (Voices For Three Heads)”      
この街は
悪疫のときにあって
僕らの短い永遠を知っていた

僕らの短い永遠

僕らの愛



落ち葉を見るがいい
涸れた噴水を
めぐること

平坦な戦場で
僕らが生き延びること

愛する人(みっつの頭のための声)”

 

 この特集号では語られていないけど、詩とSFが最高度に融合した一例には、ギブスンとスターリングによる “ディファレンス・エンジン” の最終パートを挙げずにいられない。ギブスン(+スターリング)+黒丸尚の詩的テキストの極致としては、“The Beloved (Voices For Three Heads)” とこれのどちらを選ぶべきか迷う。*1

It is not London -- but mirrored plazas of sheerest crystal, the avenues atomic lightning, the sky a super-cooled gas, as the Eye chases its own gaze through the labyrinth, leaping quantum gaps that are causation, contingency, chance. Electric phantoms are flung into being, examined, dissected, infinitely iterated.
“The Difference Engine” - MODUS The Images Tabled

ここはロンドンではない――反射する、ごく薄い結晶の広場であり、通路は原子の稲妻、空は過冷したガスであり、“眼” はおのれの視線を追って、迷路を過ぎ、跳び越える量子的裂け目こそ因果律、偶発性、運。電気の幻が存在へと叩きこまれ、精査され、吟味され、無限に反復される。
ディファレンス・エンジン” ― モーダス 提示されたイメージ

 原文も訳文も両方、好み。文字情報の視覚的快感、口ずさんだときの発語的快感、こうしたものこそまさに詩であり、そしてまた語彙の選択・連鎖はまぎれもなくSFならではのもの。
 この小説は全体を通してわりと緩慢に進行してる印象も強いんだけど、最終章の最終パートだけは他と違って非常に過密で格別にドライな文体となっている。これは小説の構成上の仕掛けに起因するもので、上述引用部のさらに先、終幕部において「誰に」「何が」起こるのか、という枢要のイベントと密接に関係している。記述する文体、ターミノロジーのリズムとドライヴ感、それは最後に到達する究極の一語へ向かう漸近過程であり、作中で成し遂げられる至上の収束を実行する主体そのものでもある。――こうした営為を一括して指し示すに際し “詩” という言葉を選ぶことに、まったくやぶさかでない。




 ……ということで、もう言いたいことはだいたい言い尽くした気もするんだけど、特集自体についてもう少しメモを書いておく。
 内容としては、以下のような構成。


 いくつか個別メモ。
 
鼎談 増田まもる水無田気流河野聡子「世界観を変える力」


『サイエンス・フィクションの最大の魅力は、同じように、その世界観ががらっと変わること。読んだ後でものの見方が変わるわけです。もう一つの魅力は、いまの我々の知っている科学ではまだまだ不可能と思われるようなものをも、どんどん妄想をたくましくして想像しちゃって、しかもそれがフィクションとして成立してしまうこと、この二つにあると思っています』(p15, 増田まもる
(…)芸術と技術と言った場合に、芸術のほうは美しくて、技術のほうはもう無味乾燥なコンクリだらけみたいなイメージがあるわけです。でも本来、世界を可変していくという意味においては、テクネーという同じ語源を持っているんですよね。
 もっと言うと、ポエトリーの語源はポイエーシスですから、ものを制作することと詩を書くことは元々同義なわけですよね』(p15, 水無田気流
『最近の社会学者の述語がSFっぽい』(ジグムント・バウマン「リキッド・モダニティ」とか「コラテラル・ダメージ」とか)(p15, 水無田気流
(…)SFを成り立たせている思想は、詩を成り立たせている思想とほとんど同じだと私が信じているからです』(p23, 河野聡子



広瀬大志+伊藤浩子 “女人結界”

 どのように協働されてるかわからないけど、けっこう刺激があった。
 一見、未編集・未完成に見えないこともない感じで、これに脱稿の判断を下すのはなかなか勇気を要したのではないかと思えるけれど、さまざまなスタイルが摩擦を残しながら連なり、全体としては確実にひとつの世界をつくりあげている。



最果タヒ “次元の孤独”

 あぁ、現代詩ってこういうものなのか、けっこうおもしろそうかも……って思った。



ラングドンジョーンズ “太陽の到来 『レンズの眼』より

 『太陽よ!』のパートが良かった。



円城塔 “シャッフル航法”

 これはたしかに詩と言ってもいい。
 リズム感。かなり音楽的、だと思う。
 定量解析してグラフィカルに表現すると、おもしろいものが見えてきそうな気がする。(自分では、やらない。)



酉島伝法 “橡”

 酉島伝法って、文法そのものは実はわりとノーマルだけど、独特の語彙にそれだけで詩になれるほどの力が込められてると思う。
 文章なしで、ただ単語のみ無造作に羅列されてるだけでもたぶん詩になりそう。
 (ただしこの作品では文法での試みも一部見られる。)



飛浩隆 “La Poésie sauvage”

 詩的作品、というより、詩についての作品。
 『文字描写のみによって「事物」が現出しうる電子空間』『電子的代理人
 ここでは、世界を記述するものを詩と言い表している。
 #で始まる段落。記述の優位をめぐる戦い。時間。





*1:……“ディファレンス・エンジン” がどういう分担で書かれてるかは知らないけど、文体からしてこのパートはギブスンが書いたんじゃないかな、と思ってる。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell