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 イーガン “ゼンデギ”



“Zendegi”
 2010
 Greg Egan
 ISBN:4150120145



ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)





  • 裏表紙すら目を通さず、ほぼまったく何の情報もないまま読んだ。
  • イランという国が大きくフィーチャーされてる。
    • いままでイーガンが近未来系の長編作品で舞台としてきたのは、発進前の『順列都市』だと母国オーストラリア、『宇宙消失』の新香港は北オーストラリアの難民居留地から勃興した領域、『万物理論』のステートレスは文字通り現実世界には存在しない土地だったりで、オーストラリア以外の具体的な地域が舞台となるのは新鮮。……まあ未訳の “Teranesia” はインドネシアが舞台らしいし、短編だとヨーロッパもアフリカもアジアもさまざまな国・地域が登場してるので殊更に驚くようなことではないのかもだが。
      といっても、長編物語の舞台にステートレスみたいな人工島じゃなく現実の歴史に連なるイランという国を選んだことは、作品テーマと深く結びついている。SF小説の風潮としても、イアン・マクドナルドによるインド(『サイバラバード・デイズ』)、バチガルピによるタイ(『ねじまき少女』)、っていうのと並べると、イランあたりが採り上げられるのは納得できる流れでもあったりする。
    • 現在の世界情勢とちょうど重なり合うタイミングになってることも読者としてはおもしろかった点。
      つい先日の7月14日、イラン+米欧他6カ国核協議が合意を迎えたこと。
      あるいは、この小説が刊行されたあと現在に至るまでにいわゆる “アラブの春” が起こったこと。
      エジプトやシリアの現状を思うと、この小説内での抗議運動はかなり平穏に推移したと言わざるをえないけれども――。現実にはどうなっているかというと、『ゼンデギ』執筆時にはまだアフマディネジャドが大統領だったイランはその後、モデレート・コンサバティブのロウハニが事前予想を覆して新大統領に当選し、ハメネイ体制下で欧米対話路線を実行し核協議合意に至る、という歴史をたどっている。宗教政体を脱したらしい小説内の歴史展開とは異なるものの、開放という面ではそれに少し近い「好転」が起こっているとも言える。
    • 読んでてもっとも意識したのは、むしろ『ペルシャ猫を誰も知らない』という映画のこと(see. http://d.hatena.ne.jp/LJU/20110223/p1。この映画、自分の持ってる乏しいイラン知識のうち大部分を形成してるんだけど、読みながら頭のなかに浮かべた情景はたぶんこの映画が源泉となってると思う。(なんとなくイーガンもこの映画見てるような雰囲気がある。パート11あたりとか。)
    • パート29でのオマールとの会話は、なかなかポリティカル。語り手自身のスタンスが表出していると同時に、相反する思想を語り手がどう見ているかの記述でもあり。
      イーガンってどうしてもハードSFや哲学的な側面ばかり語られがちだけど、実は小説内で政治思想的傾向をわりと明確に示すタイプの作家だと思う。過去作品だと、「欧米」と地理的に外れてるけど政治・文化的には連なっているオーストラリア、という属性を象徴としてうまく活用してる傾向があって、とくに『万物理論』では オーストラリア/ステートレス/アフリカ という構図がきれいに成立してたように思うんだけど、『ゼンデギ』の場合はそこまで明瞭な対比構造は成り立っていない。SFの外衣が薄い作品であるために寓話性が減少して、かわりに教科書的バランス感覚というか、いかにも議論モデルという感じがオマールとのあのぎこちないやりとりとして顕現してるような。「西欧の価値観」で一方的に非西欧国を見てる、みたいに言われそうな作品ではあるし、でもだからといってイラン住民のみがイランのことを正確に描くことができるのか、というと必ずしもそうではないとも思うんだけど、「相対化」「異文化理解」を適用しようとすればするほどそうした視点自体の立場があらわになる――という感じは受けた。
      ……もしそれだけで終わってたら、本格的な政治・文化テーマの小説と比べ踏み込みが足りなく見えていたかもしれない。でもこの作品の場合、そういった葛藤がオリジナル-プロキシのコミュニケーション・理解のあり方に対応して表れていて、そのあたりがSF・哲学小説として巧妙なところだと思う。
  • 内容については、
    • 何も事前情報知らないまま読み始めたので、「これ、いつハードSF的カタストロフィに至るのかなー」とか思いながらいつの間にか半分ぐらいまで経過し、「……あれ? もしかしてそういう方向には行かないまま終わる…?」と気付いた頃にちょうど、家族関係を背景としたオリジナル/コピー問題のテーマが見えてくる、と。
    • それほど刺激的なできごとが起こらないわりにはそれなりにおもしろく読めるし、よくよく読むととても考えられて構成されている。「大人」とか「円熟」とかを感じさせるって言ってもいいんだけど、でもなー…… 別にイーガンにこういうことを期待してるわけではないんだよな……という思いはある。このような小説が世の中にあったっていいんだけど、そうではない種類の才能を持った人がわざわざ書くというのはもったいない、というような。いや、この本もまちがいなくイーガンならではの小説ではあるのだろうけれども――。
      『ゼンデギ』って「イーガンのなかでは読みやすい」って言われてるみたいで、実際「何が起こってるのか」を把握するだけならたしかにその通りではあるんだけど、内容や構図を理解するという意味では、目を引くSF的仕掛けが小さい分、実はイーガン作品としてはむしろ上級だと思う。
    • これ、イーガンの〈プロキシ〉が書いてたとしたら「超知性が実際に誕生する」というパターンの物語になってた可能性高そう。(それだと最終テストに合格(=出版)できなかったかもだけどね?)
    • リアル、というのは、いきなり精神アップロードが可能なほどに技術が進展済、っていうテクノロジーレベルじゃなくて、いまある技術から段階的に進歩していくのが描かれてるという点で。
    • かつてのイーガンだったら「コピー」の実存的問題だったり倫理的問題だったりをテーマにしてたところ、『ゼンデギ』だと「自分のかわりに子を教育する」という目的によってこうした既発の主要議論があっさり置き去りにされてしまう、っていうのはおもしろかったし、説得力もあった。実利追求が哲学問題を不問にする、というような。
  • 最終テストについて。
    • オリジナルだったら最終テストに合格できたのか。本物ならばあやまたず子育てできるのか。そうとはかぎらないよね。
    • 逆にプロキシがオリジナルをテストしたらどうなるか?
    • ジャヴィードはいつまでマーティンのプロキシを必要とし続けるか?
  • その他
    • ゼンデギって、ゲームとしておもしろいのかな……。
      こういう人工知能技術が確立した場合、現実的な極致としてはやっぱり飛浩隆の〈数値海岸〉みたいな需要に向かう気はするんだよね。
    • あとは「死者の代理」というのも需要出るかも? そういったものが一般化するような時代になったら社会はどうなるか、とか思ったけど、今回の作品はそういうのには関心を持ってない感じ。











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―Angela Mitchell