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 ダニエル・グラネ, カトリーヌ・ラムール “巨大化する現代アートビジネス”



“Grands et petits secrets du monde de l'Art”
 2010
 Danièle Granet & Catherine Lamour
 ISBN:4314011300



巨大化する現代アートビジネス

巨大化する現代アートビジネス






 少し前にタックスヘイヴン利用者を曝いた「パナマ文書」が話題になったとき、ナチスに奪われ行方不明となっていた絵画の所在と所有者が流出文書の内容によって明らかにされた、という報道があった。発見されたのは第二次世界大戦中にユダヤ人画商から奪われたモディリアーニの作品『杖を携えて座る男』。2008年にサザビーズの競売でその消息が再浮上し、モナコに居住するユダヤレバノン人の美術収集家デイヴィッド・ナーマドが所持しているのではと疑われていたのだが、作品の所有権を主張するパナマのオフショア・カンパニー IAC(The International Art Center)との関連を特定することができず、原所有者の子孫からの変換要求を斥け続けていたらしい。
 ところが IAC の設立にはパナマ文書作成元の法律事務所モサック・フォンセカが関わっていたようで、この度の漏洩により IAC のオーナーがデイヴィッド・ナーマドであると判明。ナーマドがジュネーヴの自由港に所持する倉庫に当該の絵画が保管されていることもわかり、スイス当局によって作品は押収されるという顛末となった。*1
 この件、関係が難しく時系列にも不明瞭な面があり今なお係争は続いているようではあるのだが、結果はどうあれ、一連の出来事のなかにアートをめぐる現代的トピックがいろいろ詰まっている点で興味深い。すなわち、芸術作品の正統性、メガコレクター、ナチス略奪と訴訟、作品の蔵匿、タックスヘイヴンと自由港、競売の秘密性……など。
 ふたりのフランス人ジャーナリストによる『巨大化する現代アートビジネス』という本は、まさにこうしたキーワードを切り口として書かれている。
 扱われているのはモディリアーニのような近代のアーティストではなくそれ以降のジェフ・クーンズやダミアン・ハーストといった現代アーティストではあるものの、上記のナーマドにまつわる一件のように、売買される対象としてのアート、そしてそれに関わる主要なプレイヤーたちに焦点を当てている。コンセプトや歴史、批評といった見地ではない方向から現代美術を記述している点に新鮮なものがある。


 美術館と施主という関係についても目を開かされるところがあった。
 有名建築家が設計を手がけた個人美術館はいったいどのような施主を持つものなのか。建築誌においてそうした美術館が建築作品として掲載されるとき、テキストはあくまでも建築自体の説明に向けられている。施主の素性について踏み込んだ説明はあまりなく、あるとしても表面的に触れられる程度。自分のなかでも公共の美術館と個人の美術館の差を特に気にせず何となく同一視していて、その運営主体はどれも無色透明で公益志向であると無意識に思ってしまっていた。
 しかし建築家が手がけた美術館には実は個人美術館であるものも多く、それらがアートビジネスの世界でどういった位置付けにあるのか、どういった人物によって運営されているのかといったことは、この本を読んで初めて知った。
 著名な建築家が設計した美術館と私的な美術収集主体の施主という事例は、本書に記載されているだけでも以下のような組み合わせが確認できる。

  • シャウラガー美術館 設計:ヘルツォーク&ド・ムーロン 施主:ホフマン財団
  • パラッツォ・グラッシ/プンタ・デラ・ドガーナ 設計:安藤忠雄 施主:フランソワ・ピノ
  • バイエラー財団美術館 設計:レンゾ・ピアノ 施主:バイエラー財団
  • メニル・コレクション/サイ・トゥオンブリー・ギャラリー 設計:レンゾ・ピアノ 施主:メニル財団
  • プラダ財団ギャラリー 設計:OMA 施主:プラダ財団
  • ブランドホルスト美術館 設計:ザウアーブルッフ・ハットン 施主:ウド&アネッテ・ブランドホルスト
  • グッゲンハイム美術館 設計:フランク・ロイド・ライト(ニューヨーク)、フランク・ゲーリービルバオ) 施主:ソロモン・R・グッゲンハイム財団

 いずれも建築誌を飾るような作品としては自分も今まで認知してきたものばかりだけど、それらの施主を主体として意識したことはなかった。もちろん、世界的コレクターが個人美術館を建てるのであれば有名建築家に設計を依頼するのは自然だろう。それ自体は驚くことではない。むしろ、美術館の背後に控える多様な施主への視座が自分の目から抜け落ちていたという盲点を明らかにされたことが啓発的だった。


 同じことは建築にかぎらず、現代美術の作品そのものについても言える。これまで美術展で作品を見るとき、それが普段どこに所蔵され、どのようなルートをたどり、いかなるマネーの移動を伴ってそこに到達したものなのかといった事柄は、自分の思考の埒外にあった気がする。展覧会カタログのテキストも作品自体の記述に集中しており、市場メカニズムにおける作品の動態を描写するようなものではない。作品を鑑賞するに際して不可欠な観点というわけではないにせよ、美術作品の価値や評価が市場における売買取引を通じて決定されることは確かな事実で、そういった領域が視界から外れてしまっているのは実は偏った状態だったかもしれない。
 市場を極度に重視した結果行き着く先にはダミアン・ハーストや村上隆のような賛否の激しい実践活動があると思うが*2、それらが過剰な境地なのかどうかはともかくとしても、市場状況とその力学を踏まえるという視角が現代アートに対しまた違った理解を提供することはまちがいないと思う。







現代アートの担い手

  • 古代〜近代美術の傑作・名作はほとんどが公共美術館に収蔵されている。
  • しかし現代美術においては、公共美術館よりもコレクターの方が進んでいる。現代アートは際限なくあたらしい作品が生み出される分野だからだ。コレクターは公共美術館に先んじて良い作品を入手し、消費動向のあらたな決定者となっている。
  • この分野では、公共美術館はもはや高価な作品を購入できなくなり、特にアメリカでは個人からの贈与に頼らざるを得なくなってきている。



現代アートの市場

  • プライマリー市場
    • あらたな現代アーティストが見出される段階。
      • ふたつのタイプのギャラリスト
         #1 最初の発見者(中小のギャラリスト)。#2へ去っていくアーティストを引き留められないが、でも発見者としての評価は残る。
         #2 知名度のある評価の確立したアーティストを独占的に抱える、アートのビジネスマン。(国際的に有名なギャラリー)
  • セカンダリー市場
    • 転売の市場。投資対象としてアートが流通していく段階。
      • 投資家/企業/銀行/美術館/競売会社など。



競売

  • カタログには落札予想額が記載されている一方、最低価格(留保価格)は示されていない。
  • 貴重な作品の出品者に対する保証金制度がある。競売が保証額に達しない場合、競売会社が差額を支払う。
  • 事前に確定入札済の作品もある。また、書面入札や電話入札、会場のボックス席からの入札もあり、誰が落札したのかがわかることはほとんどなくなっている。
  • 諸経費のほとんどは買い手が負担。手数料/消費税/アーティストの著作権料など。競売人への手数料は、税込落札価格の25%程度。
  • 競売取引の多くは現金払いやタックスヘイブン経由でおこなわれ、不透明。
  • シェア8割を占める競売会社クリスティーズサザビーズのライバル関係。
  • 競売会社の達成数値目標。
  • 出品作品を見つけることにおいても競合がある。大コレクションが一度に売りに出されるようなときなど。
  • アーティストが画商やギャラリーを飛び越え自分の作品を直接競売にかけた事例(ダミアン・ハースト)



主要なプレイヤーたち

  • メガ・コレクター/大画商/ギャラリスト
    • フランソワ・ピノ Francois Pinault
      • フランスの実業家。コレクターであると同時に大画商(クリスティーズのオーナー)であるという点で特異。「アートは投資ではない」と言い切る。
    • ラリー・ガゴシアン Larry Gagosian
    • チャールズ・サーチ Charles Saatchi
      • ロンドンのコレクター。サーチ・ギャラリーは、個人美術館というより、作品を売ることもある展示の場。広告業界出身で、マーケティング手法を駆使してダミアン・ハーストを売り出した。
    • ナーマド一族 Nahmad family
    • ホセ・ムグラビ Jose Mugrabi
      • コロンビアの繊維業で財を成し、ニューヨークへ移住。
    • ホフマン財団 Emanuel Hoffmann Foundation
      • スイスのコレクター。シャウラガー美術館を所有。
    • ドナルド&メラ・ルベル Donald and Mera Rubell
      • マイアミを拠点とするコレクター。ホテル・チェーンを経営。収集した作品のごく一部のみを転売し、ほとんどを保管、数点を個人美術館で展示する。
    • ジェフリー・ダイチ Jeffrey Deitch
      • 銀行業界出身のギャラリスト。主にプライマリー市場で活動する。
    • ピエール・ユベール Pierre Huber
    • ロレンツォ・ルドルフ Lorenzo Rudolf
      • アート・バーゼルのディレクターを努めた。ピエール・ユベールとともに上海現代アートフェアを指揮。
    • ロマン・アブラモヴィッチ Roman Abramovich
      • ロシアの大富豪。(チェルシーFCのオーナーとしても有名。)
    • ガイ・ユーレンス Guy Ullens
      • ベルギーのコレクター。中国北京に個人美術館を設立
  • ファッション・ブランド
    • イヴ・サンローラン Yves Saint-Laurent
      • ピエール・ベルジェとともに成したコレクションで巨大な競売会を開催した。
    • ルイ・ヴィトン Louis Vuitton
      • スティーヴン・スプラウス/村上隆/リチャード・プリンスなどとコラボレーション。
    • シャネル Chanel
      • ザハ・ハディド設計のモバイル・アート・ギャラリーによる世界ツアー。
    • ディオール Dior
      • 中国の造形作家22人に作品を発注。
    • マックスマーラ Max Mara
      • ホワイト・チャペル・ギャラリーと協働してアートプライズを創設。
    • プラダ Prada
      • 財団を設立し、アーティストの作品制作に対する資金援助。
  • その他の企業
    • ギャラリー・ラファイエット Galeries Lafayette
      • フランスのデパート。
    • ロイスト Lhoist
      • ベルギーの大手鉱山会社。
    • UBS
      • スイスの銀行。
  • 市場動向
    • 中国
      • グローバル化に伴う新興アート市場 / 国家体制による奨励と批判芸術 / 文化伝統と西洋芸術の葛藤 / 分断される国内アート層
    • フランス
      • 市場規模 / 政策の失敗 / 隠伏を志向するコレクター





*1:  
 “Mossack Fonseca's role in fight over painting stolen by Nazis” the guardian
  http://www.theguardian.com/news/2016/apr/07/how-mossack-fonseca-offshore-helped-fight-modigliani-painting-stolen-nazis-panama-papers 
 “Panama Papers: Disputed £17m Modigliani painting sequestered in Geneva” BBC News
  http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-36015701 

*2: 
 アーティスト本人によってこうした市場志向の戦略が表明されている端的なサンプルが、村上隆の『芸術起業論』ISBN:4344011783・『芸術闘争論』ISBN:4344019121
 






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell