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 E・ゴッフマン「集まりの構造」

■空間面についての言及のまとめ



p10
対面的・直接的相互作用
公共の秩序は、おたがいによく知っている人たちが集まる私的な遮蔽された場で生じる相互作用よりも、おたがいによく知らない人びと間の対面的相互作用のありかたを決定するルールを指している。

p23
ひとつの同じ物理的空間が複数の社会的場面の舞台となり、それゆえに複数の期待体系をもつことになる

p43
知覚をさえぎる遮蔽物としての種々の関与シールド
関与を遮蔽するには、関与の身体記号か関与の対象あるいはその両方が知覚されるのを防ぐとよい。
したがって、アングロアメリカ人の社会では、寝室と浴室が主な隠れ場所である。
特に、浴室は興味深い場所である。多くの家庭で、ひとりになって自分の意のままに振舞うことのできるのはここだけである。
すべての社会施設には、事実、このような隠れ場となる狭い入り込んだところがいくつかある。

p101
三人以上の参加者がいるところでは、同一状況の中に複数の出会いがもたれ、多くの焦点をもった集まりとなる。

p105
空間的慣習
家具の配置
1フィートそこそこの間しかない位置に立たされた人たち

p145
二、三人の人が列車とか、開店前の店の入口などのような狭いスペースのところに居合わせた時
エレベータの中だとか、エレベータを待っている時

p159
物理的な境界がある場合には、それに何らかの注意をはらわなければならないことがしばしばある。
もちろん、理論上は、厚い壁のような仕切りがあって、物理的にその場所を外のコミュニケーションから隔絶することは可能である。しかし、たいていは、仕切りごしのコミュニケーションもある程度は物理的に可能となる。それゆえ、われわれは社会的な協定によってコミュニケーションを境界内の特定の部分、たとえばドアの内側に制限し、その内外にいる人たちはコミュニケーションが遮断されているかのように行動するのである。壁がそのような役割をはたすとすると、それは、ひとつには、壁がコミュニケーションを仕切るものとして尊重され、あるいは社会的にそう認められているからである。このようにして、現実的に物理的な仕切りが存在しない場合にも、「慣習的状況区分」といった概念が成立し、適切な行動の基準となるのである。

p163
完全に参加している人とそうではない人とが共存している
このような広域コミュニケーションの可能性とそれを規制するルールこそが、単なる物理的な場所を、社会学的に意味のあるものに変えるのである。

p165
傍観者が状況で接近できるかかわりは、単一ではない。そこには、ひとつのかかわりを傍観者から遮断する仕切りは、物理的なものにしろ、社会協定的なものにしろ、何もない。そのかわりに、ひとつのかかわりを状況の他の現象から物理的に切り離して行動する義務と努力が参加者にも傍観者にも求められる。つまり、「かかわりの慣習的区分」が存在するのである。

p169
時には、部屋に特殊な「安全地帯」があって、相手が接近するのがよく見えて、さとられずに無事に話の内容を変えることもできる。

p170
かかわりの区切りを維持するための協力形態のうちでもっとも興味深いもののひとつは、空間の配分とでもいうべきものである。すなわち、〜利用可能な空間を協力的に配分し、区切りの成立を物理的に容易にすることである。
空間を配分したからといって、「話の線」を遮断したことにはならない。

p186
社会的場面は、同じ場所で同じ参加者の間に、ふたつの異なる局面を同時にもちうることになる。
ひとつは焦点の定まらない相互作用となり、もうひとつは焦点の定まった相互作用、すなわち個別の会話行為となる。

p187
会話という関与シールドはある程度移動が可能である。なぜならば、参加者は部屋の中をともに歩きまわり、会話を移動させることができるからである。

p206
状況への参加者は、社会生活に関する規則の小さな体系を、状況全体のすべてに人びとと協力して、その状況にいる人たちだけで維持しなければならないのである。そのような状況は、関与規制が行われているのを知覚できる範囲と一致する

ゴッフマンの社会学4「集まりの構造」−新しい日常行動論を求めて
アーヴィング・ゴッフマン
誠信書房



■感想
 空間は行為と一対一に対応するものではない。空間は常にさまざまな予期体系に満たされているからだ。それらシステムの側からは、空間は、それぞれの環境として位置づけられる。
 空間とシステムが無関係なのではなく、空間はシステムのコミュニケーションに影響を与え得る。その例が「仕切り」である。仕切りは、物理的に、コミュニケーションに影響を与える。
 一方、物理的な仕切りがない場合にも、予期体系によって、あたかも仕切りがあるような振舞いが為されることもある。空間的仕切りも、社会的仕切りも、システムのコミュニケーションから見る場合、機能的に等価である。
 「広場」や「ラウンジ」と名付けた空間を計画したところで、そこで展開されるコミュニケーションは、必ずしも計画者のそのような期待に沿うものになるとは限らない。
 計画者が期待する「にぎわい」とか「人々の活発な交流」だとかは、逆に、空間とは関係ないレベルで展開されることも考えられる*1*2 たとえば携帯電話やwebなど。それもまた機能的等価だし、そうすると、空間だけを言語として用いる記述体系(観察体系)の限界が見えてくる、ような気がする。*3

追記)...一日おいて自分の文を見直してみると、なんかぜんぜん論理的じゃないな...用語の使い方もいいかげんだし。



*1:あいかわらず計画上「にぎわい」とか「交流」とか「ふれあい」とかが追求されている点も問題にしたいところだ。そういう願望/目的設定は、何から来ているのか?

*2:そういったタームが、計画発注者・計画実施者・計画受容者それぞれで、複雑性を縮減する作用をおこなう。それぞれの枠組のなかでの機能、なおかつ、それらを横断するコミュニケーションでの機能。コミュニケーションの様態に応じてそれぞれ異なる意味をもつ。このように別の意味をそれぞれの局面で担っていることばが、一見合意された共有概念のように用いられる。それは、各コミュニケーションを横断するコミュニケーションの場(それはそれでひとつのコミュニケーション・システムだ)において複雑性を縮減するために用意される。
テクニカル・タームは横断的に使われることはなく、単一の場においてのみ用いられる。複数のコミュニケーション・システムで共有されることばは、わかりやすく・単純な方向へ進む。しかしその意味は状況により変化し、曖昧になりがちだ。

*3:計画者は自分の準拠視点からでしか観察できない。その準拠視点から環境に対し問題を設定し、問題を解決しようとアプローチするが、その結果の成功/失敗もまた同じ準拠視点で判定される。






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―Angela Mitchell