書き下ろしのマンガが好きだ。ちゃんと完結しているから。ほど良い長さで。そして明快な構成があるから。構想にしたがって書かれている感じがするから。連載物は、遠大で、微妙に当初の構想からズレていくところ、いつ唐突な終わりを迎えるかわからないというスリルがあるところがまたおもしろいのだけれど。
凹村戦争も書き下ろし単行本としてちゃんと完結している。日常、あまりに流動性からかけ離れた平坦な世界へ、混入してくる異物。それによって徐々にひずみを見せていく世界。プロットとしては王道だ。筒井康隆の“敵”を思い起こさせる。異変はどこか遠くで起きていて、ここへはそのかすかな断片しか届いていない。しかし世界はどうやら、このまわりのわずかな領域だけ残して、変容していっているようだ。
脱出を夢想した教師と、それを継承する主人公。キャラクタータイプも、きわめて「ふつう」だ。
絵柄、構成、ネーム、構図、がすばらしい。(鈴木志保にもリンクできると思う。ちょっとビートニクっぽいところが。) そして現在の主流なスタイルから外れているところが、いい。これはこれでフォロワーを生み出していくのだろうけど。(そうそう、このシンプルな線はPEANUTSにも通じると思った。)全体的に非常にリズミカル。何の事件も起こりえない、外界から閉ざされた村という淡泊な舞台、シンプルな線による均質な描写。なのに、展開・構図は決してシンプルでも淡泊でもない。全編通して、だれるところはない。絵にも、構成にも、明確なコントラストがあるからだ。白と黒、アクセントはグレーの単純なトーンのみ。感情が発露するシーン、および静かな情景の対比。材料はミニマルだ。それに絡む、流れるような/それでいて強弱のあるネーム。迷いのない断言と、どうでもいいやっていう投げやりさ。それらは交互に連続していく。
そうした構成要素が、くっきりとした対比を繰り返しながら、どのように完結を迎えるのか。
破滅と、日常。破滅を受け入れないこと。そういう終わり方。
「もっと楽しいこと」のシーンと、「補習あらため第二回作戦会議」のノリが、強く印象に残った。前者はあまりの唐突ぶり(予兆はあったけど、この絵柄でのこのタイミングでの貫入が。)に衝撃。後者は、論理の展開と、タイポ。リズムがきいてた。強引な説得。でも何かを決意するときは、このノリが必要だ。あとは、“宇宙は見えるところまでしかない!!”かな。言い換えるなら、見えるものしか見えない、ということか。
そしてBGMは上のDEPAPEPE M-3を。
世界があって、その世界がどうにもならないダメっぷりを発揮している場合(それはひとつの普遍的真理だ、きっと。)
どうすればいいか。(それは普遍的問題だ。)