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 グレッグ・イーガン “万物理論 DISTRESS”



[概要]
 いまやすっかり絶滅の危機に瀕しているハードSF界ではあるが、その狭い世界のなかでの次代を担う作家と目されているのがグレッグ・イーガンテッド・チャンである。もっとも絶滅の危機とはいっても完全に消滅することもないだろうが。機能分化が徹底して進行する近代世界では、どこかで誰かがその趣向を維持しているはずだからだ。全体が統一されることがないということは、どんな可能性も転がっているということでもある。まあそんなマイナーな趣向者たち*1の間でずいぶん待たされていたイーガンの“万物理論”がようやく翻訳刊行された。(もう一方の旗手テッド・チャンの方が長編をいつ出すかはわからないが...。*2
 この“万物理論”を読んで明確になるが、イーガンの作風および作品のテーマは、はっきりとふたつに分けることができる。ひとつは、〈コピー〉や〈宝石〉という超技術の確立により精神を生物としての人間から完全に解放した未来〜遠未来を舞台にするシリーズ*3。もうひとつは、現在の技術の単純な延長*4ではあるものの肥大したバイオテクに満ち、その影響で外挿的にある種のグロテスクな変容に至った近未来社会を舞台としたシリーズ。前者は、テクノロジーの究極的に進化した世界で解体される人間の意識を描きその別様な姿を提示することで、自我とは何かという問題を一貫としたテーマとしている。一方後者は、人間意識の在りようそのものは現在とさして変わらず、テクノロジーも抜本的なブレイク・スルーを経ていない状態で、現在社会の一面が極端化したような近未来社会のなかに、ひとつのハードSF的大ネタを落とし込むことで*5、ポリティカルな/社会的なレベルでの人間の変容をテーマとしている。
 イーガンはよく「アイデンティティ」を問題化した作家だと言われているが、前者の系譜と後者の系譜では、関心が微妙に異なる。後者では、個々人のアイデンティティというより、社会的なアイデンティティに焦点をあてている*6社会学的視点ならば、「アイデンティティ」は社会的なものでしかありえない、と考えるところだが、前者の系譜でいうところのアイデンティティは、いわゆる独在論的自我を指し、社会的なものが入り込む余地はない(というと語弊があるな..。哲学的アイデンティティ。)。後者でのアイデンティティはわりとよくある馴染み深い、世間でふつうに話題になり得るようなもの、つまり社会的問題になり得るレベルのものである。たとえばジェンダー、マイノリティ、第三世界、あるいは国家etc...のなかでのアイデンティティ。“万物理論”ではこれらの社会的アイデンティティ(俗的なアイデンティティとも言おうか)を問題にしながら話は進む。その象徴ともいえるのが、作品の主な舞台となる人工島上の人工国家「ステートレス」だ。これは政治的亡命者たちが南太平洋上に、バイオテクを駆使してつくられた改造珊瑚によって人工島を生み出し、そこに政府なき国家を築いて住んでいる場所である。
 物語のもうひとつの軸は、題名でもある「万物理論 Theory Of Everything」、すなわち物理学における大統一理論が漸進的に進歩し、ついに宇宙のすべての物理法則を説明し得る理論が三人の物理学者たちによってようやく完成されようとしており、ステートレスで開かれる学会でその三つの理論のうちどれが正しいかが判定される、というプロットだ。
 主人公はテクノロジーでフル装備に固めたジャーナリスト。たとえば視神経と直結した記録装置で目で見たものをそのまま記録したり、頼りがいのあるパワフルな検索エンジンを内蔵したノートパッドでどんな情報も瞬時に手元に表示させたり、ホルモン調整で睡眠時間をコントロールし仕事時間を自由に組み立てたり、など*7。彼はステートレスへ万物理論の発表者のひとりを取材に行くが、そこではさまざまなカルト集団が万物理論に反発しており、中には発表者の命をおびやかす陰謀を企てているグループもいて、しだいに主人公はそのゴタゴタに巻き込まれていく。一方で時を同じくし、世界中で奇妙な精神的疾病が爆発的に増加しつつあった...。ステートレスで発表される万物理論、カルト集団の陰謀、奇病「ディストレス」とがすべてつながっていることがやがて明らかになる。〈基石〉と名付けられる存在を通して。


[メモ]
1.
 “万物理論”では、アイデンティティというより、システムからの自由、をテーマにしていると言った方がいいかもしれない。
 ジェンダー(7つの性別が登場する)、第三世界(アフリカ)、カルト、専門的になりすぎた科学と一般人の乖離、などといったひととおりのマイノリティ問題は全部触れられるし、オーストラリアの文化状況についての会話なんかは、物語進行をちょっとはみ出してるほどに作者の普段の意見がそのまま強く表明されている。
 「ステートレス」という人工島はそれらの問題、既存の価値観、システムを一旦消去したゼロからの状態でつくられた理想郷、という位置づけにされている。ユートピアだ。ステートレスでは、「建国」以来、住民間での争いは生じていない。外部からの経済あるいは武力による弾圧はあっても、内部での争いはない。外部よりのかつてない侵攻にさらされる物語終盤を経てもそれが破綻することはない。
 政治的・文化的文脈から自由で、物理的にもゼロから始まった(海上につくられた人工島)、真のユートピア
 でも、しかしそれはだからといってシステムから自由になっていると言えるだろうか? なんらかの体系から自由である、というのはあり得ない。それは非常に希求されがちな幻想なのだが。そもそも「ステートレスstateless」という名前自体が、英語圏に属している、ということが暗黙に語られてしまっているわけで、その時点で既に既存の体系から自由には成り切れていない。
 システムから自由になりたい、という願望は全編通して強く感じられるのだが、それがはっきりと否定されないところが、甘いんじゃないかな、と思った。遠未来シリーズでのテーマ設定がぶっ飛んでるだけに、同じ作者なのか?と疑問に思うほどに。
 ポイントはステートレス深部へのダイビングや、主人公が自分の体に埋め込んでいるバイオ機器をぬぐい去っていくあたり。根拠なくかろうじて成立しているような、しかしその実おそろしく緻密な人工生態系がプログラム通りに島を維持していること*8。一方で主人公は思想的・政治的な寄る辺のないことに漠然と不安を感じながら、自分の拡張された能力をひとつずつ減らしていくこと(ついにはローテクなカメラを肩に載せて侵攻者のもとへ交渉に行く)。つくられた自然、改造された身体性の対比。

2.
 とはいうもののやはり現代ハードSF(ほぼ最後の世代な気もするが...)の代表者なだけあって、それだけにはとどまってはいない。上記の背景がありつつも、そこにイーガン得意のある種眉唾レベルのワン・アイデアが絡んでくるからだ。それが「万物理論」とその完成に伴うとんでもない影響、なのだが、はっきりいってよくわからない。というかアクロバティックすぎ。いつものことだけど*9
 でもでも、「万物理論」そのものの骨子は、なかなか刺激的。これだけでこの本読む価値ある。“確定された事実を一種の錨にして”などのあたり。無根拠ではあるがそれをアンカーにして先へ進む、という考え方。
 またそれに続く〈人間宇宙論者〉の概念である〈基石 Keystone〉なんかもなかなか。ものすごく難解なことを言ってるようで実は上手に騙されてるんだろうな、っていうような。ひとことで言うなら、「遡行する情報のビッグバン」といったところ。さすが「オルタナティブ数学宇宙」の発明者。でも「塵理論」のアクロバティックさには及ばないかな。

3.
 あとは恋愛に対するものすごくシニカルな視点。これはイーガンのほぼ全作品で共通。登場人物が幸福な恋愛関係を成就あるいは持続する、ということはほぼなく、かならず破綻を迎え(それもたいてい唐突)、よくてもなんらかの疑問をはらんでいる。ストレートに幸福な恋愛関係は出てこない。なんでかな?
 恋愛以外のキャラクター関係は、“宇宙消失”に構図がわりと似てる。裏切りの展開の仕方とかね。
 途中で主人公に絡んでくる謎のキャラクターが、最後まで敵か味方か判別しがたいところとか。明らかに敵ではない、というキャラクターは最後までその通りだし。
 イーガンは人間関係の描写が非常にシニカルだ。そこらへんはベアのハリウッド的な類型キャラクターの群像とはひと味違う。シニカルすぎる気もするけど。

4.
 まとめ。やっぱりイーガンの近未来シリーズは、キーとなるSFネタとプロットの絡みがいまひとつ物足りない。サイバーパンク使いすぎのところとか政治的すぎるところとかも。うーん、短編・中編の方がよいのかなイーガンは。“ルミナス”“闇の中へ”ぐらいだとSFネタとサイバーパンクのガジェットとアイデンティティ・テーマとの絡みがちょうどいいぐらいなんだけど。
 いまのところそのふたつと“順列都市”がいちばん好き。“順列都市”は、「塵理論」ももちろん、前半でのキャラクターの生活描写*10と、後半でのいきなり何千年も*11経過した世界での、‘人工の’エイリアンとの遭遇のあたりもすばらしい。人間より複雑な神経系を発達させ、世界に対してまったく異なる観察形式で接する*12知的種族。“順列都市”は続編も書けそうなんだけどなー。あの種族との論理戦争の行く末とか。だから長編が下手だってことはないはずなのに。
 まあおもしろくないことはないんだけど、イーガンならもっとできるはず、っていうのが“万物理論”の感想。



*1:世界に73人しかいない《オートヴァース・レビュー》誌購読者のような(“順列都市”)。(イーガンって、そういうところ自虐的だと思う。)

*2:というか翻訳が済むのはさらにずっと先か。

*3:“ボーダーガード”“ぼくになることを”および“順列都市”など。

*4:大きなパラダイム・シフトを必要としない延長。

*5:“宇宙消失”でいえば〈バブル〉であり、“万物理論”でいえば〈基石〉。

*6:たとえば“宇宙消失”では、〈アンサンブル〉から〈真のアンサンブル〉へ目覚めるところが秀逸。

*7:あきらかにサイバーパンクの延長上にある。これもイーガンの「遠未来」の系譜と「近未来」の系譜との違いのひとつだ。遠未来の系譜では、精神は完全に物理学世界を離脱し得ているため、サイバーパンク的ガジェットの入り込む隙はない。人間自我が情報に還元され尽くされてしまっていて、サイバーパンク的改造の対象となる「肉体」が失われている世界設定だから当然だ。近未来の系譜では、サイバー的ガジェットがこれでもかと言うぐらいに登場しまくるが、逆に人間の自我はさしたる変容を遂げていない。

*8:その上部で暮らす人々に無秩序が訪れないことと同様に、この複雑な人工生態系も、バグを発生させることがない。

*9:“宇宙消失”でのバブルおよびアンサンブルなんかも、元ネタの量子力学からはちょっと離れすぎじゃないか、と思ってしまうほど、飛びすぎ。

*10:オートヴァース・フリークな、しがない女性プログラマーの。

*11:原世界から「発進」したオルタナティヴな世界で。

*12:徹底的にロジックだけで世界を観察する。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell