::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

 [ABOUT LJU]
 [music log INDEX] 
 

 ルーマン “社会の芸術”(1995)



“DIE KUNST DER GESELLSCHAFT”
 1995
 Niklas Luhmann
 ASIN:4588008005


後期ルーマン「社会の〜」シリーズのひとつ。
「社会の経済」「社会の科学」「社会の法」「社会の芸術」
「社会の社会」
「社会の政治」「社会の宗教」「社会の教育システム」


[整理]
 いかにして社会秩序は可能となっているのか?
 秩序とは「ありそうもないこと」なのだが、しかし予期に基づくコミュニケーションの作動がうまく積み重なっていくと、そのこと自体が根拠(《固有値》)となって、次なるコミュニケーションに続いていくことができる。観察が観察へと回帰的にカップリングされることによって。そのようにしてコミュニケーションの作動がつながっていく限りは、それは秩序となっているのだ。
 作動が途切れない保証などどこにもないし、それは実際しばしば起こりうることでもある。だがともかくもたいていはコミュニケーションは続き、そのようにして続いていく作動の連関それ自体が次なる作動の拠り所となって、コミュニケーション・システムは維持されていく。
 すべては偶発的であり別様でありうるが、とにかく作動しさえすればよい。そのつどの準拠点を回帰的に参照しながら。

 芸術とは何か。
 それは芸術システムが自ら定める境界に拠る。芸術システムは、近代において全体社会が機能分化していくなかで分出されているシステムのひとつであり、つまりその作動にあたってコミュニケーションを用いるシステムである。
 ある芸術家個人を考えてみる場合、その者は芸術システムに属しているが、同時に法システムにも属しているし(芸術家である立場に関係なく、法を破れば法によって裁かれうる)、経済システムにも属しているし(日常において経済システムから無縁の生活を送ることはできない)、また(有権者であるという点ですでに)政治システムにも属している*1。「個人」をひとつの単位に据える考え方は適切ではない。「個人」は各システムからみれば環境の側に属する。システムはあくまでコミュニケーションから成る、ということが重要。そしてそれぞれのシステムはコミュニケーションを用いながら、作動上閉じつつ、環境と対応する。



[キーターム]
 「区別」「指し示し」「観察」「形式」「固有値」「反省値」「端緒」「排除された第三項」「コード」「再認可能な知覚による明証性」




ix
〔機能分化した社会では〕ある機能システムを他の機能システムが直接制御することは、不可能になる。しかし同時にそこでは、相互に刺激を与える可能性が増大しもするのである。

p33
芸術家もまた、まず第一に観察者であり、二次的にのみ決定者である。

p42
マーキングによって無限に多くの区別の可能性のうちから、ひとつの区別が(どうやってかはともかく)選択される。〜マーキングは最初の差異を用いて、ひとつの側を他の側から区別する。そうすればマークされた空間において次の作動が接続できるのである。

p45
端緒における動機は偶然に留まる。

p47
端緒となる区別はそれが区別し指し示すものを、世界というマークされない空間に対置する。

p63
始まりは「区別を設けよdraw a distinction」という命令である。これは根拠付けを必要としない。というのはこの命令こそが後続するあらゆる作動を算出するからだ。〜しかし同時にこの命令は、一つの区別がすでになされているということを隠蔽しもする。すなわち区別と指し示しの区別がすでになされていることを覆い隠すのである。

p69
芸術作品が用いるのは知覚メディアに基づく明証性なのである。

p78
環境はシステムの再生産には関与しない。〜とはいえもちろん、システムと環境との構造的カップリングが前提とされてもいなければならない。このカップリングがなければシステムが存続することはないだろう。

p85
排除された第三項

p89
「観察する作動が観察されえないということは、観察の作動を可能にする超越論的条件なのである」

p91
セカンド・オーダーの観察は、世界に対する距離を保ちつつなされる。そして結局のところ統一性(全体性、総体性)としての世界を必要としなくなる。観察を観察していくことを継続するというダイナミックで回帰的なプロセスにおいて、そのプロセスの《固有値》として生じてくるものに依拠すればいいからである。

p98
これに対してセカンド・オーダーの観察者が目にするのは、ファースト・オーダーの観察者のありそうになさである。

p120
物が同一であることが、意見の一致の代わりとなってくれる。

p246
世界はあるがままであって、別様ではない。

p248
芸術の機能的優位性が成り立つのは自分自身に対してだけである。しかしまさにそれゆえに芸術は作動上の閉鎖性に庇護されつつ、自身の機能に集中できる。

p263
かくしてより複雑なシステムはより複雑な環境をもちうるということになる。それに応じてこのシステムは内側においてより多くの刺激を処理することができ、したがってより速やかに自己の複雑性を高めることもできるのである。

p308
一方負の値は反省値として働く。それによって、正の値に当たる意味が実現されるのはどのプログラムによってなのかをコントロールすることができるのである。

p311
条件づけによって初めて、自分自身を組織化するシステムが形成されるのである。抽象的に見ればコードとは、常に打破の準備ができているということにすぎない。しかしそれが与えられればシステムはまずは偶然に基づいて、次には自己組織化に基づいて成長を遂げていく。歴史的に不可逆なかたちで複雑性を蓄積していくのである。

p313
芸術のコード値に(学における「真/非真」に相当するような)説得力ある名称を与えるのは困難である。

p320
正の値は形式のうちの一方であるにすぎず、他方の側を前提とする。他方の側がなければ正の値を指し示すことすらできないのである。

p320
観察者は芸術の作動を観察するために、抽象的な二値性に依拠する。それゆえに第三のものが必要となる。〜第三項の排除〜

P358
芸術家が作業を始める際に採用する最初の区別は、作品によってはプログラミングされえない。それはただ自由にのみ引かれうる。〜それに続くすべての決定は作品を固定化することになる。今現にあるものに向かい、すでに設定された形式の自由な側を取り上げて規定を加え、そうすることによって次に来る決定が取りうる自由の余地を制限するのである。かくして決定どうしが相互に手がかりを与えあい回帰的に関係を取り結ぶにつれて、「進化」ということから予期されるまさにそのような事態が生じてくる。

p403
すなわち本質について、あるいはあらゆる観察者のコンセンサスについて問うのをやめて、何が芸術に数えられるかを規定することを芸術システム自身に委ねればよいのである。

p467
コミュニケーションによる確証が欠落しているからこそ、主体は自分自身に関する際限のない反省へと動機づけられる。

p497
〜近代社会における普遍性の要求は機能的分化を、したがって特殊なシステム言及を前提としているということである。そこから予期されるのは他でもない、各下位システムだけが、それぞれ自分の機能に関してのみ普遍性を主張するという事態なのである。

p500
世界というものは、同時に産出されるマークされない空間としてのあらゆる作動を伴っている。


「社会の芸術」
 ニクラス・ルーマン
 馬場靖雄
 法政大学出版局




*1:たとえば無投票という態度で政治を回避したつもりでも、それはそれで政治システムのコミュニケーションにおけるひとつの「決定」として扱われる。






music log INDEX ::

A - B - C - D - E - F - G - H - I - J - K - L - M - N - O - P - Q - R - S - T - U - V - W - X - Y - Z - # - V.A.
“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell