佐藤雅彦研究室展@ggg/ギンザ・グラフィック・ギャラリー。
[概略]
佐藤雅彦。元、CMプランナー。現、SFC教授。佐藤雅彦研究室として、「表現」「メディア」をテーマとした研究活動を続ける。活動は主として、学生による何らかの「作品」の制作というかたちをとる。それらの研究活動は、NHK教育の「ピタゴラスイッチ」という番組にも発展した。
この展覧会は、佐藤研の今までの活動を示したもの。
[構成]
展示は各サブテーマ別にコーナーとなっていて、パネルによる説明とそれに付随するいくつかの作品による具体的説明によって構成されている。作品は、「プレゼンテーション」の模範例、あるいは「教育方法」の模範例、という印象だ。
ただし、「脳科学とアニメーション」というコーナーだけは少し異彩を放っている。今年の1月にやっていたNHK教育での番組*1でも見たんだけれど、人間が「かたち」をどのように認識するかという、点の群運動による実験がやはりインパクトが強い。将来的な可能性を最も大きく感じる。
[内容]
これはアートなのか、何なのか。という疑問がまず浮かぶ。でもこれはアートではなくて、あくまでも、研究。表現自体が目的なのではなくて、表現を研究すること、が目的。そこにアートとの区分がある。
展示の構成は散漫な印象もあるけれど*2、見ているうちに、「制約のなかでの表現」「rigid」など、キーとなる考え方がしっかり共通していることがだんだんわかってくる。各コーナーは、シンプルな概念をどう説明するか、に徹している。そのプレゼンテーションが圧倒的に上手で、説得力がある。最初は意味不明な画像が出てきても、最終的に誰にでもわかる明快な答が示され、理解できる。必ず「納得」を生み出す仕組みになっている。そこもアートと違うところだ。アートは人に思考を促すが、これらは理解させることを目的としている。
どのように「説明」するか、どのように「表現」するか、をテーマとしたときに、その手段として数理的な世界の概念、あるいはコンピュータの概念が用いられている。「デジタル」「ツリー構造」「アルゴリズム」「レイヤー」など。「表現」を研究対象とするときに、その拠り所を美学や社会学に求めずに、数理系の世界に向かったところが、佐藤研の特徴だと考えられる。たとえば「表現」というものをコミュニケーションという切り口から扱っていって、言語ゲームとかダブル・コンティンジェンシーとかいった考え方につなげていくこともできると思うけど、そういう方向性には向かっていない。
なぜ佐藤研は数理概念やコンピュータ・メタファを拠り所にしているのか?
どうも「実践」「応用」を強く念頭に置いているからではないかと思う。漢字の書き順をレイヤー化したのなんて、そのまま教育に使えそうだし。実用に展開できそうなインターフェイスの開発/拡充を図っている。
また、彼らはフィジカルな表現とコンピュータによる表現を分け隔てなく用いるが、コンピュータだとかデジタルだからといって、身体的・触感的なインターフェイスができないわけではなくて、むしろ可能性はより大きくあると感じさせられた。(yugop.comが近い方向にあると思う。)
全体を通して、彼らの目的は非常に明確だ。
「どう表現したら、人が『ある事』を理解するか、習得するか」「表現方法・教育方法」
これが研究テーマであると冒頭で記述されているが、では、その先には何があるのか。「脳科学とアニメーション」の研究のように、「表現」は人間の「認識」の問題に接近してくる。人の「理解」の方法を研究することは、まったくあたらしい「理解」のあり方を生み出すことにつながるはず。この活動の延長上には、あらたな認識形式の出現があるはずだ。たとえば言語、文字、書物、テレビ、インターネットと連なる既存のメディアのその先が。そうやって人の認識を拡張する、ということは、「世界」を変えることにつながる。世界を拡張することに。
*1:佐藤雅彦研究室のアニメーション・スタディ@NHK教育 050103
*2:全体的な展示構成にももう少し踏み込んでいるとよかったのにと思った。「表現すること」がテーマなんだし。人がやたら多くて、狭さが際立っていた。展示構成はきわめてノーマル。
でも、「任意の点P」の立体視スコープが壁に左から右へ横に並んで配置されているところで、右隣の人が自分のスコープを見終わって右にずれたら自分も右隣にずれて、そうすると左の人が自分がいたところに移ってくる、というようにみんながきれいに順番にずれながら見ていくことになって、この動きがまたおもしろいじゃないか?と思えた。そういう来訪者の反応も計算して利用するような展示になっているともっとおもしろいと思う。
「ダブルマン」を、携帯を利用して自分でアニメーションにつくりあげてみてください、というのは良かった。試してる人がけっこういた。