6月分のCDの総括。
MOTORPSYCHO “BLACK HOLE / BLANK CANVAS” 〈Rock〉(2006)
20060605
ASIN:B000EMGFIU
[CD1]
M-1 “NO EVIL”
M-5 “CRITICAL MASS”
M-8 “TRIGGERMAN”
[CD2]
M-3 “SAIL ON”
M-4 “THE ACE”
CD1、よく聴いた。けっこうヘヴィ。
boy kill boy “CIVILIAN” 〈Rock〉(2006)
20060610
ASIN:B000EBFX0W
M-9 “FRIDAY-FRIDAY”
M-10 “SHOWDOWN”
この2曲の並びでよく聴いた。
THEY MIGHT BE GIANTS “FLOOD” 〈Pop〉(1990)
20060611
ASIN:B000002H7V
M-2 “BIRDHOUSE IN YOUR SOUL” 途切れることなく軽やかに続いていくヴォーカルライン。
M-4 “ISTANBUL (NOT CONSTANTINOPLE)”
CHATMONCHY “恋愛スピリッツ” 〈Rock〉(2006)
20060614
ASIN:B000F903JY
M-1 “恋愛スピリッツ”
始めは良さがわからなかった。でも、聴けば聴くほどに理解。
“恋の煙”が一方の着地点だとしたときに、もう一方の極を成す。こういう両極を併せ持っているなんて、懐の深いバンドだ。
té “言葉を用いて奏でる者は才能に在らず、ただの記憶に『過』ぎぬ。” 〈Post Rock〉(2006)
20060619
ASIN:B000FMR3J4
M-1 “言葉を用いて奏でる者は才能に在らず、ただの記憶に『過』ぎぬ。”
NIK BÄRTSCH'S RONIN “REA” 〈Jazz / Post Jazz〉(2004)
20060623
M-2 “MODUL 22” 最初ずっと静か。少しずつ、とてもわずかに上昇していく展開。
M-5 “MODUL 23”
[メモ] ある部分を*1取り出してみると*2それは反復により構成されているが*3、しかし時間の経過に従って、大きなスパンでは、いつの間にか少しずつ変化していることが観察できる。そういう構造をもったもの。*4
the Ronelles “Motel” 〈Rock〉(2006)
20060625
ASIN:B000EFTEMQ
M-4 “Bolt The Doors”
M-9 “Rough 'n' Ready”
M-10 “It Won't Be Long”
M-14 “Revelations”
quartz-head 01 “sen-tence” 〈Electronic Jazz / Jazz / Electronica〉(2006)
20060630
ASIN:B000FQJ6ZE
先鋭であろうとすること、その結果。
M-1 “afro bleeps now”
M-7 “the gate is still triggered”
M-9 “chief talks what you've got”
6月については、quartz-head 01 “chief talks what you've got”。イントロからの立ち上がりに痺れる。
それからチャットモンチーの“恋愛スピリッツ”。
せつなさとは違うし、悲痛などとはなお遠い。否定できない現実を前にしたときのひとつの態度表明。
恋愛に対してだけでなく他の局面に対しても適用できるはず。
あとは、té の“言葉を用いて奏でる者は才能に在らず、ただの記憶に『過』ぎぬ。”
その他はiPodでよく聴いた。iPodで聴くものと家で聴くものってけっこう明確に分かれる。
*1:それはある程度の長さを持った範囲であって、瞬間そのもの、ではない。
*2:音楽の体験とは、常にそういう状態で為される。ある瞬間を含みその前後に続くいくばくかの長さを持った範囲の体験として。というよりも、そもそも「瞬間」というものを体験することができるのか。まだ到来していない未来と、既に過ぎ去り確定された過去、そのふたつに挟まれたそれぞれに対する差異としてしか「現在」は定められない。しかし同時にそれは常に体験の拠点を供している場所であり、常に視点に随伴する座でもあるし...。
*3:なにをもって反復の単位とするのか。音の単位要素なのか。それらの組み合わせなのか。どこまでをひとつの要素として括るのか。その括り方しだいで反復が見出されたり、見出されなかったりするはずだが。
*4:それは時間という概念があるからこそ成り立つ構造形式なのだろうが、しかしたとえば、空間、に対してもそのような構造は可能だろうか。観察者の観察行為は時間と独立におこなわれるものではないのだから、空間を観察することにおいても時間は関与するわけだし、であれば空間を対象としても、なんらかのかたちでこのような「部分における不変」と「上位における変化」を併せ持つ構造が可能なのではないかと思うのだが。静的な構造ではなく、動的な構造として。その際にポイントとなるのはおそらく「視座」だろう。