JAMES TURRELL A LIFE IN LIGHT @ LOUISE T BLOUIN INSTITUTE
だいぶ前に行ったものだけど。
ジェームズ・タレルのインスタレーション5点とドローイング集の展覧会。
ギャラリーは Notting Hill の住宅街の一角にある。とても内装がきれい。カフェもある。
1階と3階がギャラリー。大きめのメタリックなエレベータでフロア間を移動。3階の中央にはトップライトを持つ長い廊下が通っていて、乳白ガラスを通した淡い自然光に満たされている。
インスタレーションはみな人工光によるもので、各展示室は一部を除き、廊下から隔てられて外からの光が入らないようなつくりになっている。
タレルの主たる手法は、照明のない暗い部屋に開口部を切り取って、その向こう側の空間を色彩の施された光で満たし、開口部を通してこの光を見させるもの。開口部の枠がまったく認識できないように端部をシャープに仕上げられていて、一見、その奥に小空間があるようには見えず、単色に塗りこめられた抽象画が壁に掛かっているかのように見える。しかしそれは実際は奥行きを持った空間なので、しばらく見つめていると、単なる絵とは異なる深みを持った色彩/光がそこに満ちていることがわかる。
“Fastnet”(1992)
かなり広い部屋に、青い光を湛える開口部がある。
“Shanta”(1968)
プロジェクションワーク。真っ暗な部屋のコーナーに光が投影されていて、あたかもそこに光でできた直方体が浮かんでいるかのように見える。
“Pancho”(2000)
壁面に開けられたブラウン管TVのようなかたちの開口部を通して、さまざまに移り変わる色彩が充満する空間を眺める。
天気のように移ろう光。
ときどき、一瞬だけ完全な闇になったりもする。
“The Light Underneath”(2006)
垂直方向に細長い矩形の開口部。やはり色に満たされていて、少しずつ色彩が変わっていく。こちらは“Pancho”よりもはるかに微弱な変化で、長時間見ていないと色彩が変わっていくことに気付かない。
“First Light”(1980-1990)
“Shanta”などのプロジェクションワークの習作として書かれたドローイング。
これらを見ると、暗闇のなかに光の立体図形を浮かび上がらせる、という意図がよくわかる。
その他、夜になると建物の窓からの光を使ったインスタレーションがおこなわれているらしいけど、夜までいなかったので未見。
[メモ]
タレルの作品を見るときに考えるのは、切り取るということについて。
フレーミング。
枠の小口を消去し、奥の空間が小部屋であることがわからないように視角を計算して、そこにある光/色を見るにあたっての余計なものを限りなく削ぎ落とす。
正面にある光、手前にある部屋。というシンプルな構成へと徹底的に抽象化されている。
ここで観察の焦点となっている光は、奥行きを持った空間に満たされた間接光であり、なおかつその光は微妙に遷移しているので、抽象化された状態に置かれながらもきわめて具象的な様相を見せる。切り詰められた環境で、この微細な様相を観察させること。他の環境要素が捨象されて、光を知覚させることだけに切り詰められているからこそ、これだけ微妙で繊細な様相の観察が可能となる。
たとえばある部屋があってそこには窓があり外の風景が見えるというとき、部屋のなかが乱雑で、外の風景も雑多なものであれば、空の微妙な色や光の変化に気付くことはないだろう。だけど部屋に余計なものが何もなく、ただ窓が空だけを切り取って見せているならば、そこでの観察はまず空に向けられ、その色のわずかな変化も際立ったものとして知覚されるはず。
だからミニマリズムとカテゴライズされてはいても、タレルの主眼は微細な事象の変化をどれだけ豊穣なものとして見せるかというところにあり、簡略化とか抽象化だとかはそれを可能にするための手段にすぎない。そういう意味では、ミニマルなオブジェクトそれ自体を観察対象としているタイプのアーティストとは一線を画している。
開口部を設けることが、その奥にある対象に意識を向けさせることにつながる。空間にひとつの指向性を与え、対象となっているものを通常の観察より鋭敏に知覚させる。フレームとしての開口部、およびその効果を最大限に高めるための、環境要素の簡略化。
LOUISE T BLOUIN INSTITUTE
3 OLAF Street, LONDON W11 4BE
Latimer Road Sta. Hammersmith & City Line
admissions:£10
http://www.ltbfoundation.org