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 “Deutsche Börse Photography Prize '07” 09 Febrary - 09 April



“Deutsche Börse Photography Prize '07”
 The Photographers' Gallery 
 Philippe Chancel
 Anders Petersen
 Walid Raad / The Atlas Group
 Fiona Tan




ノミネートされた4人のなかから大賞に選ばれたのが Walid Raad / The Atlas Group で、もっとも強く印象に残った。



Walid Raad / The Atlas Group
 レバノン生まれ。
 内戦で荒廃するレバノンを舞台に、フィクションの入り混じったさまざまなアートを展開している、らしい。
 The Atlas Group というのはプロジェクト名。


 たとえば “Let's Be Honest, The Weather Helped” という作品は次のようなもの。


 作者は少年期に、建物などに撃ち込まれた銃弾を拾い集めて金に換えるということをしていたが、その際、どこでどのような銃弾が見つかったかを記録に残してより効率的に作業を進めようと写真を撮り、その上に銃弾の採れた場所の分布と種類をカラーでマーキングしていった。
 崩壊しかかった建物や破壊された車などを写した風景写真に、さまざまな色の点が凝集している。銃弾の種類からは、それがどの国で製造されたものかがわかる。アメリカ、イギリス、フランス、イスラエル、ロシア、中国、など、さまざまな国でつくられた銃弾が色分けされて写真の上に示され、つまりどの国で生まれた銃弾がどのぐらいレバノンの街に撃ち込まれているかが一目瞭然でわかる。
 ただしこれはあくまでも作品に付された説明文によるもので、実はどこまでが本当なのかはよくわからない。というのは、あとで Walid Raad についていろいろ検索してみると、彼の作品は、実際に撮られた素材と虚構の要素とを掛け合わせてつくるというスタイルのものらしいことがわかったからだ。
 最初はすべて実際のことかと思って鑑賞していた。作者の生活体験での必要性から生まれた写真が、当初の意図に反して政治的なメッセージ性を持つ資料になり得たという点と、廃墟のモノクロ写真とカラーの銃痕のグラフィカルな組み合わせのおもしろさ、その両面を備えた作風が他の写真家たちとは一線を画していて、これが大賞というのは納得がいく、と思った。けれど、よく考えると確かにそんなにきれいにそういう記録が取れるわけはない。どちらかというと、写真というジャンルを超えた複合的なアートとしてつくられているもののようだ。そういう意味では他の3人と並んで選考されていいものなのかどうかはよくわからない。
 とはいえ、そのようなスタイルの作品だけではなく、編集されていない(と思われる)写真も展示されているし、付加された要素を外してもメッセージを持ち得ている写真であることも確かだと思う。


 写真というジャンルでポリティカルに現実を表現しようという場合には、虚構を混ぜるという手法はきわめて危険に思える。たとえば通常は、報道写真のように、加工されていない写真の方が圧倒的に強いメッセージを持っていて、ねじ曲げられていないありのままの状況を表現していると見なされるだろう。逆にもし写真に虚構的な加工を施した場合には、捏造や意図的偏向として糾弾されるはずだ。特に内戦下のレバノンなどというシリアスなテーマを扱う際には、捏造を疑われることは致命的なはずであり、またわざわざ現実を曲げて表現する必要もない。
 しかし実際は、報道写真のように真実を忠実に写し取ったものという通念が持たれているものであっても、キャプションの付け方、展示の状況、他のメディアでの紹介のされ方など、置かれた文脈によってそれが持つメッセージはいかようにでも変わり得るはずだ。そして普段はそのようなことはあまり意識させられない。
 ところが Walid Raad / The Atlas Group の場合では、虚構の素材と現実の素材の境界があえて曖昧にされていて、そのためにフィクショナルな付加を伴わない作品まで疑義を持たれることになる。それは写真・アートに対する批評的・自己言及的な視点を喚起させる。なぜなら、どの作品がどこまで何を加工しているのかがわからなくなってくることにより、写っているもの、展示されているものに対しもう一度考え直すことが要求されてくるからだ。一方で、レバノンの現実の状況が、この作品から大きく懸け離れたものではないだろうことも想像できる。もちろん実際に世界各国の銃弾がこの作品のように分布しているのではないとしても、それにほぼ似た状況は充分にあり得るものだとは思える。ここでは、状況自体に対し新たな提言や発見を述べようとしているのではなく、その表現手段を偏向することで、それを疑うように仕向けているのだ。
 Raad の作品では、写真というものが何をどのように伝える表現方法であるのかについて再考を促しその上であらためてポリティカルな状況を考えさせられる、という構図が最終的に現れる。それは、何かのメッセージを語ろうとするにあたっては、よりスリリングで高等な仕掛けであると思える。



http://www.24hourmuseum.org.uk/nwh_gfx_en/ART45499.html
http://www.artnet.de/galleries/Exhibitions.asp?gid=264&cid=114793
http://www.aapmag.com/52reviews5.html










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―Angela Mitchell