::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

 [ABOUT LJU]
 [music log INDEX] 
 

 ANTONY GORMLEY “BLIND LIGHT” 17 May - 19 August 2007





ANTONY GORMLEY : BLIND LIGHT
 The Hayward



 



“BLIND LIGHT” というインスタレーションを特にフィーチャーした展覧会。
人間の身体を彫刻化した作品を主とする作家らしいけれど、同時にその関心は空間的なテーマに対しても強く向けられているようだ。
どれもおもしろかったのだけど、特に印象に残ったものについて以下に記録を。




“BLIND LIGHT”

 展示室の中に据えられた大きなガラスの部屋に入り、中を充満している霧を体験するというインスタレーション

 その外観は、光を湛えた乳白のガラスの箱が置かれているように見える。ガラスの壁に時折ぼんやりとした影が映るのは、内部の人々がガラスの間仕切に近付いたことを示し、それらは束の間、手の形や顔を浮かび上がらせてはまた消えていく。
 入口は一ヶ所だけで、幅の狭い開口からはぼんやり発光する白い色以外には何も見えない。そこからは既に中に入っている他の人々の話し声や歓声が聞こえて空間の大きさの手掛かりを与えてくれるのだが、暗闇でもないのに視覚が機能しないという異常な事態に対して、まずは本能が身体に恐怖を告げる。本能に抗い理性で体を駆動してこの異質な空間に飛び込むと、数歩踏み入っただけで方向感覚を失い、ひんやりとした温度と水蒸気の匂いとに体が包まれる。呼吸のたびに霧の濃さが強く感じ取れる。手元のものは見えるし、10数cm先であれば物のかたちを認識することはできるようだ。しかし概して頼りになるのは足を通じた触覚、そしてもちろん聴覚だけで、機能しているそれらの知覚のみが鋭敏になっている。
 前にスキー場でこのように濃い霧に見舞われたことを思い出した。だからまったく未体験の事象とまでは言えないのだけど、部屋全体を均質に満たす明るい光と完全に平坦な床とが空間をきわめて抽象的な状態にしていて、雪山とは異なる、より非自然的な体験として感じられた。何か純粋数学的な異空間に飛ばされてしまったかのような。おそらく視覚を奪われればこのように世界を知覚するのかもしれないけれども、目の前がすべて白い光に満たされていることはまたそれとも違うような感じがある。
 室内には何人かの他の客や、外周部にガラスの壁があるはずだということが頭ではわかっているため、それらとの衝突を予期して慎重な足取りになる。何の前触れもなく前方に黒い影が密集したかと思うと次の瞬間にはそれが人の形を成し、すみません、とか何とか言って互いに回避行動を取った後には再び白い色が戻ってくる。
 おそろしくゆっくりとした歩みでさまよいながらも、いつしか視界を占める白が全体的に薄くなっていって、ようやく外周のガラスに手を触れる──とはいってもガラスをそれと知るのは、ガラスの継ぎ目にあるクリーム色のコーキングが浮かび上がることによってであり、これが無ければ触覚以外にガラスを認知することはできなかっただろう。顔を最接近させて初めて外の様子が伺える。外の正常な世界が。それは光の満ちる内部と異なり、妙に薄暗い世界と思えた。このとき外から見れば、ガラスの壁に人の顔だけがくっきりと映ったものとして見えているはずだ。
 再び濃い霧の中に戻ることを体が拒否し、しばらくは片手をガラスに触れながら外周沿いに歩くことになる。ついに部屋のコーナーに辿り着いたために、空間全体の大きさがおおまかに把握できた。そして意を決して再度、完全な白の中へ潜り込む。そう、まさに潜行するという言葉こそがふさわしい。



“ALLOTMENT II”

 コンクリートでできた背の高い直方体の上にもうひとつ、ほぼ立方体に近い形状のものが積みあがっているという立体構成。広めの展示室は、高さはそれぞれ異なってはいるもののこの同じ構成の立体で埋め尽くされていて、人の背丈ほどの森のようになっている。人の背丈。説明文を見ると、Malmöというところの実際の住人のサイズを測ってそれがこの立体の大きさの基になっているとある。だからそれは子供から老人に至る無数の人々が抽象化された状態でこの部屋を埋め尽くしているのとちょうど同じ状態だ。作者の言葉によれば、迷路のように、あるいは縦に置かれた棺のように。
 積み重なった箱には小さな開口がいくつか設けられていて、それらは目や耳を示しているらしい。これらによってその“人”がどの方向を向いているかがわかり、それによって彼らの関係性や、彼らがいくつかのグループを形成していることが表されている。



SPACE STATION

 積層する鋼製の箱。多孔質の矩形の集合であり、互いに接合したり噛み合ったりしながら巨大な全体を構成していて、それらが傾かれた状態でそびえている。幾何学的構成ではあるけれども、コールテン鋼の鈍い質感は抽象性からは程遠く、たとえば団地のような純粋モダニズムの建築群が廃墟になってさらされているかのようなイメージを呈している。質感からは重量的な印象を受ける一方で、傾いた角度で設置されていることにより全体から浮遊感を感じたりもする。
 それぞれの箱に開けられている無数の孔は厳密に規則的な配置になっているため、あるひとつの孔から中を覗き込むとはるか先まで見通せて、最も奥の孔から外の光が入っているのが見て取れた。



“MATRICES AND EXPANSIONS”

 ステンレスの細い棒状のものを無数に組み合わせてつくられた、複雑な幾何学的構築物。
 非常に複雑な構造体ではあるのだけど、一方で均質な印象も感じてしまう。形状としては複雑でも、すべてが単一の形式によって構築されているからだと思う。実際の世界は複数の、あるいは無数の形式で構成されているはずだからだ。
 あとでカタログを見たら、構築物のいくつかは、よく見ると中に人の形が見えるようにつくられていることがわかった。実際に見たときにはまったく気付かなかったのに...。自分の観察力と知覚能力の低さを感じた。



“EVENT HORIZON”

 アーティスト本人から象られた鋳鉄製の等身大彫刻が、会場周辺のさまざまな屋外に設置されている。街路であったり、ぜんぜん関係ない他の建物の屋上であったり。美術館にいくつかのテラスがあって、スカルプチャー・テラスと記されているのだけど、すべての彫刻はこれらを向いて立っている。普通、スカルプチャー・テラスとかスカルプチャー・ガーデンというのはそこに彫刻が置かれてあるところを言うのに、ここでは、別の遠くの場所に据えられた彫刻をみんなで眺める場所になっているというのがおもしろいと思った。全部ではないけど視界に映るだいたいの建物にはこれらの彫刻が乗っていて、とんでもなく遠くのビルの屋上に立っているのを発見したり。





[メモ]
“Of course, this work also presents the paradox of something clean, square, well-designed, safe and dry that is completely inverted by being used to contain all those elemental things that Modernism was supposed to have protected us against. Architecture is supposed to be the location of security and certainty about where you are. It is supposed to protect you from the weather, from darkness, from uncertainty. Blind Light undermines all of that.” Antony Gormley


 モダニズム的な空間のひとつの極致としては、美術館の展示室こそをまず挙げることができるだろう。だがこのBlind Lightでは、典型的近代建築のギャラリーにあって、そのような空間での展示とはちょうど逆の構図を見て取ることができる。通常の展示では、抽象化された無垢な空間にアートという複雑性が配置されている状態となっているが、ここでは、照明を消し天井の即物性が強調されたような展示室にガラスの一見純粋な箱が置いてあり、しかしそのなかは徹底した不確定性の渦であるという状態となっていて、モダニズムの特徴を成す無害な抽象性はどこにも見られない。
 作者の言葉によれば、空間を抽象化することでさまざまな不確定なるものから人を完全に防護しようというのがモダニズム建築の目的であったわけだが、抽象性・ミニマリズムが過度に暴走された場合には、人の慣れ親しむ世界から遠く離れ、その知覚は置き去りにされて再び不確定性に包まれてしまうということがここでは示されている。
 それはモダニズム批判と受け取れないこともないけれど、モダニズムの目指した均質な無限の世界をさらに加速させた抽象性が試行されていると考えることもできるだろう。このインスタレーションでは、特に巨大というわけでもない空間にも関わらず実質的な無限を体感できる。モダニズム的抽象性の天井を押し破ると、そのさらに上位には別種の無限が拡がっていることが提示されている。
 徹底的に清浄で秩序だった世界への志向はどこへ辿りつくのか。そこにはどのような可能性があるのか。その答のひとつがここにある。

 もうひとつ印象に残るのは、インスタレーション内部では過剰な抽象性が体験できると同時に、呼吸にまとわりつく霧や足元にたまっている水など、具象的な体験も付随されていることだ。白い光の飽和が視覚を奪う、というこのアートの基本原理だけで考えるならば、そのような物象性はできるだけない方がいいと考えられるのだが、水蒸気を使っている時点でそれらは必然的に伴われる事象であり、完全に取り除くことはできない。
 単に派生的な問題にすぎないかもしれないけれど、しかしこれはミニマルアートに常についてまわる問題であるとも思える。純粋に抽象的な空間というのは、現実には体験し得ないものだ。












music log INDEX ::

A - B - C - D - E - F - G - H - I - J - K - L - M - N - O - P - Q - R - S - T - U - V - W - X - Y - Z - # - V.A.
“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell