あらすじを書く替わりに、巻末の作者コメントを引用しておく。
この作品は「新潮」二〇〇七四月号に掲載された。雑誌版から一行のみ削った。この作品には章番号はない。この作品にはスーパーナチュラルな要素はない。この作品には読解は要らない。身をゆだねてほしいと思う。ことばに。起きていることに。この作品のスターティング・ポイントにはレイモンド・カーヴァーとキム・ゴードンがいる。
1.
この小説は、最初の一文から最後の一文に至るまで一瞬間も途切れることなく疾走する。音楽というか、詩というか。とにかくリズムやスピードを持った表現媒体と同様に。
その疾走感は、小説内での時間の流れ方にまず起因する。語りそのものは、日常を綴っていくだけで、どこまでもその都度の現在のみを記述している。全体はまるごと回想なのかもしれないけど、語りの中には回想は出てこなくて、物語の中での時間はひたすら前へ一方向に進む。巻き戻しはしない。早送りはある。そしてそのような語りのスピード自体について、何度も語り手に言及される。
あるいは、速度は文体からも生み出される。
リズム。語尾のシャープな繰り返し。
緩急。長い段落が続いたあとに、短い語が一行だけ。そしてまた長い段落。
倒置法。
体言止め。その連続。
漢字でなくあえてひらがなで書く単語。その配置のバランス。
その他にもスピードを生み出す仕掛けはいろいろ組み込まれているはず。この小説の文体を詳細に分析することは、たぶんおもしろいと思う。
2.
そのようにして語られるこの小説で主人公がおこなっていることは、三つに大別できる。
まず、自分の生活世界を観察し直すこと。
主人公は、記憶をなくしているらしい少年が常識とか語彙とか世界とかを学び直す過程を一緒になぞることで自分も、馴れ親しんだ日常を別様に観察し再発見する。
それは次の段階へ発展する。
すなわち、自分の過去も書き換えてしまうこと。新たに見出された日常と整合性が取れるように、自分の過去を更新する。
そしてそれらすべてを語ること。記述すること。
2-1.
街というものをどのように観察するか。
ここで重要なのは他人の視点。そしてその他者とのコミュニケーション過程。
2-2.
自分の世界をどのように書き換え、拡張するか。
記憶を欺いて、現在から過去を書き直してしまう。自分の好きなように身のまわりの事物を再解釈する。
それは自分で自分の物語をつくり始めるようなことかもしれないと思う。このとき、誰とその物語を共有するのかというのが重要になる。世界を解釈するフレームは、他者とのコミュニケーションを通じて再帰的に強化・固定されていくもののはずだから。自分を新しい物語に語らせるにあたって主人公は、自分が今まで所属していた共同体を捨てて、代わりに新たな共同体を選んでいる。
つまり誰とどのように生きるか、という問題。
2-3.
日常をどのように記述するか。
そのポイントは時間。時間を激しく意識させること。そのような記述の技法。入り乱れた時間軸を使わず、一直線に、逐次的に出来事を連ねていく。日常が決して止まらない時間に沿って不可逆的に進み続けているということを強調する、もっともストレートなやり方。