“TAP and other stories”
2008
Greg Egan
1986年から1995年までに発表された10本の作品を集めた短編集。
ハードなSF設定は皆無で、舞台は現代か、ごくわずかな未来。SF的ガジェットがまったく出てこない作品もある。
各話の雰囲気はグロテスクもしくはコミカル、あるいはその両方を備えたもの。SFというよりもライトなホラー、寓話といった趣が強い。
“自警団”
ちょっと漫画みたいな設定の話だった。なんかわかりずらかったけど、夢を現実化する能力、なのかな...。
“要塞”
人と人の間に引かれる包摂と排斥の境界線。それは民主主義社会において(も)不可避なものだけれど、テクノロジーの進展が絡むとどうなるか、という話。
“森の奥”
短いけれど、他の作品でも見られるイーガンのエッセンスが詰まっている。
意識·自我をめぐる問題と、認識や世界観は生化学的に変更可能だという設定とを併せている。
“TAP”
他の9作品に比べて、テクノロジーがわりとフィーチャーされている。
TAPとは、Total Affect Protcol の略で、「総合情動プロトコル」を意味する。このTAPというガジェットのアイデアがなかなかおもしろかった。
これは人間の言語能力を強化するようなインプラントなのだが、人間の知性拡張をおこなうにあたって、思考処理速度の向上とか外部記憶の増設といったよくありそうなやり方ではなくて言語能力にターゲットを絞るというのは、SFとして新鮮だった。それに、イーガンが「言語」に焦点を当てた作品は他になかったような気もする*1。...そもそもイーガンに限らず、人の思考と言語そのものの結びつきを扱った試みはSFの世界には少ないかもしれない*2。
しかし20世紀の人文科学がいわゆる「言語論的転回」を経て、人間の思考も世界認識も言語を介してでしかあり得ないという知見に至ったことを踏まえるならば、イーガンのように「自己」や「認識」を問題として取り上げるSF作家はもっと言語に関心を寄せてもよさそうなのに、とも思う。
読んでいて、そういえばテッド・チャンのような雰囲気もあるなと思った。“あなたの人生の物語”での「未来を記述する言語体系」とか、“理解”での「一文字で全宇宙を包括する語」とか...。この作品でも、TAPという技術が人間という種を変容させる可能性に触れられているのだけど、言語能力強化の行く末は、“理解”のように思考能力がパワーアップするだけではなく、“あなたの人生の物語”のような、人間が世界を捉える仕方自体が変わってしまうという方向になるんじゃないかなという気がした。
現代において社会を大きく変えた最大の発明はコンピュータだとして、もし次にこれ以上の変化をもたらす発明が何かを考えたとき、たとえばバイオテクノロジーで人間を不老不死化するとか、あるいは超光速航行技術とか、タイムトラベルとか、精神ダウンロードとか....そういうのは、それがもし現実になれば世界を一変させることになるのはまちがいないとしても、SFの文脈で言うともう新しさはないと思う。そういう意味で、〈リンギスティック·テクノロジー〉みたいなものが発達した状況を描いたSFがあったら、けっこうおもしろいかもしれない。ただ、それを書くには相当の文学的能力が必要になると思うけれども。