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 “この自由な世界で”

この自由な世界で [DVD]




“It's a free world...”
 Director: Ken Loach, 2007




 イギリスでの移民問題を扱ったリアリスティックでシリアスな映画。
 最初にタイトルを見かけたときは、ひとびとのあたたかなふれあいを描いた希望あふれる映画なのかな... と思ったけど、これは実際は「この自由主義経済のグローバルな世界で」と補って読んだ方が合っていて、相当に皮肉が効いたタイトルだ。つまり「世界社会」と化した現代において、資本主義の名の下であれば、何でもしていいんだよ?という意味での自由を言っている。
 主人公が何度か言うセリフ:「だってみんなやってることじゃない...」
 一方、ある別の登場人物が言うこと:「金がすべてじゃない」
 ...こうやって取り出すと、どこにでもありそうなセリフだ。
 でもこの映画の文脈で語られると... とくに後者のセリフについては、これを発した者と発せられた者のそれまでの境遇・やってきたことを考えると、とても重く響く。
 良いシーンだったと思う。


 あらすじ。
 何度も転職を繰り返した果てに勤めていた人事斡旋の会社を解雇された主人公のアンジーは、フラットメイトのローズを誘って自分たちで斡旋会社を始める。移民都市であるロンドンでは、合法・不法を問わず移民に対する職業斡旋には大きな需要がある。シングルマザーで借金持ちの彼女は、バイタリティでもって懸命に事業を進めていくが、その矛先は次第にイリーガルな方向に傾いていき、やがて法も倫理も省みずに、移民労働の負の面を担う当事者に墜ちていく。




 主人公であるアンジーは、とにかくタフで行動力がある。けれどそこに余裕のようなものは感じられない。もうなりふりかまってられない、生きていくためにもがいていくしかないんだ、という気迫が滲み出ている。
 解雇直後、瞬く間に斡旋用の場所を確保し、ためらっていたローズもあっさり仲間に引き入れるが、あまりにすんなりいったかのようなその描写は、そんなところに時間を割くよりも後に起こる事柄に大きな比重を置いているんだということを示している。
 このような仕事の旨味と共に最初からリスクがほのめかされていて、そうしたリスクがひとつずつ実現してしまう様が描かれる。それも極端にシビアな出来事が襲いかかるのではないというところに現実的なバランスがあって、しかしそれはまちがいなく漸進的なものでもあり、この延長上には確実にさらなる過酷な危機が待っているだろうことをも予期させながら。

 たぶんもっと娯楽色の強い映画であれば、主人公が悩みつつも成長したり、一回堕落しそうになってやっぱり立ち直る、というような展開になるのだろう。
 この映画ではそうはならない。端的に言えば、救いがない。といっても墜ち切るところまではいかない。中途半端と言えないこともないかもしれない。終わり方だって、すっきりしたものではぜんぜんないし。
 でも。
 ひとつ思ったのは、もしこの映画が映画としての何か後味のよいような終わり方をしていたなら、それはおそらくここで扱われているテーマに正面から向き合ったことにはならないかもしれない、ということだ。
 移民問題・格差問題には、すっきりした答なんかない。少なくとも現在の世の中には。
 この映画は問題に対して何の答も出していないが、それは答を出さないのではなく、出せないのだ。美談めいた話はここには何一つない。中盤で、冷酷無比にも見えるアンジーのちょっとした心境の変化に基づくあるエピソードがあって、この映画の展開が人道的な方向へ動いていく可能性を垣間見せもするのだが、直後にローズによる至極真っ当な反論を受けるのみならず、あとになってアンジー自身によってとても残酷に覆されることになる。といってアンジーには、世界の暗部を引き受けて闇に生きようという覚悟まではない。与えられた状況のなかで生きようと必死なだけで、どちらかというと悲しくも状況に流されているだけだ。そして重要なのは、現代社会は彼女のような役割を明らかに組み込んだ上でまわっているということ。不法就労の仲介者も、就労を望む移民たちも、工場や施工会社のトップのようにおいしい立場にいるように想像される人たちも、あるいはこうした影をよそに日なた側にいるかのようなその他大勢の消費者たちも……それらはひとつの国のなかにはもはやとどまらず全世界に連鎖しているのだが、こうした構成要素によって成るこの容赦ない仕組みは既に確立してしまっている。個人の倫理なるものがあるとして、それはこのような強固な現実を前にいかなる力を持ち得るのだろうか? 「金がすべてじゃない」といってポーランドに帰ったカロルは、ささやかにもその存在を示したわけだが、しかし激しい渦中そのものにとどまり続けるアンジーには、そうした言葉を出すことはできない。
 そしてもし、翻って自分自身に同様の決断を迫られることがあるならば、私はどう振る舞うだろう? それはこの系統の映画を見て必ず思わされる種類の疑問ではあるけれど、しかしアンジーと同じような選択肢を突きつけられることは、思っているよりもはやく現実のものとして私たちに降りかかるのかもしれない、ということを考えさせられた。どうにもならない状況のなかで、こうしたら簡単に生き延びられるよ?という選択肢が目の前に差し出されたとして、私をふみとどまらせるものはあるのだろうか? それは何だろう?







official: http://www.kono-jiyu.com/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt0807054/








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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell