::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

 [ABOUT LJU]
 [music log INDEX] 
 

 ジェラール・ジュネット “物語の詩学──続・物語のディスクール”





“Nouveau discours du récit”
 1983
 Gérard Genette
 ISBN:4891761512



物語の詩学 ─続・物語のディスクール 叢書記号学的実践 (3)

物語の詩学 ─続・物語のディスクール 叢書記号学的実践 (3)






0.
 『物語の詩学』というこの本には、『続・物語のディスクール』という副題が付けられている。
 ジュネットが1972年に著した『物語のディスクール』は、20世紀の文学理論の最重要著作のひとつと言われており、その功績は〈物語論〉を体系的なものとして確立させた点にある。
 ここでの〈物語論〉とは、作者の履歴や時代背景といった事柄から小説の「意図」を探るようなタイプの研究のことではない。その種の試みはジュネットには〈テーマ論〉と呼ばれていて、『物語のディスクール』でのテクスト分析的な物語論とは対置される。ジュネットの関心は純粋に「言説」に向けられており、それはたとえば、ロラン・バルトの『モードの体系』が、ファッションそのものの記号論的分析なのではなく、ファッションで用いられる言説に対する分析であるということと同様で、「物語において何が語られているか」ではなく、「物語がどのように語られているか」ということを問題としている。
 その手法はとても実直。目を瞠る新奇な切り口を提示してみせるわけでもないし、難解で把握しづらい概念を広げてみせるわけでもなく、誰でも気付くようなこと・理解できることをただただ丹念にまとめていく。物語が一人称で語られているのか三人称で語られているのか、あるいは過去形で語っているのかそれとも現在形なのか、語られる内容はどのような時間的順序で語られていくのか、といったように、読む者が普段とくに意識はしないだろうけれどもあらためて考えてみればたしかにそのような区別が物語の「語り方」には見出される、といった事柄が、ひとつずつ丁寧に拾い集められる。また、そのように細かく検討するなかで従来の物語論の用語の不備を指摘し、それらを修正するための新たな用語の提案などを加えて(ex. 一人称的小説/三人称的小説 → 等質物語世界的小説/異質物語世界的小説)、物語一般を分析するための枠組みを秩序立ったものとして整理している。論究はさまざまな文学作品を広範に例示しながら展開され、理論書とは思えない軽妙な語り口で引き込まれる。
(see also: 『物語のディスクール』 http://d.hatena.ne.jp/LJU/20060723/p1


1.
 『物語の詩学』は、そんな『物語のディスクール』の11年後に刊行されたもので、副題は『続〜』とはなっているものの、純粋に続編なのではなくてどちらかというと『物語のディスクール』に対する注釈・補遺のような内容となっている。基本的な構成としては、前作の章題をひとつずつなぞりながら、それぞれの個所に寄せられた批判等に応答しつつ補足や訂正などを施し、巻末に新章を追加していくつかの新たなテーマについて語る、といったように進んでいく。
 この書で再三強調されている点は、主に次のふたつ。
 まず、物語の区分におけるひとつの指標としてプラトンによる「ミメーシス」の概念を用いるということの否定。
 もうひとつは、(ジュネットの)物語論は、あくまでも物語の「言説」に対象を限定していること。
 プラトンは『国家』第三巻で詩人について語っているところで、純粋の物語 ディエゲーシス / 模倣 ミメーシス という区別を示し、直接話法的な語りである後者を劣位のものと捉えたのだが(詩人追放論)、ジュネットは、物語はその内容を「再現・模倣」しているのではなく単に「語っている」だけなのだとして、物語論に模倣 ミメーシス という語を導入することを斥ける。たとえ物語が作中人物の言葉を直接的に語っている場合でも、それは演劇のように模倣的に表現していることとは異なり、言葉を転写しているにすぎないというわけだ。
 また、これにも関連するのだが、ジュネットが〈物語〉と言うときその対象は書かれた文学に限られており、映画や演劇、あるいは絵画だったりさらには歴史や社会情勢だったりといった幅広い対象に対する「物語性」のようなものは考慮されていない。そして、書かれた文学に限定すると言ってもそこでは物語内容のテーマ論的な追求はおこなわれず、その視点は物語の言説のみに徹して向けられている。
 ミメーシス概念の排除にしても対象の限定にしても、ジュネットが物語における「言葉」という側面に焦点を当てているところから来ているわけだが、このとき同時に、物語を「語る」ということへの関心も強く示されている。つまり物語とは「再現されたもの」でもなく「綴られたもの」でもなく、あくまでも「語られるもの」であって、この「語る」という動詞がジュネットにおいては重要なものらしいのだ。
 物語は、[語り手]によって語られるものであるということ。
 このとき、この[語り手]は伝記的な分析を強いられる神聖な対象ではもはやないのだが、一人称による自伝的小説の語り手であろうと、客観を装う全知の語り手であろうと、物語は[誰か]が[読み手]あるいは[聴き手]に向かって語るものであって、この構図が物語という形式を規定しているということが、ジュネットの網羅的な概念体系から浮かび上がる。


2.
 この書の意義は、批判者たちへの逐条的な応答を通じて文学理論全体の深度を掘り下げたことにまずはあると思うけれども、論の内容自体について見るならば、物語論が文学の可能性を広げるためのものであるということをあらためて言明・強調しているところが、この続編の重要な点だと思う。


確実なのは、一般的には詩学が、特殊的には物語論が、既存の形式やテーマの報告をすることだけに自らを限定してはならない、ということである。それはまた、可能なるものの領域を、さらには「不可能なるもの」の領域をも、探査しなければならない──両者を分かつ境界にあまりこだわる必要はない、というのもそうした境界を描いてみせることが詩学物語論の任務ではないからだ。批評家たちは、いままで、文学を解釈することしかしてこなかった。いまや、文学を変革することが問題なのである。これはたしかに、詩学研究者だけの仕事ではない。実際、そこにおいて彼らの果たしうる役割など、おそらくはたかの知れたものにすぎないだろう。けれども、それが実践を創出することにも役立たないとしたら、理論などというものに、一体どんな値打があるだろうか? (p167)

この時、詩学研究者が自らの任務として引き受けなければならないのは、もろもろの選択的(分離的)な親和力や、技法上もしくは歴史上のさまざまな両立可能性の度合を随所で指摘することであり、決定的な両立不可能性をあわただしく触れてまわることではない。 (p136)


 あらゆる文学作品からジュネットが採集してきた豊富なサンプルが示すのは、文学には膨大なパターンがあり、さまざまな可能性が試みられてきたということ*1
 ジュネットはこの書で、物語論の概念区分のいくつかを一覧表に再整理していて、各項目にそれぞれ代表例を記入しているのだが、そこにはいくつかの空欄があったりする。しかしジュネットにとってこのことは表の不備ではないし、物語論の無能を示すわけでもない。それは見出されるべき「可能性」として残されているのだ。


それゆえ、私のみるところでは、この形式を「語りのタイプの現実的可能性」から排除するとなれば、それは未来に対する無用の侮りということになるであろう(原注)。アングル、ベルリオーズフローベールならおそらくは「容認不可能」であるとして斥けたはずの表現が、セザンヌドビュッシージョイスには数多く存在するのである──同様の繰り返しはその後も続いてゆく。何によらず「可能性」というものが──現実的「可能性」であれ理論的なものであれ──どこで停止するのかは、誰にもわからない。 (p134)
(原注:ジェラルド・プリンスは、いまだ実現されておらず、おそらくは今後といえども決して実現されるはずのない語りのタイプの例として、次のようなものを挙げている──「日記形式の三人称の小説で、未来形で書かれており、出来事の提示順が時間順序の通りでないもの」(Prince : 1982 a, p.183)。これこそ挑戦というものであり、私に時間さえあれば……)






*1:そして現在はジュネットの博識の及ぶ範囲もはるかに超える状況になっていると思う。すなわち、2chから生まれた文学(現実の作者/(暗黙の作者)/語り手/物語言説…という図式を軽々とぶち壊す。)とか、携帯小説とかを、ジュネットならばどのように分析するだろうか? しかしそれはもはや今後の世代の仕事なのだろう。(ex. 濱野智史アーキテクチャの生態系』における『恋空』分析。)






music log INDEX ::

A - B - C - D - E - F - G - H - I - J - K - L - M - N - O - P - Q - R - S - T - U - V - W - X - Y - Z - # - V.A.
“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell