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 バルガス=リョサ “フリアとシナリオライター”





“La tía Julia y el escribidor”
 1977
 Mario Vargas Llosa
 ISBN:4336035989


フリアとシナリオライター (文学の冒険シリーズ)

フリアとシナリオライター (文学の冒険シリーズ)





0.
 1950年代のペルーの首都リマが舞台となっている小説。バルガス=リョサ自身の実体験をもとにした自叙伝的な小説だけど、メタフィクショナルなつくりも取り込まれている。ラジオ局を中心に繰り広げられるユーモラスで都会的な物語。


1.
 この小説のプロットは、主にふたつの軸から成っている。ひとつは主人公マリオとその叔母フリアとの恋愛の行方で、もうひとつは、マリオが勤めるラジオ局にやって来た脚本家ペドロの非凡な仕事ぶりとその後の転落の有様だ。
 マリオはニュース番組での原稿作成という仕事に就きながら作家になることを目指していたのだが、あるとき、ボリビアで見出された天才肌の脚本家ペドロ・カマーチョが、グループ局の看板番組であるラジオドラマの製作へとスカウトされてくる。ペドロは生活のすべてを脚本の制作に捧げ、自ら声優として出演するだけでなく演出・監督もおこない、自分の書くシナリオが寸分の瑕疵もなく再現されるよう徹する完璧主義者だった。彼の手がけるラジオドラマは瞬く間に大人気となり、魅力あふれるシナリオを際限なく生み出すペドロに理想的作家像を感じたマリオは、次第に彼に惹きつけられていく。
 一方、ペドロがラジオ局にやってきたその同じ頃、マリオは、離婚してボリビアからリマへやって来た義理の叔母フリアに出会う。18歳のマリオと32歳のフリアはやがて恋に落ち、噂好きの親戚一族およびアメリカで暮らすマリオの父母に気付かれぬように苦労しながらも、秘かに結婚を目論むようになる。厳格な父親を筆頭として幾多もの障害が立ち塞がるなか、結婚の成就へ向けてマリオは奔走する。

 以上が主たるプロットなのだが、これらが語られる合間に、ペドロによるラジオドラマのストーリーが挿話として随所に挟み込まれている。挿話といってもメインのプロットとほぼ同等のボリュームを持っていて、全体に渡って「物語」と「物語内物語」とが交互に進行する体裁となっている。それらの内容はだいたいどれも、平穏に過ごしていた登場人物がその日常を崩壊させるような悲喜劇的な出来事に見舞われるというものなのだけれど、それが悲壮な結果になるのか奇跡的に惨劇を回避するのか、読者に最大限の引きを持たせつつも結末が完全に語られることはなく毎回留保されてしまう。
 この小説には、〈作者〉の位置に立つ者がふたりいる。“フリアとシナリオライター”という小説の作者であるバルガス=リョサと、そのなかの登場人物のひとりであるペドロ・カマーチョだ。しかしマリオによって「正真正銘の作家」とも称されたペドロは、休むことなく膨大な量のドラマを生産し続けるうちに自分のつくる登場人物とストーリーの整理がつかなくなり始めてしまう。複数のドラマ間でプロットが錯綜し、登場人物が唐突に違うドラマに出てきたり、その名前や設定が入れ替わったりする。ラジオドラマに現れ始めた異変はリスナーにも気付かれるようになるが、ペドロはもはや止めることもできず暴走し続ける。変化は、物語内物語として挿入されているパートにも、ゆっくりではあるがはっきりと現れてくる。



2.
 構成としては以下のようになる。



 図のように、ふたりの作家が書く物語は入れ子状に組み合わさっているのだが、それぞれの語りは [作者]-[物語内容] という一方向的な関係のものにはとどまっていない。ペドロの書くラジオドラマの物語内容には、作家であるペドロの錯乱が影響している。また、主人公のマリオはバルガス=リョサ自身であるから、作家リョサが自分の綴る物語内に登場しているとも言えるし、あるいは逆にこの小説全体が登場人物のひとりであるマリオによって書かれているものと考えることもできる。
 つまりこの小説では、ふたりの作家リョサとペドロがそれぞれ、自分が語る物語のなかに自分自身を何らかのかたちで映し出しているという構図がある。

 ペドロが書く物語が、整然と綴られる秩序立ったものではなくペドロ自身の精神状態を受け錯綜していくものであるならば、リョサが書く物語にも同様の疑いを振り向けることはできるだろうか? ペドロの混乱とラジオドラマの支離滅裂は単に小説内の出来事として受け止められ、一方で“フリアとシナリオライター”というこの小説全体はあたかも何の齟齬もなくただしく綴られたもののように思えてしまうのだが、この小説が自叙伝的なものでもあり半ばノンフィクションのようなものであることを考えるならば、事態はもう少し複雑になる気がする。というのは、もうひとりの重要人物であるフリアが果たしている役割があるからだ。


 バルガス=リョサは、小説内と同じような経緯で義理の叔母フリア・ウルキディ=イリャネスと実際に結婚し、後に離婚している。そうした出来事自体は事実であるようだが、小説で描写されているその経緯については片方の当事者であるフリアには異議があるらしく、小説出版後に回顧録を発表して彼を批判している*1
 たとえ完全なノンフィクションであっても誇張や修辞がまったく伴わないものはありえないだろうし、また、起こった出来事に対して当事者同士が異なる記憶を持つことも避けられないことだ。しかし、あくまでもフリアにとっては「実際にそうであったこと」をバルガス=リョサがねじ曲げて書いているように見えている。そしてそれは、ペドロのラジオドラマがマリオやリスナーたちには内容が混濁したものと認識されていることと同じようなものだ。
 つまり、作家ペドロと彼が書く物語の混迷を外部から観察する視点としてマリオやリスナーたちの存在が用意されているのだとすれば、作家リョサと彼が書く物語にある「事実誤認」を指摘する視点として(現実世界の)フリアを位置付けることができる。それはいわばフィクションとリアルの差異を強調する役割であって、「物語ること」をテーマにしたこの小説をメタレベルで完成させる不可欠な存在だとも思える。
 実際の経緯に関する両者の言い分のどちらがただしいかどうかは問題ではなくて、現実のフリアまでもが(知らないうちに)小説の構図のなかにあたかも最初から必要な役割であったかのように組み入れることのできるつくりになっているということが、この小説のおもしろいところだと思う。




3.
[メモ]

p63
彼は階層にしたがってリマの地区を分類していたのだ。面白いのはその分類と命名の仕方で、それぞれに特殊な名がつけられ、当たっている場合もあったものの、完全に独断的としか言いようのないものもあった。(…)
「この分類は科学的ではなく、芸術的なものだ」彼はピグミー族の手を魔術師のように動かしながら答えた。「私が興味をもつのはその地区を構成しているすべての人々ではなく、もっとも際立った、それぞれの地域に香りと色彩を与えている人々なのだ。もし産婦人科医を登場させるとすれば、彼はその職業にふさわしいところに住んでいるべきであるし、それが警察の軍曹であっても同じことが言える」

都市分析、社会分析的な視点。

p284
小部屋の入口を一歩入れば僕たちは自由になり、思うがままに振舞うことができたし、愛する気持ちを伝え合い、二人にとって大事なことを話し、思いやりに包まれていると感じることができた。逆に一歩外に出れば、そこは敵意に満ちた世界であり、僕たちは嘘をつき、こそこそ隠れなければならなかった。
「ここを私たちの愛の巣と呼んでも平気?」フリア叔母さんは僕に尋ねた。「もしかしてこれって、通俗的な言い方かしら」
「もちろんそれは通俗的な言い方だよ。だからそんなふうに呼んじゃだめだ」と彼女に答えた。「でもモンマルトルと呼ぶのは構わない」

この、チャンドラーだとか村上春樹だとかを思わせる洒脱なトーン。それがリマの猥雑な街並の中で語られるという組み合わせが、最高だ。







see also : バルガス=リョサ “緑の家” http://d.hatena.ne.jp/LJU/20090720/p1

*1:Julia Urquidi “Lo que Varguitas no dijo(バルギータスが言わなかったこと)”






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell