::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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 “プライマー”






“Primer”
 Director : Shane Carruth
 US, 2004


プライマー [DVD]

プライマー [DVD]




0.
 いわゆるタイムトラベル物の映画。
 決して、予算を潤沢に使った一大娯楽映画というわけではない。どう見ても低予算、カメラワークもチープだし、最初の方でのガジェットの原理説明のあたりも冗長で間の抜けた感じが否めない。
 でもこの映画の本質はそこにはない。
 解釈の多様性、終わりなく考察を喚起する、というところに意義がある。
 
 
1.
 タイムトラベルが扱われている映像作品というのは、それがたとえ過去へたった一度きり戻るだけというシンプルなものであっても、見ている者の頭を悩ますに充分なものだ。時間を跳躍するなんてことは一度おこなわれるだけでもパラドックス問題を発生させるのに、それが二度も三度もおこなわれると、パラドックスがどのように連なっているものかまったく理解を超えてしまう。
 だから通常、映画におけるタイムトラベルというのは必要以上に複雑にはされていないように思う。物語上の機能として「過去をやり直す」あるいは「未来を知ってしまう」程度しか果たさず、作品全体としてはむしろテーマを描くことに注力しているものが多い気がする。
 たとえば『時をかける少女』なんかがその好例だ。あるいは『STEINS;GATE』なども、2クールもある作品なのでタイムスリップ回数や世界分岐はそれなりに複雑だけど、テーマそのものははっきりしていて、最終的にきれいなかたちで収束し爽快と感動を残して終わる。
 タイムトラベル・フィクションに恋愛テーマのものが多いのは、「やり直す」「望まぬ未来を回避する」といったタイムトラベルのシンプルな意義をテーマに変換しやすいからかもしれない。
 ところがこの『プライマー』という映画は、同じタイムトラベル物でも、ぜんぜん別方向に先鋭化している。
 この映画でおこなわれるタイムトラベルは、数時間程度の過去に戻るという、まあそれ自体は単純な仕組みなんだけど、これが生み出す事態というのが、比類なく複雑。しかもその複雑さというのは、いわゆるタイム・パラドックスによる不整合からくるものというより、「そもそも映画内で何がおこなわれているのかぜんぜんわからない」という複雑さだ。最終的な結末も、何かが解決されるとかカタルシスが得られるとかそういうものはまったくなくて、ただただ謎を残して終わる。
 ――説明自体とても難しいんだけど、どう言ったらいいものか……。
 見終わったあとに、あまりにも何が何だかわからないので、当然のごとくウェブ上でレビューを見てまわってさまざまな解説を読んだんだけど、そのどれひとつとして解釈が一致せず、誰もが難解さを口にしている。――と言えば何となく複雑さの程度がわかるだろうか?
 普段だったらこういう作品を自分でタイムライン書いて整理して読み解く、というのをするのは好きなんだけど、今回のこの『プライマー』に関してはそこまでやる気が起こらず、既にいろんな人がおこなってる考察を見るだけで満足している。


2.
 この作品を難解にしている最大のポイントは、〈ダブル〉というものの存在だ。
 タイムトラベルの一般的なパラドックスのひとつに「自分が過去に戻ったら、その時点では自分がふたり存在することになってしまう」というものがあるけど、その「自分以外のもうひとりの自分」が、この映画だと〈ダブル〉と呼ばれている。*1

 この映画では、ふたりいる主要登場人物がそれぞれタイムトラベルを繰り返しているんだけど、どの登場人物がオリジナルでどれがダブルなのか、というのが判別できない。最初見ているときは、鑑賞者はまだ〈ダブル〉という存在を知らず、画面に映っているのは紛うことなくオリジナルだと思って見ているわけだけど、途中から〈ダブル〉という問題が導入され、「あれ? そうするとあのときのあの人物は、既に何度かタイムトラベルをおこなって戻ってきたダブルだったのか…?」と疑念を抱くようになる。*2
 最大の問題は、誰がオリジナルなのか、あるいは誰が何回目のタイムトラベルをしてきた者なのか、ということにはっきりした正答が示されていないことだ。解釈がいろいろ可能。IMDbのFAQの最初の項目が「Q:この作品内で何が起こっているのかについての通例的解釈はどういうもの? → A:この作品に公式のまとめといったものはありません」というものであることからも、この映画がどういう映画なのかはわかると思う。
 実際、googleで “Primer timeline” と画像検索してみると、さまざまに異なった図表が見つかるんだけど、どれも微妙に内容が一致しない……というかこれらの図表で示された時間軸の錯綜ぶりを見るだけでも、どれだけ込み入った構造をしているのかがよく見て取れるだろう。(下に載せたタイムライン・チャート例参照。右の図は〈ダブル〉の説明。)




 参考リンク

公式サイト:http://primermovie.com/
Wikipediahttp://en.wikipedia.org/wiki/Primer_%28film%29
IMDb : http://www.imdb.com/title/tt0390384/

[東北大学SF研] 映画「プライマー」徹底解析http://www.geocities.jp/tohoku_sf/dokushokai/primer1.html
  必読。よくまとまっていて情報量大。
The Door into Summer 「プライマー」http://diracsocean.blog16.fc2.com/blog-entry-562.html
  人物ごとのタイムライン解釈など。
『プライマー』を解析するhttp://www.jikanryoko.com/purai1.htm
  タイムトラベル専門サイト、とのこと。他のエントリも興味深く、資料価値大。
プライマー@映画の森てんこ森http://www.coda21.net/eiga3mai/text_review/PRIMER.htm
  基礎情報がまとまっている。レビュー未記載。


 タイムライン・チャート例 (これが「正解」だというわけではない。あくまでもひとつの解釈。)



[メモ] 視点の問題

 
 “客観的な”カメラ視点

 通常、映画でのカメラアイは、単に客観的で格別深く考える必要のない無性格の視点だ。それは映画内の誰か特定の登場人物の視点を表しているわけではなく、空中に浮かぶ透明な視点にすぎない。「この視点は何をどの位置から見ている視点なのか」という疑問が抱かれることはない。
 だけどこの『プライマー』のように、時間軸が移り変わり、なおかつそのように時間を戻って行き来する主体が複数いて判別つかぬほどに入り乱れているという場合、映画が採っている視点は無色透明な立場にとどまり続けることはできず、「いったい誰をどの位置からどのようなルートで追っている視点なのか」という疑問が出てくる。

 タイムトラベルというものがないふつうの映画だったら、時間の流れはあくまでもひとつしかない。現実世界というのがそのようにできているように。
 現実世界では、世界中のすべての人間が同じようにこの同じ時間を一秒一秒未来へ向かって進んでいる。映画のカメラアイという「透明な視点」もまた、未来へ進む一方向的な時間を登場人物と同じように共有していると考えることができる。過去の回想を描く場合でも同じ。映像が過去に戻っても、「過去のその時点」では、やはり全世界の全人間が同じ時を共有しているからだ。
 ところが、この映画のようにタイムトラベルが許容されている世界で、なおかつ、時を跳躍し得るふたりの主人公が同等の立場で存在しているような場合には、カメラアイを単に客観的な視点と言って済ますわけにはいかない、ややこしい事態が生じる。
 タイムトラベルをおこなう主人公がひとりだけならば、カメラ視点の問題は複雑なことにはならない。主人公がひとりの場合は、その人物のプロパー・タイムに沿ってカメラが追い続ければいいだけだ。
 だけど、主人公がふたりいて、それぞれがそれぞれのプロパー・タイムで勝手に過去と未来を行き来し、しかも彼らがどの順番でどう動いていて、どの時点のどの人物が何度目のタイムトラベルをした人物なのかが判別できないとなると…… カメラアイ自体のタイムラインはいったいどのように何を辿っているのだろうか?


 カメラアイのタイムライン

 『プライマー』の場合でいえば、カメラは「タイムトラベルを一切おこなわないタイムライン」に固定されているわけではなく、過去に戻ったりまた未来に進んだり……ということを繰り返して作品を描写している。
 今ここで、ある人物Aが二回タイムトラベルをおこなって辿り着いたタイムライン3上で初めて発生する出来事Pというものがあるとしよう。すると、この出来事Pを映しているカメラアイも、このタイムライン3上に存在することになる。……と、一般的なタイムトラベル映画であればそのように断言することができるわけだが、『プライマー』の場合は、この出来事Pが、どの人物が何回タイムトラベルをおこなって辿り着いたどのタイムラインなのかがはっきり定まっていない、という点に大きな問題がある。そもそもそれが「人物Aのタイムライン3での出来事」かどうかが不明瞭なのだ。その人物は三回タイムトラベルしてきた人物かもしれないし、あるいは一度もタイムトラベルをしていない人物なのかもしれない。だから、そこがどのタイムラインなのかを特定することができない。
 それではカメラアイはいったいどのタイムライン上にいると言えるのか?
 映像を映しているカメラアイは、作品内でタイムトラベルをおこなっているふたりの登場人物どちらかに沿ったものではない。だとすると、カメラアイもまた独自に・勝手にタイムトラベルをおこなっていると言うこともできるのではないだろうか? つまり、主人公ふたりがそれぞれプロパー・タイムを持って行動していることと同様に、カメラアイにもプロパー・タイムを設定することができる。*3 というより、そのように解釈しないとこの映画は理解できない。
 であれば、この映画には主人公がふたりいるのではなく、より正確には、無人格であるところのカメラ視点を加えた三人の主人公がいる、と言うべきだろう。
 この映画を見る際の混乱は、すべてこの三つの視点の錯綜に起因している。もしカメラ視点が主人公ふたりのどちらかにぴったりくっついて撮影し続けるのであれば、これほどの混乱は生まれなかったはずだ。
 言い換えると、上に載せたタイムライン・チャート例では主人公ふたりのタイムラインが示されているが*4、ここには本当は映画が描写している時点順序を付け加えることができる。そしてそれこそはカメラアイの辿る独立したタイムラインであり、カメラアイが主人公たちと同じようにタイムトラベルをおこなっていると考えることに等しい。


 A系列の時間

 このように考えるとき、もしマクタガートの時間論に触れたことのある人ならば、例の「A系列/B系列」という時間観を思い起こすのではないだろうか。
 マクタガートの「B系列」とは、出来事の生起順序、出来事相互の前後関係を意味する。これに対し「A系列」は、ある出来事を過去・現在・未来のどれかとして把握することを意味する。B系列で語られる関係は、基本的に不変のものだ。たとえば2001年9月11日に起こった出来事は、2000年よりも後の出来事であり、2002年よりも前の出来事である。どちらが後でどちらが前かというこの関係は今後も変更されることはない。一方A系列で時間を表現する場合、ある出来事は、永遠に過去であるとか現在であると言うことはできない。たとえば……今このエントリを書いているわたしにとって、2011年10月23日は現在であり、10月24日は未来であるけれど、しかし程なくして10月23日は過去となり、10月24日が現在になるときがやって来る。
 A系列とB系列の違いは、「視点」の取り方の違いということができるだろう。
 B系列は、言ってみれば時間軸全体を神のような客観的位置から一望の下に眺め渡すような時間把握の仕方だ。そしてA系列は、実際に今この世界を生きている誰かの視点から時間を把握する仕方だと言える。
 タイムトラベル・フィクションにおいて、A系列型の時間把握を抜きにして作品内の事態を把握することはできない。
 特に『プライマー』のように複数の時間旅行者が入り乱れる状況を理解するには、「そこは誰にとってのタイムラインのどの時点なのか」と考えることは不可欠だ。このときこの「誰にとっての」という把握の仕方こそは、A系列における「過去・現在・未来」の区別を相対的に変化させる中心点、すなわち世界を生きる視点を意味している。
 タイムトラベルなど存在しない現実の世界では、この中心点、すなわち端的に「今」と呼ぶことができる「時点」は、全世界の全人類で同一だ。そしてタイムトラベルというのは、「今」が複数に分裂する事態を想定して初めて理解できる状況のことだと言える。人物Aにとっての「今」、人物Bにとっての「今」……というふうに。(このあたりについては、青山拓央『タイムトラベルの哲学』ISBN:4480427821 を参照のこと)
 そして、本来無色透明であったはずのカメラアイがタイムトラベラーたちと同等に「今」を担う主観的視座になってしまうというところに、この映画のおもしろさがある。通常の映画であれば疑いもなく透明な神の位置に置かれてしまっているカメラアイの特権性を剥奪し、世界は必ず誰かの視点からによってのみ開かれる、ということをあらためて端的に表しているようにも思えるからだ。


 

*1: 
 この作品では、ダブルとオリジナルの接触によるタイムパラドックス発生を回避するため、タイムマシンに自動起動タイマーを付けたり、タイムマシン作動中はホテルに閉じこもってダブルと出くわすのを避けたりといった工夫をおこなっている。

*2: 
 ただ、この〈ダブル〉という言い方がまた曲者で、「オリジナルに対するダブル」という相対的な意味合いのものなので、そもそも誰がオリジナルかわからないときに使う言葉でもなかったりするのだが。

*3: 
 「ある人物がプロパー・タイムを持つ」というのは、その人物がストップウォッチを持ったままタイムトラベルを繰り返すと、ストップウォッチの秒数経過を、客観世界側の時間(2011年10月22日○時○分とか)に対応させることができる(秒数0:10月22日12:00 → 秒数600:10月21日18:00 → 秒数1200:10月22日9:00 など)ということを意味する。そしてカメラアイにもまた同じようなことを想定することができる。

*4: 
 実は主人公ふたり以外にさらにもうひとり別の人物もタイムトラベルをおこなっているらしいのだが……。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell