“The Girl with the Dragon Tattoo”
Director : David Fincher
US/Sweden/UK/Germany, 2011
デビッド・フィンチャー監督作品。
スタイリッシュなオープニングは『ファイト・クラブ』を彷彿とさせるけど、中身の方はむしろ『ゾディアック』。孤島を舞台にした富豪一族の歴史・因縁・異常性をめぐるミステリー。そして、表題となっている『ドラゴン・タトゥーの女』のキャラクターは、タランティーノっぽくもある。
プロット自体はミステリーとしてはそんなに意外性のあるものではないかな、と思ったけれど、キャラクターや演技に大きな魅力のある作品だと思う。
とくにリスベット。靴音を高く響かせながら常に早足で闊歩するようなタイプといえば概ね性格の説明は足りるだろうか。職業は調査員、捜索・分析能力が優秀であるという設定。MacBookとGoogleを駆使して効率的に調査するその描写が、ハッカーものの映画にありがちな妙なPCインターフェイスと違って端的にリアリティがあった。そして身体能力も高く、格闘やバイク移動の疾走感。バイクで跨線橋を駆け列車と併走する一瞬の映像が強く印象に残った。きわめつけは “May I kill him?” の場面。これがまたなんという頼りがいのある台詞であったことか……。絶対やり遂げるだろうな、ということの信頼感・確実性。
(以下ネタバレ含むメモ)
・メインプロットの謎が明かされて事件が解決したあとも、しばらく話が続く。そもそもの発端であるヴェンネルストレムとの決着が語られなければならないからだ。ヘンリックの依頼は無事に解決されたのだから、約束されていた報酬がヴェンネルストレムに反撃するための有益な証拠になるのだろう……と思いきやそうはならず、仄めかされていた情報は結局役に立たないものだった。その代わりに、リスベットがもともと持っていたデータを使っていとも簡単に「復讐」が果たされてしまう。
だったらヘンリックの依頼なんて物語上意味がなかったのでは……?と一瞬思ったんだけど、でもよく考えると、リスベットがあのような行動に出たのはヘンリックの依頼を共に遂行する過程を通じてミカエルとの信頼関係を樹立したからこそであって、それがなければ、リスベットがミカエルに協力する義理はない。つまりヘンリックのミッションは、ミカエルとリスベットの関係を構築するためのものとして物語上の意味を成している。
・このふたりの関係は奇妙な非対称性をもっている。リスベットはミカエルの公私両面の生活を知り尽くしているのに対して、ミカエルはリスベットのことをほとんど知らない。ミカエルにしてみれば、自分のプライベートな情報に関してリスベットに嘘をつくことは不可能だ。だから彼はリスベットに対しオープンに臨まざるを得ない。こうした非対称性が出発点にあって、そこからふたりの信頼があらためて構築されていく過程。
・リスベットってこの映画のなかでほぼ笑顔を見せずずっと無表情のままなんだけど、そうであっても彼女の感情の推移を観客はよく把握できる、そういうふうにつくられている映画だと思う。