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 董啓章 “地図集”



“Atlas”
 2012
 Dung Kai Cheung
 ISBN:4309205895



地図集

地図集






 

 香港という都市を舞台に「地図」という切り口で描かれた書物。
 実在の地名・人名を散りばめ、観光ガイドには載っていない隠れた逸話のごとき事柄が次々と語られていく。
 作者後記および訳者解説が言うところによれば、それらはもっともらしく記されているが単なる虚構にすぎないとのこと。でも、もしそうした情報がないまま読んだとき、自分が果たしてこの書の中の事実と虚構をきちんと峻別できるかどうかは確信を持てない。
 さしあたり作中の地名はどれも実在のもののようには見える。実際に自分が香港に行ったときの記憶やウェブ上の地図で確認できる範囲内でもそれがただしいことは裏付けられる。――けれども、本書に登場する膨大な地名のすべてをはっきり確認したわけではないから、マイナーな街路のどれかひとつが実は虚構の名称だったとしても、それを察知するのは困難なことだろう。一方、「いかにもありそうに書かれているフィクション」とされているエピソードのなかに「実は現実に起こった出来事」が秘かにひとつだけ紛れ込んでいたとしたら、それに気付くこともまた不可能だろうと思う。
 本書では虚の部分と実の部分は渾然一体となっていて、文章それ自体から自動的に虚実の区別を導き出すことはできない。明確に区別するためには現実世界に照らし合わせた個別の検証が必要となるだろう。でもフィクションの読書体験でそうした検証行為が不可欠に要請されるわけではない。
 ……清塚邦彦『フィクションの哲学』で似たようなことが書かれていたのを思い出した。第二章「フィクションの意味論」での例示:ドイル『シャーロック・ホームズ』のロンドン、三島『金閣寺』の舞鶴カポーティ『冷血』でのベースとなった実際の事件。――“ある作品がフィクションであるかどうかの識別は、真偽の値の確認に先立っているのである(p74)(cf. http://d.hatena.ne.jp/LJU/20110212/p1
 『フィクションの哲学』でのフィクションの定義は、作者と語り手の遊離という点に求められていて、意味論的な真偽は問題とされない。
 けれども、“地図集” のように虚実が殊更に錯綜した書物では、何が真実で何が虚構なのかということにやはり考えをめぐらせてしまう。
 ――というのは、昨年の震災直後の流言やそれ以降の放射能をめぐるさまざまなリスク・コミュニケーションに現実に接したなかで、情報の真偽を見極めることの困難を実感した思いがあるからだ。ジャーナリストを称する人々にすら明らかに不確かな情報を拡散させる事例が少なからず見られたと思うのだが、そうした虚報の検証と訂正を、プロではない有志が丁寧におこなっていたことも一方で印象に残っている。
 真偽の区別を明らかにするそうした努力があってこそ、フィクションは成り立つのではないだろうか、などとも思う。もしそのような確たる基盤がない混沌とした状況だったとしたら、そもそもフィクションはフィクションとして流通するのだろうか……? *1


 もうひとつ。
 香港という都市は、小説の舞台としても考察の対象としても、とてもおもしろい都市だということをあらためて思った。地理様態、政治推移、建物・街路の諸相……といった諸々の意味で。
 この本を読んでまず想起したのは、カルヴィーノの『見えない都市』http://d.hatena.ne.jp/LJU/20120304/p1よりもレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』ASIN:4480085262だった。複数の明白に荒唐無稽な都市を語った前者よりも、ひとつの実在する都市を文化史的に追って解析した後者の方が本書に近いように思う。
 『錯乱のニューヨーク』ははっきりノンフィクションに区分される書物。でも、そこに収蔵されたさまざまなエピソードはどうにも眉唾感があふれているし、『地図集』で語られていることと同じように見えなくもない。……いや、今の今まで『錯乱のニューヨーク』内の事物・図版はすべて本物だと疑わずにいたんだけど、もしかしたらあのなかには虚構も混じっていたりするのだろうか? わからない。
 『錯乱のニューヨーク』という書の意義は、その冒頭において次のように定められている。

[・・・] いったいどんな具合に、残りの二十世紀のためのアーバニズムとしてのマニフェストを書いたらよいのか。マニフェストというものの宿命的な弱点とは、その正しさを証明する具体例が欠落していることだ。
 マンハッタンの問題はその逆である。ここにはマニフェストはなく、明白な具体例が山ほどある。本書は、こうした互いに異なる状況が交差するところで着想された。これはいわばマンハッタンのための〈回顧的なレトロアクティヴマニフェスト〉の書なのである。(p9)


 ……だとすれば、「ある想像の都市の考古学」という副題を持ち、未来からの架空の視点によって書かれている『地図集』の場合は、〈虚構例に基づくレトロアクティヴ・マニフェスト〉とでも言えるかもしれない。そこでの回顧は現在から過去へ向けたものではなく、(架空の)未来から現在へ向けたものであるわけだが。









目次


少年神農 1990
永盛街興亡史 2002
地図集 Atlas ある想像の都市の考古学 The Archaeology of an Imaginary City 1997

  理論篇 Theory
   対応地
   共同地
   錯置地
   取替地
   対抗地
   非場
   脱領域性
   境界
   無何有之地
   地の上の地
   地の下の地
   転移地
   多元地/複地
   独立地/統一地
   完全地
  都市篇 City
   海の都市
   蜃気楼
   ポッティンジャーの転倒した視覚
   ゴードンの監獄
   ヴィクトリアの虚構1889
   四環九約
   東方の半人半馬
   閑話角と兵営地
   スミス氏の一日旅行
   総督府の景観
   ベルチャーの夢の中の蝦蟇
   裙帯路の返還
   太平山の呪い
   攻略ゲーム


  街路篇 Streets
   春園街
   雪廠街
   糖街
   七姉妹道
   竪拿道東と竪拿道西
   愛秩序街
   水坑口街
   詩歌舞街
   通菜街と西洋菜街
   洗衣街
   衆坊街
   柏樹街
  記号篇 Signs
   図表凡例の堕落
   台風の眼
   赤鱲角空港
   換喩の系譜
   想像の高度
   地質種類分岐
   北進偏差
   数字の旅
   記号の墓穴
   時間の軌跡
   後期――誠実なる遊戯
与作 2011

*1:もちろん、相対主義構築主義の議論は簡単に済まされるようなものではない。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell