“Atlas”
2012
Dung Kai Cheung
ISBN:4309205895
- 作者: 董啓章,藤井省三,中島京子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/02/21
- メディア: 単行本
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香港という都市を舞台に「地図」という切り口で描かれた書物。
実在の地名・人名を散りばめ、観光ガイドには載っていない隠れた逸話のごとき事柄が次々と語られていく。
作者後記および訳者解説が言うところによれば、それらはもっともらしく記されているが単なる虚構にすぎないとのこと。でも、もしそうした情報がないまま読んだとき、自分が果たしてこの書の中の事実と虚構をきちんと峻別できるかどうかは確信を持てない。
さしあたり作中の地名はどれも実在のもののようには見える。実際に自分が香港に行ったときの記憶やウェブ上の地図で確認できる範囲内でもそれがただしいことは裏付けられる。――けれども、本書に登場する膨大な地名のすべてをはっきり確認したわけではないから、マイナーな街路のどれかひとつが実は虚構の名称だったとしても、それを察知するのは困難なことだろう。一方、「いかにもありそうに書かれているフィクション」とされているエピソードのなかに「実は現実に起こった出来事」が秘かにひとつだけ紛れ込んでいたとしたら、それに気付くこともまた不可能だろうと思う。
本書では虚の部分と実の部分は渾然一体となっていて、文章それ自体から自動的に虚実の区別を導き出すことはできない。明確に区別するためには現実世界に照らし合わせた個別の検証が必要となるだろう。でもフィクションの読書体験でそうした検証行為が不可欠に要請されるわけではない。
……清塚邦彦『フィクションの哲学』で似たようなことが書かれていたのを思い出した。第二章「フィクションの意味論」での例示:ドイル『シャーロック・ホームズ』のロンドン、三島『金閣寺』の舞鶴、カポーティ『冷血』でのベースとなった実際の事件。――“ある作品がフィクションであるかどうかの識別は、真偽の値の確認に先立っているのである(p74)” (cf. http://d.hatena.ne.jp/LJU/20110212/p1))
『フィクションの哲学』でのフィクションの定義は、作者と語り手の遊離という点に求められていて、意味論的な真偽は問題とされない。
けれども、“地図集” のように虚実が殊更に錯綜した書物では、何が真実で何が虚構なのかということにやはり考えをめぐらせてしまう。
――というのは、昨年の震災直後の流言やそれ以降の放射能をめぐるさまざまなリスク・コミュニケーションに現実に接したなかで、情報の真偽を見極めることの困難を実感した思いがあるからだ。ジャーナリストを称する人々にすら明らかに不確かな情報を拡散させる事例が少なからず見られたと思うのだが、そうした虚報の検証と訂正を、プロではない有志が丁寧におこなっていたことも一方で印象に残っている。
真偽の区別を明らかにするそうした努力があってこそ、フィクションは成り立つのではないだろうか、などとも思う。もしそのような確たる基盤がない混沌とした状況だったとしたら、そもそもフィクションはフィクションとして流通するのだろうか……? *1
もうひとつ。
香港という都市は、小説の舞台としても考察の対象としても、とてもおもしろい都市だということをあらためて思った。地理様態、政治推移、建物・街路の諸相……といった諸々の意味で。
この本を読んでまず想起したのは、カルヴィーノの『見えない都市』(http://d.hatena.ne.jp/LJU/20120304/p1)よりもレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』(ASIN:4480085262)だった。複数の明白に荒唐無稽な都市を語った前者よりも、ひとつの実在する都市を文化史的に追って解析した後者の方が本書に近いように思う。
『錯乱のニューヨーク』ははっきりノンフィクションに区分される書物。でも、そこに収蔵されたさまざまなエピソードはどうにも眉唾感があふれているし、『地図集』で語られていることと同じように見えなくもない。……いや、今の今まで『錯乱のニューヨーク』内の事物・図版はすべて本物だと疑わずにいたんだけど、もしかしたらあのなかには虚構も混じっていたりするのだろうか? わからない。
『錯乱のニューヨーク』という書の意義は、その冒頭において次のように定められている。
……だとすれば、「ある想像の都市の考古学」という副題を持ち、未来からの架空の視点によって書かれている『地図集』の場合は、〈虚構例に基づくレトロアクティヴ・マニフェスト〉とでも言えるかもしれない。そこでの回顧は現在から過去へ向けたものではなく、(架空の)未来から現在へ向けたものであるわけだが。
目次
少年神農 1990 |
永盛街興亡史 2002 |
地図集 Atlas ある想像の都市の考古学 The Archaeology of an Imaginary City 1997 | |
理論篇 Theory 対応地 共同地 錯置地 取替地 対抗地 非場 脱領域性 境界 無何有之地 地の上の地 地の下の地 転移地 多元地/複地 独立地/統一地 完全地 都市篇 City 海の都市 蜃気楼 ポッティンジャーの転倒した視覚 ゴードンの監獄 ヴィクトリアの虚構1889 四環と九約 東方の半人半馬 閑話角と兵営地 スミス氏の一日旅行 総督府の景観 ベルチャーの夢の中の蝦蟇 裙帯路の返還 太平山の呪い 攻略ゲーム | 街路篇 Streets 春園街 雪廠街 糖街 七姉妹道 竪拿道東と竪拿道西 愛秩序街 水坑口街 詩歌舞街 通菜街と西洋菜街 洗衣街 衆坊街 柏樹街 記号篇 Signs 図表凡例の堕落 台風の眼 赤鱲角空港 換喩の系譜 想像の高度 地質種類分岐 北進偏差 数字の旅 記号の墓穴 時間の軌跡 後期――誠実なる遊戯 |
与作 2011 |