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 伊藤計劃・円城塔 “屍者の帝国”






屍者の帝国

屍者の帝国






読んだ。
うーん……。どうだろう。
非の打ち所ない名作、ではなく、
歴史に刻まれる奇書、ぐらいかな……。
わりと複雑な思いはある。


0.
 まず、伊藤計劃が完成させることができなかった未完の小説を、円城塔が引き継いで完成させた、ということ。
 “ディファレンス・エンジン”を読むときにあれがギブスンとスターリングの合作だということは知ってても知らなくてもあまり影響ないように思うけれど、“屍者の帝国” を読むにあたっては、ふたりの作家によって生み出された経緯を知っておくことは不可欠だと思う。
 屍者制御技術/ネクロウェアによって屍者を使役するという作中の設定は、この小説がどのように書かれたのかということにそのまま重なってくるからだ。

屍者の帝国』の続きを書くということはそのまま、「死者を働かせ続ける」作業となるに決まっているからです。偶然にも与えられたこの図式を最大限に活かすことが、わたしの作業目標になりました。
(『屍者の帝国』あとがきに代えて 円城塔 http://www.kawade.co.jp/empire/


 この図式には少なからず慄きを感じずにはいられない。小説は純粋に書中のテクストだけで成立するのではなく、書の外部の情報と合わさって大きな意味を成す場合がある――ということの好例として、今後ジュネットなんかが収集記録しておくべき必須のサンプルじゃないだろうか。
 またこの本の大きな特徴として、外部作品への参照としてのいろんな「ネタ」が散りばめられていたり、歴史上の、あるいはフィクション上の登場人物が借りられていたりするんだけど、こうしたサンプリング=借り物手法というものと「屍者使役」というアイデアにも、相通じるものがあると思った。


(以下、ネタバレを含む、基本的に非-肯定スタンスの感想)



1.
 さて、では肝心の中身がどうだったかというと――手放しで大絶賛な作品というようには思わなかった。
 とくに、『意識の正体は菌株だったんだ……!』っていうくだりは、正直なところ、読んでてけっこう苦痛なレベルだった。心身論的な文脈から見れば、意識の正体が菌株だろうが〈宝石〉だろうが脳チップだろうがすべて等価で、「意識は脳細胞によって生み出されている」っていう “既知の事実” と何も変わらず、特段のインパクトもない。
 だからその後、『いやそうではなく “X” は「言葉」とすべきなんだ』って言われて心底ほっとしたし、それを結論にした方が圧倒的にスマートな構図だと思ったのだが(とはいえそれ自体はあたらしいアイデアでも何でもない)、結局そのあと菌株説も残存してて……。このあたりは何とも残念な感じが拭えなかった。


2.
 最初の方には、おもしろくなっていく気配はそこかしこにあったのだが。
 プロローグから第一部に切り替わるところの、

――Rebooting the Standard Cambridge ENGINE.4.1.2...check......OK
――Rebooting the Extended Edinburgh Language ENGINE.0.1.5...check......OK
(汎用ケンブリッジ・エンジン 4.1.2.再起動……確認……OK
 拡張エジンバラ言語エンジン 0.1.5.再起動……確認……OK)


 および、

今こうしてはじまる記録もフライデーの手になるものだ。


 というところ、ここはほんとうにわくわくした。

 「屍者制御技術」なるものがある設定の世界、そしてこの記録=テクストを書いているフライデーは屍者。
 ……とすると、もうそれだけでメタフィクショナルな展開をいろいろ期待してしまうよね? たとえば知らないうちにフライデーも外部操作されていて「記録」のなかに虚偽が入り交じっていく、みたいな。
 ところが、読み進めていってもこの本はあまりそういう方向へは行かず、せいぜい終盤付近で多少ある程度――いや、そうでもないのか? 読み込みが浅いだけで実はもっと全般的に操作されている?? どうだろう。そこまで読み込めていないのでわからない。
 いずれにしてもラストについては、当然のことながらフライデーが自我を獲得するというところで終わる。第一部冒頭でフライデーが登場した瞬間にこのラストはある意味既定のものとして組まれるわけだけど、それでも/だからこそ、整然とした構成的満足感がある。
 ――とはいうものの、これだったら “ディファレンス・エンジン” のラストの方が感動的だったかなー、と思ったりしなくもない。あれは半ば以上、文体の超絶的威力のおかげというのもあるが……。
 どっちかというと “どろんころんど” に近い感じはあった。



3.
 あと、黒丸尚/伊藤計劃の疑問文文体の不完全な踏襲がどうにも引っかかる。
 「……と、語尾を上げた」とかそういうのを明記せずに疑問文として成り立たせるところにあの文体の醍醐味があるわけで――。もうちょっとうまく書けなかったものか。別に伊藤計劃文体を完全に模することが円城塔の役割ではないのはもちろんで、だからあえてずらして書いたパロディ文体にすぎない、ということでもあるかもだけど、それにしても中途半端……。*1


4.
 なんかいろいろ批判だらけになってしまったが……でもやっぱりこの本に良かった点はある。
 円城塔が出版社特設サイトで書いている「この作品は “ハーモニー” の更にその先の話」というところは事実その通りで、一定程度達成できていると思う。
 とくに p242 あたり。
  〈スペクターは、こうして生まれる〉
  〈充分に発達したシステムに存在するセキュリティ・ホール〉
  〈塵のように物質化した情報が様々なノイズとなって〉
 これらのキーフレーズは刺激的だった。

 “ハーモニー” での『調和』のように、そして “屍者の帝国” での『屍者化』のように、一旦意識を消失したはずの人間たち。でもその先に、「意識」と同様に、あるいは「意識」とは別のありようでの、手に負えない何かが登場する、という予兆。それは単なる意識のオルタナティヴでもなさそうで、生物のみならず、計算機や社会にも発生し得るものということも示唆されている。――いや、それが結局円環的に「意識」に回収されるものなのかそうではないのかはいろんな可能性があると思うけど、題材としておもしろいものが蒔かれたことはまちがいない。
 この書がそれをきちんと結実させることに成功しているかというとそうは言えない。でもこの端緒に取りかかれたことの価値は大きいと思う。



5.
 良かった点についてまとめると、以下の二点。

  • この小説が伊藤計劃から円城塔に引き継がれて書かれたということが、作中での屍者使役という設定に重なっている、というテクスト外の “出来事” のレベルでのおもしろさ。
  • “ハーモニー” のその先についての問題提起




*1:あとで気付いたけど、円城塔って伊藤計劃と関係なく自分の初期作品からずっと、疑問形の台詞をクエスチョンマークなしで書くってスタイル続けてきてたんだな…。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell