- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/11/27
- メディア: 単行本
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1.
女の子が主人公の一人称小説。超常的なものは何も出てこなくて、ふつうに日常、人生。
語り口と思惟の展開がすごく好き。……っていうのは前に “みんな元気。” を読んだときに書いたこと(http://d.hatena.ne.jp/LJU/20100524/p1)がほぼそのまま当てはまるのでここで繰り返さなくてもいいといえばいいんだけど、やっぱりメモしておかずにいられない。
というか “みんな元気。” についての自分のエントリ読み返してみたら、“ビッチマグネット” 読んですぐに思ったこととほんとにまったく同じだった。感情移入のシンクロがパーフェクトである文章、という旨のところが。
それは舞城文体の力なのか、それとも舞城作品のうち特に女の子一人称の文体が自分と相性が良いのか。
文体って何だろう?
リズムと語彙、考えている内容の推移、レトリック。……といったところ?
そうそう、“みんな元気。”のときには思い至らず今ふと気付いたことなんだけど、舞城王太郎の女の子一人称文体の特徴って、疑問形がやたら多いことかもしれない。
ページをぱらぱらっとめくると目に入る “?” という符号の数々。語り手は自分自身に問いかけ続けている。次から次へと。そしてその問いに答が打ち立てられることはあんまりなくて、置き去りにされたまま別の状況が描かれ、それに伴われる新しい問いの連続。
あ、でもそれだけじゃない。ところどころに “?” よりもっと少ない比率で、でもはっきりと、 “!” で終わる文が短く連なるところもある。断言だったり、感情の強調だったり、決意だったり。
たくさんの “?” と、それよりは少なめの “!” と。ふたつの符号が織りなすリズム。たぶんそれがこの小説の文体の主構造を形成してると思う。
2.
〈物語〉というタームはこの小説のひとつの骨子。
きっとそういう反応が起こるのって私だけじゃないだろうから、思うに、この世のある部分の人たちは、誰かの本当の気持ちをそのまま話されることに耐えられないのだ。自分たちの本当の気持ちも言葉にすることができないし、そうしようとも思わないものなのだ。
ひょっとしたらそういう人の一部が物語を創るんだろう。そういう人たちのために、物語は創られるんだろう。
架空の物語っていうのは、本当のことを伝えるために嘘をつくことなのだ。
(p26)
人間のゼロは骨なのだ、とまた思う。
そこに肉と物語をまとっていく。歴史と記憶と想像と思い込みと願いと祈りと連想と創造。物語を物語が飲み込んで、時に思わぬ飛躍も起こる。
(p206)
関連して、
自分のキャラを演じてるっていう自分に気がついてそれを踏まえた新しいキャラを作り出してってのを重ねた挙句に混乱して意味不明のまま自分の中に引きこもるみたいにして脱出……最悪だ。
(p94)
……「メタ-再帰的自己」的な何か?
それと p88、心理相談室でのBDIテストの調査票を利用して書かれたモノローグも斬新だった。(これも「Q5とQ6だけ質問口調」っていうのがポイントになっている。)
3.
あと、モノローグ内容/文体で良かったところは、
「ああ……」。実は具体的な話の筋が今イチはっきり掴めてないのだけど、男女のいざこざは登場人物が増えれば問題が拡大するセオリーだ。
(p62)
だる〜〜〜〜い!話の内容も複雑すぎるしそれをきっちり理解してるらしい塩中さんにも引く。
(p64)
のあたり。