“The Disappearance of Alice Creed”
Director : J Blakeson
UK / Isle of Man, 2009
登場人物が3人しか出てこない、いかにもな低予算映画。*1
身代金を手に入れるため男ふたりがひとりの女を誘拐して監禁する……という話。
公開時の宣伝文句として、『メメント(クリストファー・ ノーラン)やレザボア・ドッグス(タランティーノ)のような有名監督のデビュー作を彷彿とさせる映画』といったことを言われて評価されてたらしい。「低予算で/少ない登場人物による/限定された舞台で/脚本の工夫で成立している」作品であるというところは、たしかに共通している。ただこの二作品ほど斬新で衝撃的かというと、そこまでではないかな…とは思った。
とはいえ、いくつかおもしろい点がある。
(以下ネタバレ含むメモ)
◦冒頭の、監禁場所を準備するところのシークェンス。手際のよい作業進行が、無駄のないカット割りとカメラワークで描写されて気持ち良かった。
◦この手の映画のセオリー通りに全員死ぬかひとりだけ生き残るかのどちらかだろうと思って見てたら、やっぱりその範疇だったので、その点に関しては特にどんでん返し的なものがあるわけではない。でも終わり方自体は良かった。ラストのシーンでタイトルが表示されて、「失踪って、あー、そっちの意味のね」って思わされるのはどんでん返しと言えば言えるかも。トレインスポッティングも似たラストだったけど、こういう終わり方は好きだ。
◦作中では「真の愛」/「欺瞞としての愛」がはっきりしない描かれ方をされている。これらの組み合わせとしては「両方とも真」/「片方のみ真」/「両方とも偽」という三つのパターンが考えられるんだけど、結局どうなのかが明らかにされないまま終わる。これがヘテロな組み合わせだけだったら取り立てておもしろくはなかっただろうと思うんだけど、そうではないのでちょっとした驚きがあった。
これに関しては、土田知則の『フェミニズムと文学理論』でバルトの『S/Z』について触れているところがつながってくるように思った。
(…)サラジーヌの男性中心主義を脱構築するはずのバルトは、「去勢」をこのテクストの究極的な意味(シニフィエ)へと昇格=勃起させることで、サラジーヌの仕草を繰り返してしまっていると考えられる。(…)バルトの男性的な思考原理は、テクストの曖昧な言いよどみに苛立ちを覚え、テクスト自体が拒絶していることを無理やりテクストに強いているのである。
(『ワードマップ 現代文学理論』 p228)
セクシャリティの帰属を強いる構造と、「結局どういう内心だったのか」という“読み手”の問いの相似。
登場人物の不確定(コンティンジェント)な内心がセクシャリティの未決状態に重なる構図になっているのが新しいと思った。
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