ゆゆ式。
なんか狂気的なまでにはまってる人たちがかなりの数いるっぽいんだけど。すっごくわかる。作品を鑑賞するとかエンターテイメントとか、そういうレベルでのはまり方じゃなくって。
見かけは単なる日常系萌え4コマ原作のアニメで、何が特別かっていうのはぱっと見ではなかなかわからないかも。
「計算ボケ」「天然ボケ」「細かいツッコミ」の3タイプが掛け合うだけの内容。ストーリーらしきものがぜんぜんなくて、脈絡なく会話してるだけ。もうとにかく日常系の極北、みたいな。
- このアニメのキーワードは「コミュニケーション」ということに集約されると思う。この点に関しては衆目の一致もある感じ。
この「コミュニケーション」にはふたつの側面があって。
・まず、会話としてリアルっていう面と、
・会話の相互行為を通じた人間関係の機微がリアルっていう面。
「リアル」って言葉にあんまり頼りたくないけど、要は「わたしたちの実際の生活におけるコミュニケーションってほんとにこんな感じそのままだよね」っていう。そういう意味で、社会学のフレームで見た世界にすごく合致してる感ある。
- ひとつめの「会話」っていう側面から言うと;
アニメにかぎらず小説でも漫画でもドラマでも、創作作品での「会話」ってのはたいてい現実のものとは違ってて、たとえば、「……だわ」「かしら」とかの女性言葉とか、やたら説明的な口調とか。そういう自分たちのふだんの実際の会話では使うことも見聞きしたこともないよね、っていうものが創作内では溢れてるわけだけど、でも現実の世界で使われてる生の会話って言うのは、省略が多用されてて、フレーズだけ単体で聞いても理解できないものだったり、内容もとりとめなく、唐突に中断したりかと思うと間を置いて戻ってきたりとか。
……っていうのを社会学の会話分析 Conversational Analysis, CA がいろいろ研究してたりするけど、このアニメの会話は、創作作品の常套的ルールよりも会話分析が明らかにした現実の会話ルールの方にかなり適合してると思う。*1
・「おみず。ねじるやつ」*2
・「先生は希望だー」
・「ねえねえ私気づいたんだけどー… 高校生になってから、一回もガムかんでない!」
→「私らの会話って アホみたいかな?」「そんな事ないだろ 多分…」
っていう、ぜんぜん現実にあり得るレベルの会話。いや、ほんとにふつうの会話で、それがなぜかおもしろい。
とくにアニメ版、会話の再現という点ですごくよくできてると思う。
原作は漫画なんであくまで静的なメディアだけど、アニメ版は実際と同様に会話の「間」が存在するわけで、それを非常にうまく配置できてる。
声優とかもいいよねー。(とくに種田梨沙 [縁] と堀江由衣 [お母さん先生] が、語尾の表現力すごくいいと思う)
あと何気に劇伴もとても効果的に作用してる。
- ふたつめの「人間関係」という側面については;
3人のなかでの関係、および、相川さんグループ3人との関係。その推移。
基本すごく百合百合してる雰囲気はあるんだけど、そういうようにまとめるのもちょっと違う気もしてて。
「好意」とか「気になる」とか「関係性維持」とか「気づかい」とか、そういうプラス感情の諸々がベクトルとして画面内に透けて見えるかのごとく掴み取れて、その模様が恍惚感を運んでくれる、というような。
……この側面はうまく説明できないな。たぶん、ここがゆゆ式の魅力の真髄で、こればっかりは見通してみないとわかりがたいはず。
- その他。
- 「お母さん先生」って呼び方の発想、すごいよなー。「雰囲気がお母さんっぽい」ってのもあるだろうけど、「学校で先生のことをつい〈お母さん〉とよんでしまう」っていうあるあるな事柄を逆手に取って、「最初から〈お母さん〉って呼ぶようにしてしまえばそれを予防できる!」みたいなのも含まれてると思う。
[参考]
- 「ゆゆ式」に見る”正しく削ぎ落とされた日本語” http://ub-text.lsxilo.com/diary_log/320130513.html
- 総力特集! アニメ『ゆゆ式』(1)――シリーズ構成・高橋ナツコ インタビュー 「普通のアニメでは当たり前のことが『ゆゆ式』では当たり前じゃない」 http://anifav.com/special/20130618_1467.html