- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/01/01
- メディア: 単行本
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短編集。7編収載。
展開がとっちらかった感じのものとか設定が荒唐無稽なタイプだとかいろいろだけど、どれも一人称の思考モノローグで基本的に読みやすい小説。
やさしナリン
語りがいきなり唯名論で始まる。あと、『あうだうだう』らしき話へのメタ言及も。
面倒な人間関係トラブルの直截的なダイアログ、ではあるんだけど、わりとストレス感じずに読めたのは語り手の思考に同意できたからだと思う。
タイトル、初見でわけわからないけど読むと納得できる。
添木添太郎
これがいちばん良かったかな。作品テーマと感情喚起の両面でバランス取れている。
なんとなく『ジョゼと虎と魚たち』の映画を思い出した。
すっとこどっこいしょ。
ふたつの告白のそれぞれの展開。
ンポ先輩
「私が思うに、精神っていうのは意識と無意識を合わせた、人間の内的世界の全てを表していて、心っていうのは、気持ちと感情で動かされた言葉が作った世界のことを言うんじゃないかと……」
「さっき、精神と心の違いについて話題にしたとき、あなたは……心というものは言葉が作ると言ってた……」
(略)
言葉は騙る。
間違える。
唯言論的自己みたいな? でも、「言葉が心をつくる」というのではなくて「気持ちと感情で動かされた言葉が心をつくる」という図式なのが気になる。〈言葉〉が〈気持ちと感情〉で動かされてしまうというのは、〈気持ちや感情〉の方が言葉よりも先行している感じがある。
あまりぼっち
テーマ面としておもしろかった。タイム・トラベルものの一環ではあるけど、時間を跳躍すること自体にはあまり意味はなくて、自分が分岐するっていうところの方が重要。
わりとわかりづらくはあるけど、図のような感じ。
毎日17時頃に分岐発生。分岐した方は時間跳躍し、次の日の9時半頃着地。その後23時付近に消滅し、行方はわからなくなる。この間17時頃にやはりオリジナルから分岐が発生していて、同じように時間跳躍し、次の日の9時半頃着地。……という毎日が続いていく。
分岐した自分を映画『プライマー』に倣って〈ダブル〉と呼ぶとすると、毎日自分が分岐してダブルが生まれるのがポイント。ダブルは毎日消滅してしまう。消滅までの短い時間、ダブルは別居している妻子のところへその都度赴き、〈オリジナル〉が知らない生活を送る。23時までの束の間でありつつも、毎日。
前日までオリジナルと同じ記憶を持っているにもかかわらず、ダブルたちはオリジナルと違う思考をする。毎日消滅していくダブルたちはメールのログを頼りに協働し、違う人生を――それが離散的なものであっても――構築しようと試み続ける。
オリジナルはこの動きに関心なく、そもそも妻子に会おうという気持ちはない。
このようにオリジナルとダブルとで完全に時間線が分かれるのがあたらしいと思った。ダブルたちが複数生まれ続け、その全員がオリジナルと対立している構図にあるというのも。
- いろいろ考え始めるとおもしろい。
- どうしてこのような時間設定にされているのか。
- 分岐後、時間跳躍するのはなぜなのか。
- オリジナルの方も睡眠時間があるはずだけど、それもある意味で時間跳躍と言えなくもないのかも。
- ダブルたちは皆、自分が13時間半しか生きられないということを自覚している。その時間制限がオリジナルとの思考差につながっているのだろうか。
真夜中のブラブラ蜂
『やさしナリン』と似た形式になっていると思うけど、こっちはあまり共感できなかった。対立する思考をそのままトレースするようなこういう形式の小説では、語り手の考えに同意できないとふつうにそのままストレスになる。
でも、最後のインフレな展開はわりと好き。そういう極限まで行くことで成り立たされているような話。
美味しいシャワーヘッド
はっきりしたストーリーらしきものがないタイプの小説だけど、感情喚起の面として良かった。断片的なやり取りでこころに残るものがいろいろある。「世界そのものが変えられてしまってるなら、逃げ場所なんてないはず」→「だったら世界の果てとか別の世界とかを目指す」という考え方とか。
あとは、
「良かった。この話、憶えておけそう?」
「そりゃもう忘れられなさそうだよ」
「良かった。だとしたら私のことも一緒に憶えておけるよね」
「私としてはね、揺さぶらなくても憶えておいてもらえるような女の子になりたかったよ」
もなかなか涙腺刺激級。