“Snowpiercer”
Director : Bong Joon-ho
South Korea, US, France, 2013
温暖化対策の失敗により全世界が凍結し、人類滅亡。唯一生き残ったのが、永久機関と自律循環機能を備えた列車で地球を周回し続ける乗客たちのみ。車内では、後方車両に乗る下層クラスと前方車両に乗る上層クラスとの格差が固定している。かつて未遂に終わった“革命”へ再び挑戦しようと、下層クラスが蜂起する――というストーリー。
原作はフランスのグラフィックノベルで、『グエムル-漢江の怪物-』の監督ポン・ジュノによって映画化された。
設定が独特でまず興味を引く。わりと強引ではあるんだけど、あきらかに寓話としてつくられているので、「どうして走り続けなきゃならないんだ」とか「列車以外全人類滅亡なんてありえるの?」といったことを問うのはあまり意味がなさそう。
列車の線形的空間構造が階級格差のアナロジーに用いられているといっても、観る前に思ってたような「各列車ごとに段階的な階級が設定されている」というわけではなく、階層区分は基本的には前方と後方のふたつのみ。(とはいえ「上層世界」にも食料製造担当・温室管理者や給仕といった役務が存在するので、実際はもうちょっと複雑な社会構造ではあるはず。)
温室車両に入ったときに、はっきりと「あ、上層世界に入ったんだ」という感覚を受ける。
支配・抑圧をテーマにしたSF作品というのは古くからいろいろあると思うんだけど、空間図式のタイポロジーとしては次のような感じだろうか。
- 上層/下層
- 地球外の惑星etc/地球
- 地球/地球外の惑星etc
- 平面での地域格差
- 城砦都市の内外
-
- 『進撃の巨人』
この作品は、外部の巨人に対する内部の人間という抑圧/被抑圧関係がまずあるんだけど、城壁内部でも外周部の下層民・中央部の支配層という格差があって、二重支配構造になっているのが大きな特徴。
- 『進撃の巨人』
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たぶん他にも多数の例があると思うけど、とりあえず思い付いたものという意味で。網羅的リストをまとめるのが目的ではないのでこのぐらいにしておく。
『スノーピアサー』はタイポロジーとして新たな項をつくり出したと思う。
(上層/下層の空間図式ってもっとたくさんある気がしたんだけど、いざ書こうと思っても出てこないなー。)
こういう格差図式の空間構造があるSF作品で、結末がどうなるのかという点についてもいくつかのバリエーションで区分できる気がする。
あり得るパターンとしては、
- 反乱の成就。下層が上層を転覆して終わる。→その後は、上下区別のない世界になる。
- でももしかしたら何世代か過ぎると上下区別が復活するかも?
- あるいは、転覆した側が今度は抑圧側にまわる、という皮肉な図式として描かれるのもありそう。
- 現状追認。この仕組みを変えることはできないと納得させられる/諦める。
- 現実世界だとだいたいの場合はこうなってしまうような。ただし現実の場合は諦められることはなく、規模はどうあれ反抗の試みは続けられるのだろう。
- 仕組み自体からの離脱。こういう上下区別をつくり出す仕組みそのものの破壊、あるいはそこからの脱出。
(以下、ネタバレ含む)
この映画がどういうパターンなのかというと、「仕組み自体を終わらせる」という区分に属する。
ただしこの映画には単なる「上下構造」にとどまらない新奇でおもしろい部分があって、それは、最後尾が先頭車両と連携していた、というところ。
この支配/被支配序列が慎重に維持されなければならないという同意により上層指導者と下層指導者が協力していて、「革命」の人為的誘導、さらに下層から上層へのリーダーシフトまでが仕組みとして容認されていた……というのは、従来の「格差・階級社会SF」のタイポロジーからすると一歩進んだ図式になっていると思う。
そういう捻った図式に対してこの映画が結局どういう結末を用意したかというと、「仕組み自体からの離脱」であって……うーん、まあたぶんそうなるのかなというのが途中から予想できる範疇だし、かといってじゃあもっと超展開なアイデアを思いつくかというと思いつかないなぁ……という感じで、ものすごく驚愕とか新鮮味があったわけではないけど、この種の「階級世界SF」としてよくできていたとは思う。
- 列車を何に見立てるか。
もしこの列車を全世界、つまり地球なのだと捉えるなら、その場合、仕組みから離脱するには宇宙進出する必要…? それは至難すぎる。
そこまで拡げずに、列車が表象するのは「自分が過ごしている環境・社会(の一定範囲)」ぐらいに考えるべきなのだろう。その場合のラストの解釈は、「別に既存の前提に従わなくたっていいよね、いま世界のすべてだと思ってるその場所の外にもいくらでも生存可能な範囲は広がってるよ?」っていうような意味であって、考え方としてきれいではある。