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 西阪仰 “分散する身体”






分散する身体―エスノメソドロジー的相互行為分析の展開

分散する身体―エスノメソドロジー的相互行為分析の展開






 ヴィトゲンシュタインエスノメソドロジーの立場による相互行為分析の本。
 社会的活動のなかで、「身体」「道具」あるいは「演技」といったことが、人々の活動を秩序立ったものとして組織することにどのように関わっているか。
 相互行為の具体的事例を豊富に扱いながら、相互行為当事者たちがおこなっているのはどのようなことなのか、どのようなやり方でおこなわれていることなのか、ということを分析・記述している。


 とりあえず序章と第4章を読んだ。

    • 序章は、「記述」という概念の整理と確認。
    • 第4章は、「物語」に焦点を当てている。
      • といっても対面的相互行為での「物語」(会話のなかでの演技など)なので、「書かれた物語」とは違う。
        ナラトロジーが扱うフィクション概念とまったく異なるアプローチが興味深い。ナラトロジーは物語そのものの分析はおこなうけれど、物語が相互行為や社会で為す「効果」については踏み込まない。しかしエスノメソドロジーの分析では、「物語」というものは相互行為を成り立たせる働きをおこなっていることが示される。


序章 相互行為分析のプログラム 暗黙知」という考えの危うさについて


行為の記述とは、どのようにおこなえるものなのか


【可能な記述】

  • 社会学では、行為の記述のただしさの問題を、「行為者の主観的観点・意図」を行為モデルにどう取り込むかという問題として捉えてきた伝統がある(パーソンズ)。
    :「行為者が何をしているかについては、本人に聞けばわかる(=本人に聞かなければわからない)」という考え方を前提にしたアプローチ。
  • しかしこのアプローチは成功していないし、前提の考え方が間違っている。なぜならば;
    • 本人に聞くということ自体ひとつの相互行為であり、それに相手が反応する。それを記述と言えるのか?
    • 不自然な問いによって(強引に)可能とされる回答(表現)は、「実際的に 可能な記述 」ではない。
    • わたしたちは何らかの特定の活動を、それをそのような活動として記述・説明・理由付け・報告し得る限りにおいて、かつそうした限りでのみ、その活動をおこなっている。
      :わたしたちのおこなう活動は、「実際的に 可能な記述 」を再帰的な構成成分として持っている。
    • 「意図」は、「 可能な記述 」であることもそうでないこともある。また「意図」が「 可能な記述 」だったとしても、それが本人にしか近付けないものとはかぎらない。


【理解可能性】【合理的】【規範的】

  • 行為の 可能な記述 が意味あるものとして通用するためには、本人の意図が何か以上に、それが誰にとっても理解可能なものでなければならない。=合理的でなければならない。
    • 「合理的」=「規範的 (デュルケーム的)」。つまり、個人を超えて適切/不適切の判断が可能ということ。
      • そうでなく個人が勝手に適切/不適切の判断をおこなえるなら、それは単に無意味。
      • 刺身を旨そうに食べながら「生の魚が大嫌いだ」という者は、規範的に適切な仕方で「嫌うこと」をできない人間(=「嫌う」という概念を把握していない)。
      • 規範的であることは、経験に先立ち経験を構成する。
    • 他人が近付き得るものであるということは、本人でなくとも、第三者である分析者にも近付き得るということ。(→だから相互行為分析は妥当である。)
    • ある行為が理解可能であるためには、繰り返し産出可能な特定の手続が認識できなければならない。
      • 行為の産出手続:概念の規範的結びつき
      • 行為の 可能な記述 をおこなうとは、行為の産出手続の 可能な記述 をおこなうということ。
        手続が記述可能(認識可能)であるとき、ある特定の行為は記述可能(認識可能)である。
        →相互行為分析が照準するのは、この水準での 可能な記述 に他ならない。


【概念】

  • 行為を記述する言語表現の使われ方:「概念
    • 特定の表現(言葉の用法・概念)が他の表現とどのように結びつけられながらどう用いられているか、具体的な文脈のなかでの表現の使い方のつながりを明らかにすることを「概念分析」と呼ぶ。


【知識】

  • あらためて問われたときに必ずしもきちんと答えられないけれども、わかっていること。
    普段必ずしもきちんと表現できるとは限らない(が、知っている)手続の知識。
  • 「知っている」とはどのようなことか。
    間違っている可能性がないものは、知識ではない。(ex. 「痛み」。→「痛み」という表現と「知っている」という表現を結びつけることが(実践上)できない。)
  • わたしたちが実際にやっていることのやり方(プラクティス)は、命題の集合のようなものとして与えられてはいない。


【構造】

  • 社会学の伝統においては、相対的に恒常的な「パターン」のある状態を指す。(区別が可能な「偏り」のある状態) 



本書の課題


【本書が試みていること】

  • わたしたちが実際にやっていることのやり方に「見通しのよい記述」を与えること。このことには、従来の社会学が前提としている想定に対し別の見方を提示する意義がある。


【本書の議論の軸・中心的課題】

  • 本書はとくに、「身体」「道具」に焦点を当てている。
    • 道具(人工物)は、単に物理的構造を持っているだけでなく、デュルケーム的オブジェクトであり、相互行為的な性格を持つ。
    • 身体の構造もまたデュルケーム的である。
  • これらを具体的な事例に則して、見通しのよいやり方で示す。
    取り組むべき課題は、以下のように二重化されている:
    •  可能な記述 が何であるのか・そこでおこなわれていることがどのようなこととして把握されているのか、を明らかにすること。
    •  可能な記述 のその可能性が何に基づいているのか、を 可能な記述 として明らかにすること。(ex. 「アドバイスの先行連鎖の開始」という可能な記述。)



その他

  • 分析者の独特の用語(「先行連鎖」とか。)は、普段わたしたちが用いることはないが、これは「 可能な記述 」の要約的表現であり、「 可能な記述 」から離れてしまうわけではない。
  • 「行為」と「活動」の違い
  • 暗黙知」という考え方への批判



第4章 分散する身体III 想像の空間



【演技】

  • 会話のなかでの「演技すること」は、どのように組織され、どのように合理的なものなのか。
    • 「演技」は相互行為空間をいわば「舞台」として、「想像の空間」として構造化する。
  • 発話に対して何もあたらしい情報を付加していないように見える手振りも、実際にはそれなりの情報を付加している。
    しかしより重要なのは、演技によって身体・相互行為空間に新たにつくりだされる構造は、それ以降の展開において「利用可能」な資源になるということ。
  • たとえば、会話のなかでの挑戦・否定という反応、それに対するさらなる反応。こういったことすべては、合理的に(:理解可能なかたちで。)連なっている。(「演技すること」もそのなかの一要素)


【想像の空間】

  • 想像の空間 :そこには実際にない何ごとかの代理として、身体および環境(人工物)が再構造化されること。
  • 演技によって、演技者の身体が、他者の身体や虚構の身体へ分散したものとして構造化される。(「分散する身体」というのはひとつの比喩・イメージ)
  • 会話のなかでの演技は、「臨場感」を生み出すために為されているものというよりも、相互行為における合理的特性を為すものとして捉えるべき。
    :相互行為の展開と身体配置の組織(相互行為の時間的・空間的組織化)→「想像の空間」の組織
  • 演技が組織する想像の空間の秩序は、相互行為が実際に展開し組織していくなかで協同達成される。
    相互行為における相手の反応・理解に応じて説明がデザインされ、両参加者の志向が収斂することによって説明が展開していく。
    • 志向の配分は、自分の理解のための重要な構成要素
  • 発話が成し遂げていることの事例:「理解」と「同調」の提示など。
  • 「合理的」「理解可能」とは;
    述べられていることの理由がわかること。説明としての理解可能性。
    • 「不精確な演技」が、特定の活動のなかでは「合理的な」実演であり得る。演技の合理性は、参加者たちがどのような活動をどう組織しているかに依存。


【物語】

  • 物語とは、参加者誰もが同じように接近できる、規範的に構造化されたオブジェクト。(デュルケーム的オブジェクト)


【物語の効果】

  • 相互行為における効果を持ったものとしての物語
  • コミュニケーションにおける効果、社会関係における効果
  • 演技自体が享受されるべきというよりは、「演技=説明」の効果(結果)の方に重きが置かれる。


【物語の構造】

  • 境界付けられた構造:「始まり」と「終わり」 ←時間と場所の特定
  • 「物語性」「ドラマ性」:語るに値すること。山場を持つということ;物語のひとつの構造的な特徴
  • 物語の構造は、会話のなかで達成される。


【物語を語ること】

  • 「物語を語ること」は、「物語(内容)」とは違う。「物語を語ること」は、特定の活動であり、参加者全員の相互行為的な達成
    • たとえば物語には「前置き」が伴うことが多いが、これに対し聞き手は物語の進行を促すこともできるし、阻止することもできる(既にここで語り手・聞き手の相互行為的協同がおこなわれている)。物語からの「脱却」についても同様。


【理解可能性】

  • 実際にそうなのかはわからないけど、そうであると理解できるようなやり方で語られるということ。
  • ほんとうにそう思ったかどうかは重要ではなく、「そのとき思ったこと」として語られているということが重要。


【物語を語る語り口の種類】

  • 経験したことを経験したがままに語るやり方
  • 誰のものでもない語り方(伝承)
  • 誰か第三者の経験(伝聞) →自分の経験として語ることはできないが、経験に即した語り口であるべき。
    →二重の意味での「認識論的経験主義」:「現在の語り手が誰かから聞いたという経験主義」「最初の語り手の経験を再現しているという意味での経験主義」

  











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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell